シカゴ再訪(01.9.10 追記02.10.14)



またシカゴに仕事で来ておりますが、こちらはまだ夏の陽気です。9月の中ごろから秋になるのでしょうか。しかし、秋は短く、冬のシカゴは零下20度にもなることがあるそうで、寒さは半端ではないそうです。9月2日の日曜日は、雲ひとつない快晴で、ダウンタウンに向かうハイウエイでも、メットなしのライダーばかり。一応サングラスをしてはいるものの、これで100キロ近い速度。暗くなってもサングラスで走っている。



ダウンタウンにハーレーグッズを売るChicago Harley Davidsonがあり、ジャケットやTシャツから小物まで扱う店内は女性客が意外と多い。でも、売られているのはMade in China が多かった。ハーレーは、アメリカで作られなければハーレーで無くなってしまいそうだが、それはアメリカの文化の一部のようになっているせいか。



店の前には、それこそ傷ひとつついてなくてピカピカのハーレーが何台も。人に見てもらうのも楽しみなんでしょうね。しげしげ見ている我々にオーナーが寄って来て「跨がってもいいよ」。早速友人が跨がる。黒シャツにジーンズで、サングラスまでかけているとちょっと怖そうな雰囲気があるけど、みな優しいライダーたち。若いときにCB750Fourに乗っていた友人は、あとで「おれもハーレー買いたいな...」とポツリ。



ダウンタウンの中心地であり、かつミシガン湖に面したGrant Parkは市民の憩いのエリア。6月はBlues Festivalの当たったが、今回はJazz Festivalでした。Blues Festivalが夏の始まりを告げるかのような雰囲気だったのに対して、Jazz Festivalには、どこか夏の終わりの気配がありました。



そのGrant Park沿いの道路で、サイドカーのような二輪車が自転車に引かれて、中には子供がちょこんと収まっている。初めて見るが、こちらに住んでいるスタッフに聞いたら、珍しいものではないけど、かなり高価なものとのこと。シカゴはダウンタウンから広がる郊外に、ところどころ広い自然保全林を設けていて、サイクリングロードなどがある。大都市だが、道路や家のまわりの芝も広くとってあり、緑豊かな町であることに驚く。



6日の『シカゴ・トリビューン』の第6部「車」の第一面に、モーターサイクルのオークションの記事。写真は1914年製のSears Dreadnaught というモデルで、世界に数台しか残っていないとか。10万ドル、つまり1200万円、以上の値がつくだろう、とある。




追記(02.10.14):9.11

このエッセーをアップロードした翌日、自爆テロ事件が発生しました。シカゴで私が感じたアメリカの様子は、『ヘッドライト・テールライト』でお伝えしました。けれど、その時はまだ、この事件の背景とそれがどのように展開するのか、分かりませんでした。その後、いろんな事実が明らかになっているだろうと期待していたものの、肝心の真実は蓋をされたままのように感じます。以下に1年後に『ヘッドライト・テールライト』に記したコラムを転載しておきます。


 ('02/08/22) 
『あの日から世界が変わった』

20日付けのこのコーナーで、マックスのバイクについて引用させてもらった大阪のTさんというのは、じつはニューヨークに長く住んでいて、今年帰国した私の友人です。去年の9月11日、私はたまたまシカゴにおりました。テロの衝撃とそのときのシカゴの様子は、やはりこのコーナーで「シカゴ特派員報告」として現地からお伝えしました。

友人はNYでガイドをしていたので、ひょっとしたら客をツインタワーに案内していたのでは、と心配して安否を確かめたものでした。その友人が、「たけちよ」のペンネームで、テロの日から帰国する日まで、NYの住民として、また日本人の目を通して、NYの人々の様子を描写したのが表題の本です。(2002年8月 コスミックインターナショナル発行)多くの人がテレビの報道から想像したであろう惨状とはまた別のNYの顔が見えます。

シカゴにいた私は、朝ホテルでテレビのスイッチを入れた途端に、炎上しているツインタワーに、2機目が突っ込むシーンが目に飛び込んで来ました。それからは、アメリカの人々がどう反応し、なにが報道され、なにが報道されないか、観察していました。テロの当日、私が待っていたのは、いったいアメリカ大統領はいつテレビに現れて、国民にどんなメッセージを送るのか、ということでした。こんな国家の非常事態に、世界最高の権力者は直ちにテレビで国民に向かって、語るべき言葉をもつだろう、と期待していたのです。

その夜になって、やっとテレビニュースでみたブッシュの演説は、なんとも心細い印象を与えました。テレビで会見するジュリアーニ市長のほうが、よほど救助活動に指揮権を発揮していたのと好対照でした。それから、報復の気運が高まると、「十字軍」という失言から、ついには「世界はどちらかの陣営に与しなければならない、アメリカの側か、テロリストの側か」とまで暴走した弱き大統領の大決断で、さらに『世界が変わった』この1年の推移を、一周年を迎える前に冷静に振り返ることは、意味あることに違いありません。


 ('02/09/08) 

『ぬりつぶされた真実』- 9.11はジャーナリズムの試金石

金曜夜の「ニュース23」で放送された、筑紫哲也による『ぬりつぶされた真実』(ジャン=シャルル・ブリザール/ギョーム・ダスキエ共著 幻冬舎)の著者とのインタビューに関心をもち、早速書店の「9.11 コーナー」で購入しました。この翻訳は今月に入ってから発売されたものですが、原著『Ben Laden: La verite interdite』は昨年の11月14日にフランスで発刊されています。どうしてそんなに早く書けるのか、と思ったら、著者のふたりは、「(あのテロリストたちを)自由に行動させていった政治的うしろ盾、金融ネットワーク、石油問題、そして闇の駆け引きについての三年間の調査をまとめたもの」といいます。それが9月11日の事件のために、「我々はできるだけ早く本書を出版しようとした。なぜなら、すぐにアメリカがアフガニスタンへの軍事行動を開始しようとしたからだ。」本書では、オサマ・ビンラディンとブッシュ政権が、石油と天然ガスの利権をめぐってずっと接点があったことが指摘されていますが、確かに、京都議定書からの離脱、エンロンスキャンダルなど、ブッシュ政権のエネルギー政策とつじつまが合います。

ついでに買ったもう一冊『仕組まれた9.11 アメリカは戦争を欲していた』〔田中宇著 PHP研究所)は今年の4月に刊行されたもので、その中にも上記の本の引用がありますが、もっと具体的にエンロンスキャンダル、ビン・ラディンとCIAとの関係、炭疽菌事件の疑惑、その他マスメディアが敢えて触れようとしない事実についても立ち入っています。なかでも、ブッシュ家の三代にわたる政治ビジネスについてページを割いており、その中で、CIAとの関係にふれて「ケネディ暗殺とブッシュ」を論じています。父親のジョージHブッシュ前大統領がCIA長官になる前、ちょうどケネディ暗殺の時期、CIAの工作員だったのではという疑惑に言及したものです。これは私もケネディ暗殺にかんする文献で読んだことがあります。以下の本に、その1988年の報道記事の全文があります。すでに絶版でしょうが、図書館にはあるでしょう。『Plausible Denial』(マーク・レーン著 1991年 邦訳『大がかりな嘘 だれがケネディを殺ったのか』扶桑社 1992年 565ページ)。

9.11以後、ブッシュ政権の戦争政策に反する報道はタブーとなり、情報操作が行われてきました。でも、マスメディアは統制できても、インターネットは、もともと「センター」をもたないシステムなので、それを生んだアメリカでさえ支配するのは難しいでしょう。

この2冊の本の著者は、どちらもインターネット上でもニュースの解説発信活動を行っているジャーナリストです。

 http://www.intelligenceonline.com

 http://www.tanakanews.com



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