『Just For Fun』 (01.07.29)


オリンピックが最たるものでしょうが、スポーツの国際大会などで、以前は悲壮な日の丸を背負ってカチカチに緊張して成果を上げられなかった選手が多かったものです。そんなニッポン人を、外国の選手と比べて、「もっと楽しく競技できないとダメだ」とばかりに、「楽しむ、楽しめ」合唱が定着して久しくなります。そのせいか、無意識かもしれないけど、選手自身も「楽しむつもりで参加します」なあんてインタビューに答えてしまう場面を、いつもいつも見せつけられることになります。

この常套句も、気づいてしまうとばかばかしいだけなのですが、変化に対応できないマスコミのこと、競技の後のインタビューで、「楽しくプレーできました」の一言を引きだそうとしたり、「XXスマイル」がどうのこうの、と「楽しむプレー」を強要すること限りなし。

そう思って注意してみると、「楽しめた」と言えるのは、優勝したりいい成績を出せた選手だけで、負けて「楽しかった」などという選手ははたして受け入れらるものでしょうか。勝った後では、それまでの苦労も含め、すべてが楽しく思えるだけのことでしょうか。

『それがぼくには楽しかったから』(原題:JUST FOR FUN: The Story of An Accidental Revolutionary 風見潤訳 小学館プロダクション)はLinuxの作者リーナス・トーバルズとジャーナリストのデイビッド・ダイヤモンドの共著になるものですが、これは勝者の「楽しかった」回想ではありません。リーナスはそもそも成功を求めてLinuxを開発したのではなかった。それが、知らずにコンピューター史上の革命の引き金を引いたばかりか、その進行のかじ取りをこなしています。この本はそんな「たまたま革命」の発火と、それがどうして燎原の火のように広がっているのかを、現在進行形で語ったものです。

本書は、しかしながら、それにふさわしい紹介をされずに来ました。まず、Linuxの作者の「自伝」として書評に上がったので、私のような伝記嫌いにとっては、いくらLinuxファンでも、読もうなどとそそられることはありませんでした。それと、本全体のテーマをそっちのけで、一部分だけ面白半分に引用されることも、読者を遠ざける理由になっているかも知れません。たとえば、Mac OS Xのカーネルとして使われているMach (マッハ、またはマーク)について、

MachはあまりいいOSではないというぼくの意見を、ジョブズはまったく理解できないようだった。正直言って、あんなのはくそだ。設計段階で、間違えられるところは全部間違えている。(p.227)

という一節が、マック批判のような扱いで引きあいに出されたものです。前後の文脈をちょっと読めば、的外れの引用だとわかるものですが、気を悪くしたマックファンもいたでしょうか。

副題の " The Story of An Accidental Revolutionary" が示すように、これは計画されたわけではない革命について、その中心人物がオープンソフトウエア運動のフィロソフィーと事実を語っているものです。そうして、どうしてLinux がオープンソース運動で成功しているのか、そのヒントを与えるものです。オープンソフトウエアは、一般には理想主義的な理念とともに語られがちですが、事実は記事よりも奇なり、です。

GPLとオープンソフトウエア運動は、リチャード・ストールマンのフリーソフトウエア運動の系譜の上にありますが、そのストールマンとGPLについて、次のようにコメントしていることは興味深いことです。

ぼくが思うに、彼(リチャード・ストールマン)をオープンソースの推進へと駆り立てるのは、商業主義に反発しているからというよりも、むしろ阻害されたことに反発してるからじゃないだろうか。(中略) だれでもゲームに参加できるようにしたGPLは素晴らしいものだ。それが人類にとってどれほど大きな進歩か、考えてほしい。(p.290)

ソフトウエアをめぐる問題とは、その著作権と使用許可についての議論です。

芸術作品を売るのじゃなくて、その作品で何かをする許可を売り、依然として著作権を持ち続けることができるんだ。言うなれば、二兎を得てしまうわけ。世界のマイクロソフトがやっているのが、これだ。何かを使う権利を延々と売り続けながら、失うものは何もない。人々がこういう類いの財産を持ちたがるのも無理はない。 (p.305)

ゲイツ氏が有り余る金でCorbis (http://www.corbis.com/) という会社を起こして、世界の美術館の絵画の「デジタル化権」を独占しようとしていることは、あまり知られていないようです。

知識やテクノロジーを独占して金儲けしようとしても、必ず失敗するのはどうしてか。そしてオープンソースがなぜ成功しているのか、なぜそこに「楽しさ」が入ってくるのか、それに興味をもった人が本書を手にすることになるでしょう。あっ、でもこの本そのものを無理に「楽しもう」としないことですね。退屈で冗長なところもありますから。

スポーツに戻って、競技で成果を上げんがために、「楽しもう」などと気負う必要など、そもそもないんです。練習のときも、練習以外の生活のときも、もちろん本番の試合のときも、全部が人生の楽しむべきときなんだから。バイクだって、乗っているときだけがバイクの楽しみかどうか。ライダーであること、バイクのある人生の楽しさだって、あるでしょう。原題の 『Just For Fun』 は、過去形ではなくて、「人生楽しくやろうぜ」というメッセージが込められています。



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