旧支配者の住処は汝の護りたる戸口とまさに同一なり――『ネクロノミコン』
At Your Door は現代を舞台にしたクトゥルー神話TRPG(以下CoCと略称)のキャンペーンであり、1990年にケイオシアムから刊行された。作者はリン=ウィリスとキース=ハーバーを中心に総勢6名、『マレウス・モンストロルム』の作者として知られるスコット=デイヴィッド=アニオロウスキも参加している。「旧支配者の住処は汝の護りたる戸口とまさに同一なり」という『ネクロノミコン』の言葉(1)が裏表紙に掲げてあるが、これが題名の由来となっているのだろう。
物語の主な舞台となるのは米国西海岸の大都市サムソンである。サンフランシスコ・サンディエゴ・ロサンゼルスを混ぜ合わせたような架空の都市だ。探索者たちの素性は特定されていないが、探偵やフリーランスの記者といったところだろう。彼らは雇われて人捜しの仕事をしているうちに怪異に遭遇し、人類の命運がかかった壮大な謀略に巻きこまれていく。豪華な執筆陣にふさわしく充実した内容の作品だが、まだ邦訳はない。そのため本稿で概要を紹介させていただくが、我が国のクトゥルー神話ファンの参考になれば幸いである。
お断り
以下の文章ではAt Your Door の核心と結末に触れておりますので御注意ください。
探索者たちの雇い主はロバート=ジャティクという初老の男性である。彼はニューヨークの広告代理店の重役だったが、大自然の中で暮らしているうちに癌が治ったという奇跡的な体験を手記にしたところベストセラーになり、作家に転身した。自然の尊さを痛感したジャティクは、フル=ウィルダネスという環境保護団体を設立し、その代表として活動している。フル=ウィルダネスは急速に勢力を伸ばし、潤沢な資金を背景に強い発言力を獲得していた。
サムソン市内にあるフル=ウィルダネスの本部を探索者たちが訪れると、ジャティクが彼らに依頼の内容を説明する。地球を救う研究をしてもらうため、フル=ウィルダネスは科学者たちを援助していた。フル=ウィルダネスから資金提供を受けている研究機関のひとつがドーン=バイオザイムだが、その研究員であるピーター=テイト博士からジャティクのもとに手紙が届いた。ドーン=バイオザイムはフル=ウィルダネスの援助を悪用し、人倫にもとる研究を行っているというのだ。その後テイト博士とは連絡がとれなくなってしまったが、消息を絶つ前に彼は証拠の品を残していった。証拠の品というのはシュブ=ニグラスの落とし子の幼生であり、フル=ウィルダネスの本部に送られてきたそれをジャティクは探索者たちに見せる。
テイト博士を見つけ出し、ドーン=バイオザイムで何が起きているのかを突き止めてほしいとジャティクは探索者たちに依頼する。探索者ひとりに支払われる報酬は月々5000ドル、それとは別に毎日350ドルまで実費が認められる。交渉次第では実費の上限を一日あたり500ドルまで引き上げてもらえるだろう。フル=ウィルダネスは金持ちなのだ。
探索者たちが依頼を引き受けることにすると、ジャティクは彼らを側近のリチャード=スレークスに引き合わせる。スレークスは30歳くらいの男性で、フル=ウィルダネスの評議会に名を連ねる幹部だ。組織の窓口として探索者たちと連絡を取り合うのが彼の役目である。
探索者たちが最初にする仕事は、ジムヴォテックという研究所にシュブ=ニグラスの落とし子を持っていくことである。幼生の入った容器をバンに積みこみ、スレークスと探索者たちは出発する。途中、暴走族めいた格好の連中が幼生を奪おうと襲撃してくるので、うまく振り切らなければならない。
野暮用を済ませた探索者たちはテイト博士の足どりを辿りはじめる。サムソン市警でテイト博士の失踪事件を担当しているのはジャック=ボリング刑事だが、彼に会いに行っても大した情報は得られない。ただしボリング刑事はまじめで親切な人物なので、探索者たちは彼と友好関係を築くことができる。
ピーター=テイトはカリフォルニア大学サンフランシスコ校で微生物学の学位を取得した研究者である。ドーン=バイオザイムに勤めていたが、最近ハロルド=ゴールなる人物から田舎の農場を買って引っ越した。しかし、そこも早々に引き払ってしまった後は行方がわからなくなっている。海沿いに乗り捨ててあるのが見つかった彼のBMWは外装がぼろぼろになっている。何者かがよってたかって叩いたり引っ掻いたりした模様だ。
テイト博士にはエドワード=テイトという兄がいる。兄弟仲は決して悪くなかったが、探索者たちがエドワードに会いに行っても彼は弟の事情を何も知らなかった。自分の抱えている問題に兄を巻きこむことをピーターは怖れていたらしい。
エドワードは探索者たちに弟の自動車の鍵を貸してくれた。丹念に車内を調べると、床の敷物の下から日記の断片が見つかる。望み通りの仕事が見つかってよかったと喜ぶ文章で始まる内容だったが、だんだん雲行きが怪しくなっていく。恋人のジェニファーは様子がおかしいし、この研究所には後ろ暗いところがあるのではないか? 決定的な証拠を見つけたテイト博士はそれを盗み出してフル=ウィルダネスに送り、彼が農場に移り住んだところで日記は途切れていた。
ここまでがキャンペーンの第1章である。これほどまでに資金が潤沢な探索者というのも珍しいかもしれないが、いくらお金があっても何の役にも立たないという状況がいずれ到来する。では高額の報酬は無意味なのかというと、大団円では金がものを言うのだ。
第2章では、引き続き探索者たちがテイト博士の足どりを辿ろうとする。テイト博士に農場を売ったというハロルド=ゴールなら何かを知っているかもしれない。そう考えた探索者たちはゴールを訪問してみることにした。
サムソン市内にあるゴールの家に行く途中、街角に立つアフリカ系のサクソフォン奏者が物憂げなブルースを奏でていた。すばらしい腕前だ。彼が天才演奏家ロイヤル=パントであることに探索者たちは気づいた。
ロイヤル=パントは音楽に合わせて体を揺すりながら歩み去る。探索者たちは彼の後を追って角を曲がるが、そこにいたのは別人で、サクソフォンの音色も凡庸なものでしかなかった。なおロイヤル=パントはナイアーラトテップの化身なのだが、このシナリオでは特に悪さをすることもない。実はしているのかもしれないが、少なくとも探索者たちの関知するところではない。
探索者たちはハロルド=ゴールの家に到着した。ゴールは不快きわまりない、というか少々やばい感じのする人物で、自分は「下水人」と戦っているのだと主張する。下水人は都市の地下に隠れ住み、自分たちの種族を増やすために人間の赤ん坊をさらっているが、奴らを根絶やしにするための秘密兵器を俺は開発したのだ――そういってゴールが探索者たちに見せたのは、犬や馬や鰐などさまざまな動物の死骸を継ぎ合せて作った不気味なオブジェだった。探索者たちは這々の体で逃げ出し、テイト博士に関する情報は得られずじまいだった。
テイト博士がゴールから買った農場があるのは、サムソンから130マイルほど離れたデライラという寒村だった。デライラに到着した探索者たちが村の飲み屋に入ると、村人たちが噂話に花を咲かせていたが、フランク=タゲットの倅スティーヴンが数カ月前に家出したといった類の四方山話ばかりだ。
探索者たちは問題の農場に足を踏み入れた。畑に案山子が立っている――と思いきや、それは本物の人間だった。若い男の死体が蔓草でがんじがらめにされ、木製の十字架に縛りつけられているのだ。家出したことになっているスティーヴン=タゲットである。テイト博士が農場から逃げ出したのは、彼の死体を目撃したからだった。
ゴールが農場で行っていた実験の内容が明らかになった。新しく創り出したのか、どこかから呼び出したのか不明だが、彼は科学と魔術の力でゲル状の奇怪な生命体を農場に出現させたのだ。その生命体はあらゆる植物に寄生し、自在に操れる。またゲル状生命体の宿主となった植物は動物の死体に取り憑いて動かすことができる。
地面から犬や馬の死骸が起き上がり、探索者たちに向かってきた。十字架にかけられていたスティーヴンも一緒だ。探索者たちはそいつらを倒して農場に火を放ち、何とかゲル状生命体を滅ぼすことに成功した。
サムソンに戻った探索者たちは再びゴールのところに押しかけていく。しかし彼の家はもぬけの殻で、おぞましい「発明」も消え失せていた。探索者たちは家の周りを捜索したが、ゴールのかけていた眼鏡が下水溝の中から見つかっただけだった。
このシナリオはT.E.D.クラインの小説から着想を得たものだそうだが、ゴールの語っていた「下水人」の話は真実だったのかもしれないと匂わせ、余韻を残す終わり方になっている。ならば、動物の死骸をつぎはぎした代物も本当に秘密兵器として機能するのかという疑問が湧くだろうが、実はシナリオの最後にちゃんと能力値が書いてある。死骸の中に電子部品をしこんだ一種の人工ゾンビということになるが、それほど手強い敵ではない。ただし視覚的なインパクトは絶大である(2)。
一向に手がかりが得られないまま、怖い思いばかりしているような気もするが、第3章ではドーン=バイオザイムの内幕を探ることになる。テイト博士の勤め先だったドーン=バイオザイムは1985年にジェイムズ=コラジニが創立した会社で、現在の従業員数は約150名。主な株主はラーソン製薬で、そのラーソン製薬はNWIすなわちニューワールド=インダストリーズの関連企業である。NWIという名前に聞き覚えのある方もおられるだろうが、詳しい説明は次項に譲ることにしよう。
探索者たちはドーン=バイオザイムを訪問し、施設を見学する。フル=ウィルダネス幹部のスレークスが手配してくれたおかげで彼らは歓迎され、社長のコラジニや研究開発部長のハワード=フィンレイ博士と面会することもできた。ドーン=バイオザイムではP7計画というものが進行中だが、その内容は厳重に伏せられており、コラジニですら知らない。P7計画の中心人物となっているのはフィンレイ博士である。
P7計画の目的は、実はシュブ=ニグラスの乳の製品化だった。ミスカトニック大学の院生だった1960年代、インドシナ半島にあるチョ=チョ族の集落を訪れたフィンレイは、原始的な焼畑農法に頼る彼らの畑が異常なほど見事な収穫を上げていることに気づく。生贄の儀式に参加するなどしてチョ=チョ族の信頼を得たフィンレイは、畑を富ませているものがシュブ=ニグラスの乳であることを学んだ。
帰国して学位を取得したフィンレイはNWIの子会社に入社し、自分がインドシナで知ったことを生命理工学の研究に応用しようとする。しかしチョ=チョ族はシュブ=ニグラス招喚の方法までは教えてくれなかったので、彼は壁に突き当たってしまった。フィンレイが何とかしてシュブ=ニグラスの乳を手に入れようとしていると、ある日NWIの重役タラッサ=チャンドラーが彼を呼び、不可思議な黄色の結晶体を渡す。その結晶体はユゴスで採れたもので、シュブ=ニグラスを招喚する装置の部品として不可欠だった。
ドーン=バイオザイムに移籍したフィンレイ博士はシュブ=ニグラスを定期的に招喚し、ふんだんに乳を得られるようになった。シュブ=ニグラスから搾乳とは、いろいろな意味でけしからん話である。まさに神をも怖れぬ所業なのだが、自分のしていることの重大さにフィンレイ博士は気づいていなかった。招喚されたシュブ=ニグラスと一緒に落とし子が現れることもあり、テイト博士がジャティクに送ったのはその中の一頭だった。
正攻法では埒が明かないと見て取った探索者たちは宵闇に紛れてドーン=バイオザイムに忍びこみ、あちこち漁って回る。倉庫では折しもシュブ=ニグラス招喚の最中だった。降臨したシュブ=ニグラスから乳を採取して保存し、種々の研究に用いるのだ。なお、この乳を華氏400度(摂氏200度)まで加熱すると凝固し、スライムとなって動き回るようになる。このスライムは人間の頭蓋内に侵入し、脳を食い尽くして体を乗っ取るので注意が必要だ。
探索者たちはフィンレイ博士に見つかってしまった。小競り合いが始まり、招喚装置を制御するコンピュータがその最中に壊れる。たちまちシュブ=ニグラスは暴走し、ドーン=エンザイムの施設を壊せるだけ壊してから姿を消した。惨事が発生したことを知ったNWIの上層部はただちに手を打ち、世間の注目が集まらないようにする。コラジニは逮捕され、NWIの重役デイヴィッド=メルトンが「自殺」した。コラジニとメルトンにすべての責任を覆い被せる形で事件は収束したが、フィンレイ博士は生死不明のまま姿を消してしまった。
余談だが、フィンレイ博士にはマデリーン=フィンレイという奥さんがいる。この人は旦那以上にやばい人物で、難民としてインドシナ半島から米国にやってきたチョ=チョ族と積極的に交流している。チョ=チョ族の民族料理を出すレストランを何軒も経営しているばかりか、本人もチョ=チョ族の料理をひとかたならず愛好しており、探索者たちが迂闊に彼女に近づけば食われかねない。またマデリーンは旧支配者を神として崇拝し、シュブ=ニグラスのことを異次元の生命体としか思っていない夫をバカ呼ばわりしている。
次の章に進む前に、At Your Door の黒幕であるNWIのことを解説させていただく。
NWIといえば、そもそもは『ユゴスからの侵略』に登場した多国籍企業ニューワールド=インコーポレイテッドのことだが、これはカリスマ的な領袖エドワード=チャンドラーの死によって崩壊した。後に再建されたのがニューワールド=インダストリーズすなわち新生NWIである(3)。新生NWIも旧NWIと同様に企業活動を隠れ蓑として旧支配者の復活を目指す組織だ。
フィンレイ博士にシュブ=ニグラス招喚装置の部品を与えたタラッサ=チャンドラーは故エドワード=チャンドラーの縁者かと思いきや、実は女王ニトクリスの仮の名であったことがブルース=バロンのUnseen Masters で明らかになっている。彼女はAt Your Door では重役の一人に過ぎないが、Unseen Masters では最高経営責任者にまで上り詰めている。
旧NWIが野獣の結社と密接な関係を持っていたように、新生NWIは黒の同胞団(Black Brotherhood)と結託している。黒の同胞団の元ネタはロバート=ブロックの『アーカム計画』に出てきた「暗黒教団」だが、CoCにおいては『ニャルラトテップの仮面』の「暗黒のファラオ団」がその前身であるということになっている。Unseen Masters によると、ニトクリスが暗黒のファラオ団と野獣の結社を統合して黒の同胞団を作り上げたそうだ。銀の黄昏を失って浪々の身だったアン=シャトレーヌが再起するのに力を貸したのもニトクリスである。
CoCの秘密結社で最強なのはスティーヴン=アルジス率いるフェイトだろうが、規模の大きさでは黒の同胞団が他の追随を許さない。政財界のみならず軍の上層部にまで食いこんでおり、米軍の将官クラスにも黒の同胞団の団員がいるということになっている。また、ひたすら揉め事の種を増やしたがるだけのフェイトとは異なり、黒の同胞団は旧支配者の帰還という明確な目標のもとに動いている。
第4章では、テイト博士の元彼女であるジェニファー=アームブラスターの行方を追う。
ジェニファーはドーン=バイオザイムに勤め、ボディービルディングを趣味としていた女性である。彼女の身長は165センチで、もっと体格を向上させたいと望んでいた。そこに眼をつけたフィンレイ博士はジェニファーをP7計画の被験体に選び、シュブ=ニグラスの乳を与えた。乳を服用したジェニファーは数カ月で2メートルまで背が伸び、ボディービルディングの大会で輝かしい成績を収めるようになった。しかし、あまりにも不自然な発育が続いたため、しまいには禁止薬物の使用を疑われて賞を剥奪され、姿を消した。
大きくなりすぎて人前に出られなくなったジェニファーは山中の小屋で暮らすようになった。ある日、ジェニファーの身を気遣った親友のノエル=ランドが彼女を訪問した。巨人と化したジェニファーを見て仰天したノエルは小屋から飛び出そうとする。ジェニファーはノエルを引き留めようとしたが、自分の力を制御できず、弾みでノエルの首の骨を折ってしまった。
探索者たちは手がかりを集めてジェニファーの居場所を突き止める。いまやジェニファーは身長が4メートル50センチに達し、もう小屋の中にはいられないので洞窟に住んでいた。ジェニファーにはウィリーという愛犬がいるが、こいつも飼主と同様にシュブ=ニグラスの乳を飲んで成長し、簡単な人語をしゃべれる程度には知能も上昇している。元々の犬種はビーグルなのだが、ものすごくマッチョなスヌーピーみたいなものを想像していただけるとよろしいだろう。巨大化した現在でも人なつこくて善良なのだが、自分より小さいものを餌と間違える癖があるので注意が必要だ。
ジェニファーの住処に乗りこんでいった探索者たちは逆につかまってしまい、彼女と一緒に暮らすことを余儀なくされる。ジェニファーは定期的にシュブ=ニグラスを招喚しては乳を飲み、成長を続けていた。そのうち腕も4本に増える。新しい腕は小ぶりで、大きくなりすぎた本来の腕に代わって器用に動く。また、魔術を習得したジェニファーはノエルを復活させることに成功した。生き返ったノエルは探索者たちと協力し、何とか洞窟から脱出するべく策を練る。
ジェニファーの住んでいる洞窟には、彼女の知り合いであるミ=ゴの学者や食屍鬼が立ち寄ることもある。洞窟の奥の方には底なしの奈落があり、その先は幻夢境に続いていた。探索者たちやノエルがジェニファーから逃げようとして奈落を降りていけば、幻夢境での冒険に突入することになる。
とにかく、しんどいシナリオである。読んでいるだけでもきついのに、実際にプレイするのはどれだけ辛いか。首尾よく探索者たちが文明社会に帰還できた場合、巨大なジェニファーをめぐって世間は大騒ぎになることだろう。一躍ジェニファーは有名人となり、マスメディアと高額の契約を結んだりするが、マグニチュード9の大地震がサムソンを襲った日に愛犬ウィリーともども姿を消してしまった。その後、彼女の行方は杳として知れない。震災の犠牲になったのかもしれないが、軍の研究機関に匿われているのだという噂もある。
第5章はスコット=デイヴィッド=アニオロウスキが執筆を担当し、それにキース=ハーバーとリン=ウィリスが手を加えているが、ショゴスロードのアルバート=シャイニーが初登場したという点において記念すべきシナリオだ。
ショゴスロードと、その代表格であるシャイニーは『マレウス・モンストロルム』に記載されているので、詳しいことはそちらを参照していただきたい。ショゴスロードは高い知能を持つショゴスの上位種であり、人間に擬態することができる。といってもINTは並の人間と大差ないのだが、とにかく長命であるため、人間社会に紛れこんで辛抱強く自らの計画を進めている。その目標は人類の文明を発展させ、そして刈り取ることだ。
これまで物語の舞台はずっとカリフォルニアだったが、この章だけカナダのトロントが舞台となっている。ドーン=バイオザイムと提携しているロスマーショルムという企業がトロントにはあり、ドーン=バイオザイムで採取されたシュブ=ニグラスの乳はロスマーショルムに送られていた(4)。なおロスマーショルムもドーン=バイオザイムと同様にラーソン製薬が株主であり、したがってNWIの傘下にある。
探索者たちがトロントに飛ぶと、市内では連続殺人事件が発生していた。これは蛇人間スルターの仕業である。スルターはずっと眠りについていたが、発掘されたことによって覚醒し、テレビ伝道師のバクスター=ラリーを殺害して彼になりすました。連続殺人事件について調査すると、ある犠牲者の遺体が発見された場所の付近で二人の青年が目撃されたという情報が得られるが、これは探索者たちの注意を逸らすための罠である。
探索者たちはロスマーショルムを訪問する。研究員のアルバート=シャイニーが案内してくれることになるが、施設内は惨憺たる有様だった。何者かが侵入して超即効性の変異原性物質をばらまいたらしく、居合わせた人間はことごとく怪物化していたのである。ある女性は全身に眼が発生し、完全に発狂した状態で「クトゥルー ふたぐん! クトゥルー ふたぐん!」と叫んでいた。主任研究員のコッジヒル博士は知性のないアメーバと化し、床の上を這い回っている。
これまた蛇人間スルターの仕業だった。彼は変異原性物質を撒布し、混乱に乗じてシュブ=ニグラスの乳を盗み出したのだ。乳を取り戻すために探索者たちを利用してやろうと考えついたシャイニーは、彼らに協力を申し出る。ここに探索者たちとショゴスロードの共闘が一時的ながら成立した。ショゴスロードの元ネタはマイクル=シェイの短編"Fat Face"なのだが、シャイニーのキャラクターは非常に気味悪く、原作の雰囲気がよく再現されている。
スルターの目的は、ラーン=テゴスを復活させることである。ラヴクラフト&ヒールドの「博物館の恐怖」で語られている出来事の後、ラーン=テゴスはロジャーズ博物館で再び眠りについていたが、やがて第二次世界大戦が始まるとオラボーナによってカナダへ運ばれた。オラボーナはカナダで客死し、ラーン=テゴスはロイヤルオンタリオ博物館に収容されることになる。
テレビ伝道師バクスター=ラリーになりすましたスルターは博物館からラーン=テゴスを購入して復活させ、蛇人間のために往古の栄華を取り戻してもらおうと目論む。シュブ=ニグラスの乳を使えばラーン=テゴスの眼を覚ますことができるかもしれないというので、スルターは乳を必要としていた。余談だが、ロイヤルオンタリオ博物館では近々「大贋作展」が開催されることになっており、スルターが買い取りを持ちかける前はラーン=テゴスもそこで展示される予定だった。現在ラーン=テゴスはアレウト族の彫刻の偽物であると識者からは思われているのだ。
一方、トロント市内で発生している連続殺人事件について探索者たちが調査を進めた結果、中華街にある黒龍菜館という料理屋を訪れた後で殺された犠牲者が何人かいることがわかった。中華街にあるといっても、黒龍菜館は中華料理ではなくチョ=チョ料理の店で、そのオーナーはマデリーン=フィンレイである。
黒龍菜館へ食事をしに行く探索者たち。店で催されているショーには、ラーリン=パーディーという若い女性が出演していた。探索者たちを見たラーリンは慌てて逃げようとするが、つかまってしまう。観念したラーリンは、探索者たちがシュブ=ニグラスの落とし子の幼生をジムヴォテックに運んでいく最中に襲ってきた暴走族の一人が自分であったことを白状する。その仕事のために彼女たちを雇ったのはフィンレイ博士であり、ほとぼりが冷めるまでカナダに高飛びするよう指示を出したのも彼だった。自分の知っていることをラーリンは洗いざらい喋るが、テイト博士のことは何もわからないままだった。
探索者たちは黒龍菜館でしつこく聞きこみを続ける。店の支配人は愛想よく応じていたが、シュブ=ニグラスのことを知らないかと聞かれた途端に態度が変わった。探索者たちは店の裏に連れ出され、そこで数名のチョ=チョ族に襲われる。探索者たちが応戦していると、たまたま通りかかった二人の若者が加勢してくれた。彼らはジェフ=トッドヒルそしてスコット=デイヴィッドソンといい、観光旅行のためにトロントを訪れている米国人だ。連続殺人の現場付近で目撃された二人組というのもジェフとスコットなのだが、彼らが真犯人というわけではない。
事情を聞いたジェフとスコットは探索者たちに協力を申し出る。ジェフは学生、スコットは青年実業家。二人とも魔女宗(ウィッカ)が宗旨で、特にスコットはいくらか魔法が使える。水晶球で人の心を癒したり、敵から攻撃の意思を取り除いたり、魔法円で身を護ったりといった類の術で、たいして強力ではないが、まったく役に立たないということもないだろう。
助っ人も得たところで、探索者たちは蛇人間スルターの正体を暴き、ラーン=テゴス覚醒という彼の計画を未然に阻止しなければならない。不幸にしてラーン=テゴスが目覚めてしまった場合、トロントの街を壊せるだけ壊してからセントローレンス川の中に消えていくことだろう。なお、眼を覚ましたラーン=テゴスが真っ先に餌食にするのはスルターであるというお約束の展開もある。
最終章を担当したのはおもにリン=ウィリスで、それにキース=ハーバーが手を加えている。
探索者たちがカナダから帰ってくると、サムソンは大変なことになっていた。マグニチュード9の地震が直撃し、街のほとんどが壊滅してしまったのだ。戒厳令が敷かれ、米陸軍の第6軍が出動した(5)。
廃墟と化したサムソンで探索者たちを出迎えたのはフル=ウィルダネス評議会のリチャード=スレークスだった。奇跡的に生き残っていたホテルにスレークスは探索者たちを案内し、別れしなに一冊の本を手渡す。それは『終焉を迎える歴史』と題するロバート=ジャティクの著作だった。
人類は地球にとって有害な存在であり、その数を著しく減少させることこそが自然を救う手立てだとジャティクは『終焉を迎える歴史』で述べていた。『終焉を迎える歴史』の存在はフル=ウィルダネスの幹部しか知らなかったが、ジャティクの狂信的な思想について行けなくなったスレークスは彼の正体を探索者たちに教えることにしたのだった。
フル=ウィルダネスの本部は機能が停止しており、探索者たちがジャティクに会うこともできなかったが、彼らの前にアルバート=シャイニーが現れた。自分はジャティクの意向でフル=ウィルダネスの顧問に就任したとシャイニーは告げ、引き続き協力してほしいと探索者たちに要請する。困難な時期ではあるが、最大限の援護をしていく所存だ――そういってシャイニーが探索者たちに見せたのは、札束の詰まったトランクだった。さらに彼は軍の通行許可証を探索者たちに渡す。
探索者たちの新しい仕事はアレックスという少年を見つけ出すことだとシャイニーは語る。「アレックスはラーソン製薬の研究所から脱走した被験体で、精神感応能力がある。彼の超能力に引き寄せられてクトーニアンが集まり、大地震を引き起こしたのだ」というのがシャイニーの説明だった。
シャイニーがジャティクと結託したというのと、地震がクトーニアンの仕業だというのは本当だが、アレックスが超能力者だというのは嘘だ。アレックスは普通の少年に過ぎないが、特筆すべきことにSANが99もあり、あらゆる物事をありのままに見通せる。このような子供を生かしておけば将来に禍根を残すと考えたシャイニーは、早いうちに芽を摘み取っておくことにしたのだった。
探索者たちとシャイニーの会見は終わった。会見の行われた部屋に探索者たちが後で再び行くと、シャイニーの姿は見当たらないが、机の上に書類が残っている。書類はシャイニーの計画の概要を述べたもので、震災によって無人の野となるサムソンとその周辺に旧支配者を住まわせることが最終的な目的であると記してあった。都市の代わりに自然公園を造ろうと運動して世論を誘導するのがフル=ウィルダネスの役目だ。あくまでも立ち退きを拒む住民は火鬼に焼き殺させることになっていた。
なお、シャイニーは仲間のショゴスを連れてきているので、運が悪ければ彼らと遭遇する羽目になるだろう。この期に及んでパーティーが全滅したら取り返しがつかないので、くれぐれも慎重にセッションを進めてほしいとウィリスはキーパーに忠告しているが、けだし彼らしい心遣いというべきだろう。そこが自分とウィリスの違う点だとはサンディ=ピーターセンの弁である(6)。
人間の数を減らして自然を救うという考えに取り憑かれたジャティクと、旧支配者を復活させようとしているシャイニー。利害の一致した二人は手を組んだのだ。また非常に長命もしくは不死の超人類を創出し、彼らに人類を管理させるべきだともジャティクは考えている。それもシュブ=ニグラスの乳を使えば実現可能だとシャイニーが教えてくれたので、ジャティクはシャイニーのことを深く敬っていた。
ジャティクの裏切りとシャイニーの野望が明らかになったところで、何をなすべきか探索者たちは計画を練り直さなければならない。探索者たちが自動車で夜道を走っていると、襤褸をまとった数名の人間が不意に飛び出してきた。彼らは「目覚めよ! 目覚めよ!」と口々に叫び、手に持ったフォークで車体をひとしきり引っ掻いてから逃げ去る。自動車の表面は傷だらけになってしまったが、エンジンやタイヤは無傷のままだった。
フォークを持った人たちは「フォーク同胞団」の団員である。なめらかで光り輝くものは人間の心を惑わせると考える彼らは、人類に正気を取り戻してもらおうと地道な活動を続けていた。テイト博士のBMWが発見されたとき、外装がぼろぼろになっていたのも実はフォーク同胞団の仕業だった。
都市計画の頓挫により、更地のまま放置されていた区域に巨大なテント村が形成されつつあった。そこでは10万人の被災者が生活しており、行けば情報が得られる。たとえば、震災後に失踪事件が多発している。サムソンの復旧を諦めることに強く反対していたトム=クインラン市長も行方不明になってしまった。深さ20メートルほどの穴がテント村に出現し、その周辺で姿を消す人間が多いらしい等々。この穴はクトーニアンによるものだ。
テント村ではロイヤル=パントがサクソフォンを奏でているが、特に悪さをするわけでもなく、探索者たちが何か質問すれば答えてくれる。また第1章で登場したボリング刑事も生きており、市民の保護と治安の維持のために戦っている。
麻薬の売人だの、陰謀論を唱える元軍人だの、様々な人間がテント村には集まっているが、ボブ=キーナンもその一人である。彼は55歳くらい、ずっとサムソンでホームレスとして生きてきたが、最近アレックスに出会ったことで人生が変わったと感じ、その体験を他の人と分かち合おうとしている。
ボブは探索者たちにつきまとい、会わせたい子供がいるのだと言い張る。邪険にされても諦めることはない。探索者たちが根負けすれば、ボブは彼らをアレックスのところへ連れて行ってくれるだろう。
アレックスのフルネームはアレックス=ベントン=コードリー。1年半前に両親を亡くし、おじのもとに引き取られたが、こいつは子供を虐待する輩だったのでアレックスは家から出て行き、廃線となった地下鉄の駅で暮らすようになった。みんなアレックスには親切だ。SANが99である以外は何の変哲もない子供なのだが、正気であることは時には一番の武器となるようだ。とりわけフォーク同胞団はアレックスのことを救世主と見なしていた。
駅では、アレックスの周りにフォーク同胞団の人々が集まっていた。その中にはラーリンやテイト博士の姿も見える。冒険のきっかけとなった人物にやっと会うことができたのだ。ドーン=バイオザイムとその黒幕の陰謀を知って逃げ出した自分はフォーク同胞団に巡り会い、彼らの一員になったのだとテイト博士はこれまでの経緯を探索者たちに物語る。博士は安らぎと幸せを取り戻し、トロントから舞い戻ってきたラーリンと付き合うようになった。
リチャード=スレークスも駅に現れた。フル=ウィルダネスの幹部だったスレークスだが、いまやジャティクと袂を分かち、彼の計画を阻止しようとしていた。サムソン大競技場で「奇妙な会合」があり、ジャティクやシャイニーが出席する予定になっているとスレークスは探索者たちに告げる。NWIや軍のお偉方も来るらしい。連中が何を企んでいるにせよ、止めなければならない。
「武器がいるのかい?」といったのはラーリンだった。「あたいの友達が売ってくれるよ!」
ジャティクとシャイニーからもらった大金がようやく活きてくる。金に糸目をつけないで手に入るのは自動小銃や機関銃・榴弾砲など。決戦に参加するのは探索者たちの他にテイト博士やスレークスら、場合によってはジェフとスコットも第5章から引き続き助太刀してくれる。自分も一緒に行くとアレックスは申し出る。実はここが運命の分かれ目で、危険だからとアレックスを駅に残してしまうと、シャイニーが彼を殺しにやってくる。
サムソン大競技場に乗りこむ探索者と同志たち。奴らだけは許せねえといった気持ちだが、なかなか熱い場面だ。会合が始まり、高級車から出席者たちが降りてきた。警戒区域となったサムソンに駐留する軍の司令官であるベンソン准将、NWIの重役、上院議員などである。ジャティクや、アレックスを見つけ損なったシャイニーも来ていた。彼らの思惑は様々だが、いずれも旧支配者に仕えるという点では一致している。眼につきにくいところにはロイヤル=パントがおり、高みの見物を決めこんでいた。
探索者たちは彼らの会話に耳をそばだてる。ベンソン准将の発言から、彼らが「黒の同胞団」の団員であることがわかる。クーデターを起こすよりは、地道に暗殺を繰り返す方が得策でしょうというベンソン准将。失踪したクインラン市長も彼らに抹殺されたのだった。
巨大なクトーニアンが地中から現れ、黒の同胞団は彼に人間の生贄を与えて報いる。さらにシュブ=ニグラスが招喚され、一同はその乳を競って飲んだ。クトーニアンとシュブ=ニグラスが去った後は饗宴に移るが、どのタイミングで戦闘を開始するかは探索者次第だ。場合によっては、ボリング刑事と警官隊が駆けつけてきてくれるだろう。
探索者たちの活躍により、ジャティクらの陰謀は白日の下にさらされた。だがNWIや黒の同胞団が滅んだわけではない。そして、恐るべき首領の正体は謎に包まれたままだ。総帥ニトクリスとの決着の時は未だ至らず、プレイヤーたちはUnseen Masters の刊行を待たなければならなかった(7)。
At Your Door は言うなれば『ユゴスからの侵略』の続編であり、さらに『ニャルラトテップの仮面』とも関連性がある。そしてAt Your Door の物語はUnseen Masters や『デルタグリーン』へと引き継がれている。すなわち、At Your Door を仲立ちとして1920年代と21世紀が結びつけられ、キャンペーンとキャンペーンをつないだグランドキャンペーンとでも呼ぶべきものが形成されているのだ。At Your Door において、探索者たちの勝利は局所的なものに過ぎなかったかもしれない。だが、ウィリスとハーバーが彼らに贈った言葉を借りて本稿を締めくくることにしよう。
強く狡猾な敵との戦いを凌ぎきったのであれば、誇っていいのだ。
生き残ったものたちはこの冒険のことを忘れまい。彼らの記憶は戦士の記憶である。
おめでとう……ただし油断はするな!
本稿の執筆に際し、多大なる御教示をくださった赤虫療養所の管理人さんに心より御礼を申し上げます。なお、本稿の誤りや不備の責任はすべて私にあります。