表題の「極端に短い」が修飾している「歴史」とは、時間としての歴史ではなく、書かれた歴史、つまり 浜野保樹氏による同名の著書(1997年 晶文社)です。その名の通り、この本は150ページほどの薄い単行本ですが、この茶目っ気のある書名はどこか著者の自負を表しているようにも感じます。
本書はなにも、薄いことだけをウリにしているかわけではありません。インターネットの誕生をあつかったまともな書籍がなかったなかで、いきなりドラマのような完成したストーリー性をたたえて登場したこと、しかもそれが世界に先駆けて日本語で書かれたということが、本書の最大の特徴と意義です。
現在、産業の構造的変化を引き起こしているインターネットの、その歴史が広く知られていないままに「IT」革命などとスローガンだけがもてあそばれているのは、ひとつには情報知識革命が進行中のためでしょう。さらに、歴史家が通常そうであるように、変化が終結して史料が出そろってから無難な歴史としてまとめればよい、との安全指向もあるかも。でも、なにかが進行しているまさにその時に、それを同時代史として記述することに意義がある場合もあるでしょう。
本書は1997年10月の発行で、内容は1996年くらいまでの事実を扱っています。1996年はインターネットがようやく普及し始める時期です。ですから、本書は、過去としての歴史を扱いながら、同時に未来を展望することを意図しています。で、衝撃的なのは、第一章が第二次大戦の原爆の開発から説き起こされていることです。原爆の投下実験の対象にされた日本に生まれた者としては、インターネットの出自を原爆に求めた本書のプロットに思わず引き込まれてしまいます。
本書は原爆に始まり、WWWとネットスケープの登場をもって終わっています。WWWが新しいビジネスの始まりとして、あらたなプロローグを暗示していることは読者に明白です。そして、実際の「歴史」はそのとおりに延長されて現在に至っています。
ここで、WWWがどうやって生まれ、どう発展したかを知ると、「あった歴史」とともに「なかった歴史」も同時に考えざるを得ません。マイクロソフトという企業が、パソコンOSの独占的支配によって大もうけしたことは、コンピューターの歴史としてよりも、マーケッティングの教材として簡単に扱われるべき題材ですが、そのマイクロソフトよりも大もうけできたのに、そうしなかったために今日のWWWとインターネットの発展があるのは、その発明者のTim Berners-Leeと彼の所属していたCERN(欧州原子核研究機構)に負うものです。
同じく1997年に原著が出版されたらしい「インターネット ヒストリー」(邦訳 1999年 オライリー・ジャパン)は、インターネット誕生にかかわった人たちのインタビューや回想でまとめられていますが、そこにTim Berners-LeeによるWWW誕生の回想が掲載されています。その中に、上のWWWのライセンス料の放棄のいきさつの記述もあります。そうして、2000年という現在から振り返るとひときわ興味深いのは、1997年(またはそれ以前)の時点でWebの将来について、その「最悪のシナリオ」としてこんなことがありうると予測していることです。
まずオペレーティングシステムが組み込まれたコンピュータを購入します。家に持ち帰って電話につないで、情報空間を探索し始めます。するとすぐにトピックがリストになって出てきます。ショッピングのセクションへ入って行って、新しい靴を注文します。それから政治のセクションへ行き、政見を読みます。一見問題はないように見えますが、知らないうちにコンピュータが動き始める場所が実はある特定の企業にコントロールされているのです。自分で選んで買った靴はあらかじめ選択された靴店の商品であり、選挙の候補者も慎重に選び出されていて、ある特殊な世界観などを押し付けられているのです。(p.207)極端に短いインターネットの歴史は、もっと長い未来の歴史を見据える視座を、与えてくれているかのようです。 7月14日、フランス革命記念日のコーヒーの香り。