「あんな大人にぼくもなりたい」 (00.7.1)


その昔、高校生だった頃、子供っぽい私からみるとずっと大人びた同級生がいた。揚げ足取りが得意で、大人社会に批判的なその男子生徒は「大人ってきたねえよな。うそつきで建前ばっかり。自分のやりたいこともなくてさあ」と難しい議論をしていた。確かにそのとおり、道理の通用しない大人社会、汚職と利権にまみれた政治。死語のような「正義」。あんな人になりたい、と思える人物は誰がいただろう。だが、その批評に首肯くものがあったものの、手放しで同意する気にはなれなかった。ちょっと待てよ。

大人を十把一絡げにしていることが気になったのではない。よく考えてみると、今十代のおれたちは特別利口な世代であるはずがない。子供は皆同じだとしたら、今「大人をしている」人達も子供の頃は、今のおれたちのようにやはり「大人は汚い」と言っていたのではないか、と思いついたのだ。なんのことはない、「あんな大人になるものか」と純粋だった子供が、その汚い大人になっているのかも知れない。ニーチェの言うのももっともだ、「敵を選ぶには心せよ。その敵に似てしまわないように」。

あれから30年経った。今私は、あんな大人になるものか、と嫌った大人になっていないだろうか。それともいまだ子供のままなのか。

働き盛りのおとうさんは、子供と話す時間もないくらい長い労働時間と遅い帰宅を自慢していないか。おとうさんはおまえ達のためにこんなに頑張っているんだ、と内心子供に自慢していないか。でも、子供だったころの自分を思い起こそう。仕事に追われる父親と、好きなことに熱中している父親とでは、どちらが好きだったろう。

ほんとはバイクに乗りたいんだけど、今は子供に金をかけて、大きくなってゆとりができてからにしよう、と考えている父親は確かに子供思いだ。だが、シュタイナーの言うように、「貧しさは人をよくしない。だが豊かさが人をよくするとは限らない」。

お金ができ、ヒマになってからモーターサイクルに乗るのも、それはそれで楽しいだろう。けれど、忙しくて金もゆとりもないと思う今こそ、じつはモーターサイクルが自分の生活に輝きを与えてくれるかも知れない。音楽少年だった子供の頃、やっと貯めたお金で買ったベートーベンのレコード1枚1枚を、すり切れるまで聴いたものだ。ノイズの多いプレーヤーでも、そこには自由と独立不羈の精神空間が広がっていた。その同じ録音が今CDでタダのような値段で手に入る。だが、今さらその演奏を聴いても、それは昔聴いたベートーベンではもはやない。そう、何事にも秋(とき)がある。

30代、40代は働き盛りなどと思い込まされて滅私奉公しているおとうさん。バイクに跨がって、そんな世間常識にちょっぴり反抗して見よう。子供だった自分をタンデムシートに乗せて一緒に旅に出よう。あんな大人にぼくもなりたい、と子供の自分なら思ったはずだと、なつかしい記憶のささやく声が聞こえるなら。



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