Fly Away Home (00.2.17)


映画「Fly Away Home」(邦題「グース」)は、卵から孵って初めて目にした少女を母親と思い込んでしまったカモを、母ガモに似せた小型飛行機で先導して南の越冬地まで飛来させるという、実話にもとづいた、心温まる秀作だった。

最初の「刷り込み」の度合いがこのように極端な生物の種があるからには、人間も進化の途中でその習性の痕跡をいくらかは残しているにちがいない。そう考えると、第一印象が大事だという教訓も、案外生物学的本能に根差したものかも知れない。ほんとは、第一印象に左右されないように、というのが人類としての知恵なんだろうが。

私には刷り込まれたという意識は全くないが、オートバイについてはよい印象をもっていた。たとえ暴走族が目の前をぶざまな格好で走りすぎようとも、バイクの事故の悲惨について聞かされようとも、オートバイはオートバイで独立した存在だった。よく考えると、それは子ガモのように、初めて接したオートバイの記憶がどこかにあったとも思える。私のオートバイの最初の記憶は「まぼろし探偵」、幼いころ読んだマンガだ。

普段は新聞記者、事件が起こるとマスクで変装していつのまにか現場に現れる。その神出鬼没の役割を支えていたのはオートバイ。オートバイは正義の使者を運ぶ、忠実な馬だった。オートバイは主役ではなかった。私はそのエンジンが何気筒だったかさえ記憶にない。あの頃は、ヒーローが活躍するには、移動が高速でなければならなかった。月光仮面もたしかスクーターに乗っていたような。鉄腕アトムや鉄人28号にロケットが装備されて空を飛んだのは、空を飛ぶこと自体が重要なのではなく、高速な空間移動が求められていたからだ。

鉄道、道路、空路、それに通信手段が完備するにしたがって、あわや悪人の手にかかろうとしている美女のもとにヒーローがタイミングよく現れて、悪人を懲らしめる、という場面設定は流行らなくなった。馬で駆け巡る西部劇シーンは、鉄道と電話に駆逐されていったとも言える。そうして、オートバイはいつしか正義の象徴として、私の記憶に残った。白バイにたいして感じるある種の憧憬も、どこか近いものがある。だから、第二次大戦の映画で見るナチスドイツのサイドカーなどは「悪の使い」に見えて、腹立たしい。

自由で高速な移動手段。高速と言っても、速度のこととは限らない。渋滞の車を尻目に、その脇をすり抜けていく快感は、「高速」移動そのものだった。きっと、車の窓から私がすり抜けて行くのを見ていた子供は、バイクが車より「えらい」乗り物として、刷り込まれてしまったことだろう。そうしていつか、その後を追う。もうひとつの Fly Away Home 物語。





追記: 今日の日経産業新聞に全面広告で、なんとタイミングよくオートバイに跨がって腕組みしている月光仮面が掲載されていました。多分ほかの全国紙にもあったでしょう。広告主はNTTコムウエア。でも、なんで月光仮面なんですかね。ところでこのオートバイ、見たところHONDA ドリームC70 みたいです。1957年のホンダ初の二気筒モデル。247ccで最高出力18PS/7,400rpm、最高速度130km/h と記録にあります。写真と仕様は、ホンダコレクションホール で見ることができます。子供のころ、一度映画で見ただけで、乗っていたのがスクーターだったように記憶していたのは、バイクで走るシーンがあまり速く見えなかったためか、または車体色が白だったせいでしょうか。(00.2.21)


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