バイクデザイン考 終章: パーソナルマシン (01.3.21 追記01.3.24)


私は初めて買った車にまだ乗り続けている。12年前のシビックだ。まだ7万キロしか走っていないこともあるが、屋内駐車場のせいもあるし、車にしろバイクにしろ私は機械の扱いがうまいらしく、ほとんど痛んでいない。知らない人は、私がいつも洗車していると思っているようだ。ワックスは2,3年に一度かけるだけで、あとはいつも水洗いだけなのに。とは言っても世間の見栄というものもあるから、田舎に帰ると、「こんなちっちゃい車から、そろそろいい車に買い替えたら?」とまわりにやんわり諭される。他人をしょっちゅう乗せるならドアの4つある車にしたいところだが、ほとんど買い物とツーリングなのでこれで満足している。なによりも、この1600cc DOHCエンジンはマニュアルギアとの組み合わせがいいみたいで、バイクのようにちょっとアクセルを踏むだけですぐに反応してくれるし、加速も機敏だから、私にとっては4輪のバイクだ。燃費もいいし。そんなわけで、まだまだ元気なマシンを廃棄処分する気は毛頭ない。

CBXもエンジンの息が尽きるまで何十年でも乗り続ける予定だった。車もバイクも、洗車と整備さえちゃんとしれいれば、驚くほど長くもつものだ。そういえば、CBXはあまりサビが浮いて来なかった。とはいえ、交換するパーツも入手困難になるから、場合によっては古い車やバイクに乗り続けるのは、新車を買うよりも高くつくかも知れない。それは、バイクを消費財と見るか、文化財と見るかの違いでもある。

ツーリングをするライダーならだれもが、一緒に旅するバイクを相棒のように感じているはずだ。家族の一員のように室内に置きたいと思う人だっているだろう。実際に、狭いアパートの中にバイクを持ち込んで大家から追い出された学生の話も聞いたことがある。話した友人は笑い話のつもりだったが、私にはその気の毒な学生の気持ちは理解できた。室内とは言え、なに、ペットの犬と同じに考えればいい話で、突飛でもなんでもない。単なる機械でもなく、使い捨ての道具でもなく、バイクに対する愛着は趣味の領域であり、それぞれのバイクの価値はそのユーザーだけのものだ。

そのバイクをこんなに身近に感じるひとつの要因がそのデザインにあることは間違いない。外観だけではなく、個々のパーツの材質から性能まで、設計者の思い描いたバイクの個性が、ひとつの有機体としてカタチとなっているかどうか。そう見ると、デザインという用語より機能美とか造形美というほうがぴったりする。

20世紀の消費財と文化財の中で、機械でありながらその持ち主に愛されるものは他になにがあるだろう。腕時計、それともテレビ? カメラは? コンピュータが何億円もしていたころ、すでにパーソナルなコンピュータを想像した人がいた。今それは現実になったが、ほんとにパーソナルなマシンとして登場したマッキントッシュ*1)から、いったい何が変わっているだろう。モーターサイクルはそんな数少ないパーソナルマシンだ。機械としての冷たさではなく、そこに感ずる生命感と温かさが、いつまでもライダーを惹きつけていると思う。昨今話題になる人型ロボットを、二本足のモーターサイクルのように見てしまうのは、私だけだろうか。




*1) 追記:Mac OS X(01.3.24)

今日3月24日にMac OS X (テン)が世界で一斉に発売になりました。私のPowerBook G3もサポートされているらしいから、いずれインストールして見ようと思っています。私は1988年のSystem 6 (Macintosh II)からのユーザーですが、このころは、まだ日本語環境が整っていなかったので、OSもQuark XPress 2.0、Illustrator 88も英語版を使っていました。今回のOS XはUNIXベースなので、インターフェースはこれまでのMac OSに似せているものの、中身は別物。その意味ではマッキントッシュが最初に登場して以来の大転換です。Linuxへの対応にもっとも力を入れているIBMが、やがてLinux ノートパソコンを出してくるのも時間の問題でしょう。景気の減速をもろに受けて、これまで会社でのビジネスユースが支えてきたパソコン需要にかげりが見えて来たのが2001年なら、ワープロや表計算または社内端末としての道具から解放されて、グラフィック、動画、音声(音楽)、通信(インターネット)そしてプログラミングと、パーソナルコンピューティングの本来の姿がやっと見えて来るのも2001年かも。



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