2,3年で陳腐化して買い替えられてしまう現在のパソコン浪費市場からは想像しにくいが、17年も同じ設計のまま利用され続けた英文ワードプロセッサーがある。CPT という名のそのアメリカ製のワープロ機は日本では知る人は限られている。一般消費者向けではなく、あくまで業務用に使われていたせいだ。このCPTは、日本語ワープロとは根本的に異なる。かたや日本語ワープロがかな漢字変換による活字風文書印字機であったのに対して、この英文ワープロはタイプライターにコンピュータの頭脳を与えるべく設計されていた。つまり、操作が完全にタイプライターを模擬していながら、コンピューターによる修正、切り張り、データベースはもちろん、同じ画面上で計算機能が使え、かつスクリプトによるプログラミング環境まで備えていた。
1980年代初めの設計のこととて、ハードの性能は今と比べて雲泥の差がある。メモリーはわずか128Kで、内蔵のハードディスクはない。8インチのフロッピーディスクドライブ2基が装着されたのがトップモデルだった。モニターに当時まだ高価だった白地の、A-4サイズ縦型スクリーンを採用したのは、この白地を「紙」に見立てて、下からスクロールされるユニークなインターフェースに徹していたせいだ。この「白い紙」もサクサク動いてくれて、遅いと感じたことはない。
今のワープロソフトやテキストエディターではテキストを一本のテープのつながりのように扱うのにたいして、このCPTのカットアンドペーストでは縦のコラム式にも切り抜くことができた。あたかも、文字を画像のようにビットマップ配列しているようなものだ。しかも表計算ソフトのようなセルを使うことなく、テキスト画面のままで数字には演算が機能した。簡単なスクリプトで、複雑な計算も自動化できる。
このCPTシステムはインパクトプリンターを含めると400万円もした高価なものだった。日本の販売店は、英文タイプライターが最も使われる貿易実務用途に特化して販売した。そしてそれはまさにぴったりの市場だった。用途からしても、購入能力からしても。ワープロ機としてソフトとハードの完成を見たのが1982年あたりだったと聞くが、私が職場で購入を決めたのは1984年の冬、今からちょうど17年前のことだった。
当時、海外営業と貿易実務には、タイプライターとテレックスが主役だった。この1980年代初めは、記憶する人も多いかと思うが、第一次OAブームがあった。各社がオフコンを導入するとともに、いろんなパソコン(マイコンと呼ばれていた)メーカーが生まれ、パソコン教室が大はやり。教えていたのはBASICによる簡単なプログラムだった。OAに乗り遅れまいと、多くのサラリーマンがパソコンを買って、BASIC を勉強した姿は、今日表計算ソフトの入門書に取り組む社員の姿と重なる。またペーパーレスが標榜されながら、実際には紙の消費が激増したのも、今と全く変わらない。
私は当時のパソコンにはあまり関心がなかった。BASICでプログラムするなんて、ビジネスには現実的でない。それは研究者やプログラマーの世界の話だ。当時、すでにIBMのメモリー機能付きの電動タイプライターを使っていたが、なんとか貿易書類の作成にコンピューターを利用したいと思い、いろんなシステムを調査した結果、最終的にこのCPTに決めた。高価なものだったが、充分に期待以上の働きをした。購入してすぐに私が作ったプログラムはそのまま今でも使われている。システムのソフトは、購入当時のまま、アップグレードはない。もう完成していたし、必要もなかった。
このシステムソフトは、英文タイピストにまったく違和感を与えないほど、完璧な設計がされていた。英文タイプの知識さえすれば、誰でもすぐに使い始めることができた。ちなみに、私の部では新人の採用にはコンピューターの知識は不問だった。英文タイピングだけが必須で、それさえできればすぐにコンピューターに習熟するのは、今も同じだ。さらに、テレックスに繋いで受発信もこのCPTから行ったので、これは今で言う電子メール的利用法だった。本体とキーボードのデザインも人間工学的に優れたもので、初代マッキントシュのデザインに影響を与えたのではないか思えるような類似点がある。
聞いた話だが、このソフトを開発するにあたっては、一人のプログラマーにタイプライターの使い方とレターの書式を徹底的に教え込み、タイピストの立場から全機能を設計させたらしい。すぐれたインターフェースと統一感は、そんなところから来ている。私はコンピュータとはどうあらねばならないかを、このCPTから学んだ。だから、この数年後マッキントッシュを初めて見たとき、これがさらに進化したインターフェースだと直感した。
それほど完成度の高いワープロ機だったが、ワープロの一般需要はパソコンのワープロソフトへと移っていった。上の写真のモデルは買った当時のものだが、10年使い続けた後、ついに部品調達も出来なくなり、PC/AT互換機ベースのハードにソフトを移植したモデルに買い替えとなって現在に至っている。それもハードの保守が困難になってきており、長く働き続けたたワープロがいよいよ最期を迎えるのも時間の問題となっている。CPT社はすでに無い。
そのCPTは、いまや語り継ぐ人もなく、コンピューターの歴史にも占める位置を見いだせないでいる。インターネットの検索にもヒットしない。無理もない。これは、それ以前に類似機種をもたず、また以後に同じ系統の子孫を持たない、孤高の作品なのだから。だから、そっとここに、長く使った者のひとりとして回想録を残しておこう。べつに、消え行くものの感傷に浸るつもりはない。ただ、このCPTの導入から毎日仕事で駆使した期間が、ちょうど私がバイクに乗りだした期間と重なった。CPTもCBXも、どちらも使っていてじつに気持ち良かった。そしてどちらも、ユーザーに愛され、その記憶にとどまる幸せなマシンであったと思う。