コーヒーブレーク「モーツァルトの墓」 (06.11.4)


今年はモーツァルト生誕250年ということで、本場ザルツブルグはもちろん、各国でもいろんな催しやら企画があります。昨日は「文化の日」であったせいもあり、「文化のファン」たる日本人向けに、モーツァルトの足跡をたどる似たような内容の特集が、NHKのBSと民放で放送されました。

私自身はモーツァルトはほとんど聴かず、わずかに晩年の(と言っても、35歳という若さで亡くなった音楽家に「晩年」はないでしょうが)作品を知るのみです。ファンではないものの、これまでたんに「天才」で片づけられてきたこの音楽家の実像とその時代にはずっと関心がありました。

ふたつの番組のエンディングはともに聖マルクス墓地のモーツァルトの墓を訪れるシーンでした。聖マルクス墓地とは、モーツァルトが埋葬された墓地ですが、どこに葬られたか不明のはずです。ですので、そこに墓碑があるのは知らずにいました。もちろん見るのははじめてです。ところが、放送ではなんらコメントがありませんでしたが、その墓碑(墓標というか、モニュメントというか)は柱の土台と天使の像からできています。天使は柱に寄りかかるようなポーズで哀しそうな表情。そしてその柱というのは途中でポッキリと折れた形状のものです。

いったいこれはなんのオブジェなんだろう? いつのまにかモーツァルトの埋葬位置が判明したのかしら?

映画『アマデウス』を観た人は、最後の埋葬のシーンが記憶にあることでしょう。まるでゴミでも捨てるかのように、繰り返し利用する棺桶から遺体だけを土に掘った穴に落としていました。付添人はだれもいないで、もちろんキリスト教のお経も読み上げる者なし。

映画はいくぶん誇張やフィクションもあるでしょうが、墓標も立てられなかったので、いつかその埋葬場所は妻にさえ不明になったといいます。日本のお盆のように、死者の霊がそこに戻ってくるという考えがないせいか、どこに埋められようと頓着ないのかも知れません。

墓標が立たなかったのは、彼が貧乏だったからと一般に信じられていますが、Wikipedia の St. Marx cemeteryの項 の説明によれば、それは俗説で、実際は Stephandom 聖堂で普通に葬儀が行われたとのこと。ただし、当時の皇帝ヨセフ2世の、棺桶を使わず何体か一緒に埋葬せよとの布告に従っただけといいます。しかし、それでも、埋葬時に墓標を立てなかったほんとの理由、そして、死後すぐににモーツァルト人気が復活したにもかかわらずその位置を割り出そうともしなかったウィーン市民はなんだったのだろうと、疑問が湧きます。

1791年にモーツァルトは亡くなりますが、1859年、埋葬場所と「おぼしき」地点に彫刻家Hanns Gasserによる記念碑が建てられました。この記念碑はその後、没後100年にあたる1891年、どういういきさつか聖マルクス墓地から、縁もゆかりもない中央墓地に移されて、しかもあろうことかベートーベンとシューベルトの墓の前に背を向けて置かれました。(向こう側のメトロノームをかたどった墓がベートーベンのもの。)

その記念碑のあった場所に目印を残そうと、聖マルクス墓地の世話人が、墓地内のほかの墓碑のかけらや使われなくなっていた石材などをあつめてそこに置いた。それが柱と天使。それがはじめどのように置かれていたかは調べきれませんでしたが、1950年、彫刻家のFlorian Josephu-Drouotがそれをレストアして現在私たちが見るようなデザインにした、との記述があります。 

結局、この天使はどこかから拾ってきたありあわせのものだったように受け取られる記録ですが、柱に寄りかかって嘆きのポーズをとるその天使の左手には、火の消えたたいまつが握られています。たまたまかも知れませんが、それが折れた柱と相まって、なにか命の火が尽きたようなドラマティックなオブジェになっています。それがモーツァルトの生き様を暗示しているかのようです。

さて、たまたまテレビで見た「折れた柱」の墓碑が気になってここまで調べることになりました。気づいたのは、この聖マルクス墓地のモーツァルトの墓碑について、正確で詳しい資料がないことでした。この墓碑は生誕250年記念行事のせいか、いまではすっかりきれいに磨かれていますが、以前に撮られた写真にはかなり汚れた姿のものもあり、また低木(リラの木か)も植わって、どこかひっそりと佇んでいる雰囲気がありましたが、それも今や観光のために刈り取られて、小奇麗にされたようです。

観光のため、か。モーツァルトの埋葬にまつわる事実にこだわるのは、ファンでもない私の気まぐれか。ウイーンのある観光ガイドにこんな記述がありました。

この墓碑の位置がほんとにモーツァルトの埋葬された場所かどうかはだれにも分かりません。でも、ただひとつ確かなことがあります。それは、モーツァルト自身が書き残した、珠玉の不滅の音楽こそが、その輝かしい墓標である、ということ。 (http://www.campingwien.at/en/ よりMozart Walk PDF)
なるほど、これはこれでよく言い換えてる。けれど、よく考えると、事態はモーツァルトが死んだ時とまったく変わっていないのだ。モーツァルト人気で観光地が潤っていさえすれば、その本人がどこに埋まっていようが、またどこに墓碑を置こうと、頓着しないウイーン気質。いまでも「天才」はエサにされているだけに見えてきます。


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