コーヒーブレーク『13デイズ』 (01.1.21)


ケビン・コスナー主演の映画『13デイズ』を見てきましたが、私にとってはちょっと期待はずれでした。特別補佐官のオドネルという、ドラマの中心人物達から距離をおいた人物の目で、ホワイトハウスの内側を見た設定は良かったものの、このオドネルさんが活躍しすぎて、ケネディ兄弟、とくにロバート・ケネディがまるで子供のように見えてしまいました。これが6年後に大統領になるところだった人物には見えませんね。テレビドラマとしてならガマンするところですけど。

しかし、前の回の上映を見ていた若い3人の女性が、「いい内容だったね」と話し合っていたくらいだから、きっと初めてキューバ危機をドラマで見る人にはいい映画ではないかと思います。年末に一挙再放送されたNHKの「映像の世紀」シリーズでも、このキューバ危機の生々しい記録が含まれていました。だから考える資料として多くの、とくに若い世代の、人たちに見てもらいたいところです。

映画はその題名からして、ロバート・ケネディの回想録『Thirteen Days - A Memoir of the Cuban Missile Crisis』(1968)をいちばんのベースにしていることは予想できました。それは、ホワイトハウスの中で、所属の異なる要人たちが、とるべき方策について議論を戦わせながら、最後の決断はケネディ大統領が行った、その意味では歴史がそのままドラマ仕立てになった13日間でした。ロバートのこの回想録が出て初めて、どのような議論が交わされたかが、事実として明らかになりました。それ以前に、そもそもあらゆる意見が自由に出て議論されたという事実にも、大きな意義があろうというものです。

私にとって映画に新鮮味が感じられなかったのは、すでに戯曲の形でこのドラマを25年前に読んでいたからでした。岩波新書で出た『人類危機の13日間 - キューバをめぐるドラマ 』(ジョン・サマヴィル著、中野好夫訳 1975)は、翻訳の言葉遣いが丁寧すぎてちょっと違和感がありますが、そこで議論された内容はじつにリアルでした。キューバ危機は、一般には世界を核戦争から救ったとしてケネディを持ち上げるスジ立てが固定していますが、事実は、開戦派を押さえてギリギリの交渉を続けたことはケネディ兄弟に負うものの、最後はソ連がミサイルを撤去しなければ攻撃するという決定をしたのもケネディでした。この戯曲はそれを冷静に指摘しているので、恐怖は、そのときケネディが核戦争になるだろうと予想しつつも、そう決断せざるを得ない状況に追い込まれたことでした。

それともうひとつ、25年前と比べて、アメリカ側ばかりでなくソ連側の資料も新たに出てきているだろうと期待したのですが、それもなく、これでは2000年末という時期にこの映画が作られた意味が、見いだせません。それが、私にとって期待はずれだった理由でした。

20世紀は世界大戦、それも大量虐殺の世紀としてまず歴史に残ります。原爆がアメリカで生まれ、それが広島長崎に投下、ソ連がつづいて原爆をもち、人工衛星でアメリカに軍事的に先行する。冷戦が始まり、ベルリンに壁が築かれ、アメリカではキューバへの侵攻を軍部とCIAが画策したもののケネディのために失敗に終わる。そうしてこの後に勃発したのがキューバ危機でした。

おそらくはこのキューバ危機での対応が原因で、翌63年にケネディは暗殺、ベトナム戦争は拡大の一途をたどることになります。ソ連ではフルシチョフ失脚とチェコ侵略、68年にはロバート・ケネディ暗殺。中国は文化大革命で歴史を大きく空回りさせていて、大国としての役割を果たせずにいました。経済大国、政治小国日本は、ただ風になびくだけの草。

この60年代後半は同時に、ベトナム戦争に反対する運動と相まったカウンターカルチャーの機運の中で、コンピュータを世界の変革に生かそうとするハッカーが活躍を始めるときです。アラン・ケイがPARCでパーソナルコンピュータの理想としてダイナブックというビジョンの実現に着手するのが72年。その延長線上でやがてアップルが84年に、アラン・ケイの夢に一歩近づいたマッキントッシュを誕生させます。日本ではPCと言えばもっぱらNEC製PC98を意味し、IBM-PC/ATなどほとんど知られていなかった87年、初めて目にしたマックがやがて私の仕事法と思考法を変えてしまいました。

60年代後半の反体制運動は世界共通で、日本でもベトナム反戦と学生運動が盛んなときでした。私が学生時代を過ごした70年代前半は、学生がビジョンを失い、暴力が横行する荒れ果てた大学の多い時代でした。この70年代はまた、60年代の高度経済成長がもたらした否定的側面が一気に噴出した時代。68年に発表されたホンダCB750フォアがその後の日本のモーターサイクル史を大きく変えたものの、同時に70年代という時代にバイクにのめり込んだ若年層には、時代の混乱する様子が影を落としているようにも見えます。続発したバイク事故と暴走行為は、その後の免許制度変更をもたらすものですが、事故はバイクの性能のせいよりも、乗り手の社会逃避的なバイク嗜好によるものもあったかも知れません。

80年代にふたたび安定した経済成長が始まると、女性や主婦も原付きバイクに乗ることですそ野が広がり、さらに自動二輪まで女性が乗り始めると、バイクブームが生まれました。バイクなどに全く無関係だった私がバイクに初めて目覚めるのも、こうした時代背景によるものです。やがて経済的に豊かになると人々は二輪から四輪へ移行し、ライダー人口は減り続け、バイク販売数はピーク時に比べるといまではその3分の1。

考えると、キューバ危機の原因が原爆にあると同時に、原爆がもたらした結果のひとつがインターネットとパソコンでもあるなら、このHPの原稿をパワーブックで今打っていることとも無関係ではありません。私としてはオリバー・ストーンに制作してもらいたかったなあ。そうしたら『13デイズ』は少なくとも『JFK』の前編のようになっていたことでしょうに。



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