チューリヒに滞在中の週末を利用して、思いがけずスペインのマドリッドに行く機会を得ました。もちろん目的はプラド美術館。一度訪れたいと思っていたプラドですが、よもや実際に行けることになろうとは思いも寄りませんでした。
ちょうどマネの特別展が開催中で、私たちは開館と同時くらいの早い時間に入場したので混雑はありませんでしたが、館を出ると外では入場制限で2,3百メートルの長蛇の列が。午後にならないと入れないとか、携帯で待ち合わせの友人に悲鳴の電話をしている現地の女性もおりました。
このマネ展には、ロンドンのCourtauld美術館にある私の好きな「フォリーベルジェールのバー」(A Bar at the Folies-Bergeres)も来ていて、これで東京、ロンドン、マドリッドと、同じ絵を3カ所で見たことになります。マネがベラスケスやゴヤの影響を受けて、その作品に新しい試みとして反映させてきた事を実際の絵で対比展示していた企画でした。
さてプラド美術館はベラスケスとゴヤの作品群が圧巻ですが、マネ展のために展示場所が多少入れ替わっていたようで、ベラスケスの「ラス・メニーナス」など名作は入り口を入った大回廊にありました。そこではフラッシュなしでもカメラ撮影は禁止と言われてしまいました。
ゴヤのいくつかの作品もこの大回廊に移されてされていたのですが、じつはほとんどの作品は奥まったわかりづらい部屋に展示されています。「裸のマハ」「着衣のマハ」はそのまたいちばん奥の部屋に並んで展示されていて、まだ人もまばらなときに対面することができました。目と鼻の先の実際の絵は、まるで肌のぬくもりが匂うくらい、観賞というより体験のようです。
スペインだからたぶんセゴビアのCDもたくさんあるだろうと、マドリッド市内でCDデパートで捜したら、4枚組が45ユーロと安く買えました。その中にグラナードスのLa Maja de Goyaのなつかしい曲もありました。私の若いときは「ゴヤの美女」という日本語タイトルになっていたものです。この「ゴヤのマハ」はかならずしも「裸のマハ」のことではないでしょうが、ゴヤを尊敬してプラド美術館に通い詰めたというグラナードスを思うと、芸術家から芸術家へと受け継がれる精神の絆を想像してしまいます。余談ですが、グラナードスのピアノ作品はよくギターに編曲されて演奏されますが、もともとがギター曲であったと錯覚する人が多いくらい、ギターにあった曲想です。
そのグラナードスは第一次大戦中アメリカからの帰国の途中、乗っていた客船がドイツの潜水艦に攻撃されて沈没、亡くなったことはよく知られていますが、じつは、自身は救命ボートにいちど救助されたものの、波間に見え隠れする愛する妻を助けようと、泳げないことも省みずに飛び込んで、そのまま二人とも海に消えたと伝えられています。
モデルが誰かもわからず、どういういきさつで描かれたかも謎につつまれ、かつ卑猥とされて100年もの間封印されていたという「裸のマハ」。その絵の前に立って、同じようにこの絵を見てインスピレーションを得た数多くの芸術家とかれらの作品に思いを馳せると、写真や印刷物でよく知っていたはずのマハとはまた別の女性が、200年の時の隔たりを感じさせずに、見る者を見据えます。
プラド美術館の前にはゴヤの銅像があり、高い位置から館の入り口正面を見つめています。そのゴヤ像の足元の台座は高すぎて、通る人の視線も注目も集めることはありませんが、よく見るとその台座には「裸のマハ」が、今では降り注ぐ陽のもとでおおらかに横たわっています。