コーヒーブレーク「けれど、コンピューター革命はまだ始まっていない」(02.11.29 / 追記 02.12.13)


『英英辞典』という名の辞典がいつのまにか書店にたくさん並ぶようになった。一般名詞のような書名だが、そもそもこれが『広辞苑』同様、ある辞典の商標名、つまり固有名詞であったことを知る人は少ない。二カ国語辞典を『英和辞典』や『漢和辞典』とは呼ぶが、国語辞典を『和和辞典』と呼ばないように、『英英辞典』は本来の日本語ではなく、ただ単に『英語辞典』と呼ばれるべきものだ。

その『英英辞典』の元祖は、今でも開拓社から出版されている『新英英大辞典』、原題は Idiomatic and Syntactic English Dictionary で、どこにも English-English Dictionary とは謳っていない。初版が昭和17年4月の発売で、英語学習者を対象にしたこの独創的な辞典は、読者が英和辞典から脱して英語の辞典を利用できるようにとアピールするために、敢えて『新英英大辞典』という造語を掲げたようだ。もともと卓上版の「大辞典」だったが、いまでは縮刷版だけなのでこの書名には違和感が伴う。

この辞典は戦後Oxford University Press からOxford Advanced Learner's Dictionary of Current English 通称OALDの名で出版され、改訂を重ねて今や第6版となり、そのページ数も『新英英大辞典』よりはるかに「大」辞典になってしまった。

私は高校時代からこの『新英英大辞典』とOALDをずっと利用してきて、いまだ learner の域を脱しないが、最近では小さい文字を読むのが苦痛になってきた。そこで先日、電子辞書なるものを買った。OALDが収録されていること、ポケットに納まる軽量コンパクトなサイズであること、それと処理がリアルタイムで速いことが決め手になった。今まで電子辞書にはさほど関心がなかったが、ブラウザーのように辞書から辞書へリンクされる(ジャンプと呼ばれている)ので、これはページをめくるよりも便利だ。そもそも検索が辞書の目的だから、印刷メディアよりもコンピューターのほうが辞典に向いているはずなのだ。

ショップの電子辞書コーナーには、ノートパソコンよりも多いくらいのさまざまなモデルが並んでいる。最新のものには、広辞苑に加えて、家庭医学事典や百科事典まで収録しているものもある。これで思い出すのは、リチャード・ファインマンが1959年に行ったナノテクノロジーについての講演だ。その中で、ファインマンは、「ピンの頭ほどのサイズの中にプリタニカ百科事典の全24巻がそっくり納まらない理由はない」という、今からすると驚くほど先見的な話をしている。これはコンピューターの話ではなくて、たんに原子論的な帰結としてだが、メモリーチップの製造もナノテクノロジーと言えるだろう。

けれど、本や印刷メディアがデジタル化されたからと言って、コンピューターが本にとって代わったわけではない。知識が本、それも写本ではなくて印刷による同等なコピー、として広がった歴史は長い。18世紀フランスの『百科全書』*1)は、印刷物がそのコンテンツで人々の生活や考え方を変えた象徴的な出来事ではなかったか。

それに比べると、まだまだコンピューターは、印刷と紙メディアが築いた知識体系の手のひらの上におりながら、そこから飛び出したつもりになっている孫悟空のようなものだ。アラン・ケイは最近こんなことをインタビューで言っている

「大半の人々がコンピューターに精通しているという理想にはほど遠い。コンピューター革命はまだ起こっていないと思う。カリフォルニアのゴールドラッシュのような初期のブームが起きただけだ。しかし結局、カリフォルニアでは金以外のものも生まれた」

印刷メディアは、その仕様が完全にオープンであることが、当り前のことだが、その基盤にある。さらに「読み書き」というように、読む行為と書く能力の両方を、読者がもっていることが印刷メディアを成立させている。印刷はひとつの知識革命であったと思う。そうしてコンピューターはあらたな知識革命をもたらすメディアに違いないが、その「読み書き」が伴うのは、まだまだこれからのことだ。

私は若いころ、グーテンベルクが活版印刷を発明したら、すぐにそれが革命的に広がったと誤解していたものだ。実際は、彼の目標は芸術的な美しい写本に匹敵するコピーを作ることだった。しかもコストは写本よりも高くついたという。だからそれは、「機械で書かれた珍しい写本」としての希少価値のために、読まれるのではなく、貴重なものとしてしっかりと保管された。そんなグーテンベルクとその時代の人々が、百科事典を想像しようがなかったように、パソコン雑誌のチョウチン記事に踊らされる現代の私たちも、まだコンピューターのもたらす知識革命の未来図を描けない。ただ、それが「まだ起こっていない」とわかるだけだ。




追記(02.12.13):『印刷博物館』 printing museum

トッパン小石川ビル内にある『印刷博物館』には歴史的に貴重な印刷物が展示されており、たとえばグーテンベルクの聖書のオリジナルからの1ページもあります。その他、デカルトの『方法序説』、ダーウィンの『種の起源』の原本のほかに『百科全書』*1)の原本も数冊陳列されていて、高価な美術品に劣らぬコレクションです。

現在の印刷の主流はカラーのオフセット印刷ですが、印刷の歴史としては凸版、なかでも活字印刷の歴史が長く重要な役割を占めていました。今でも印刷物のことを活字と総称する人が多いのですが、実際は新聞も含め現在ではオフセット印刷、つまり平版印刷が主流で、マンガなどは樹脂凸版が多く使われています。

『百科全書』には精緻な図版が多数収録されていますが、それは凹版で印刷され、文は凸版によるものでした。いわば、ハイブリッド印刷です。図版が文字による説明よりも多くの情報を的確に伝えことができるので、近年ではいかに画像を忠実に、かつ細密に再現するかが印刷技術の目指した方向でした。それは、文字と画像をはっきりと区別するヨーロッパの印刷の常識ともなりました。

それに対して、そもそも日本の木版印刷は画像と文字を対等に扱っていたので、はじめて白地のパソコンモニター上で文字と画像を一緒に処理することを可能にしたマッキントッシュは、日本では衝撃的というより、当たり前のこととしてすんなり受け入れられたように思います。

『印刷博物館』を入ると、まずラスコーの洞窟壁画のレプリカに始まって、印刷文化の歴史を一望する大壁面の展示ゾーンを通ります。そのプロムナードの最後、つまり現代のコーナーにかわいい Macintosh Plus が置かれています。



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