コーヒーブレーク「白鳥が虎の皮を剥ぐ - 『ワイルド・スワン』と『マオ』」 (08.4/26)


私が中国を初めて訪れたのは1994年の8月、北京でもまだスカート姿の女性はほとんどなく、朝夕の通勤時は自転車が道一杯に広がって洪水のように押し寄せてきたものでした。Katie Melua のヒット曲のひとつ Nine Million Bicycles(アルバム『Piece by Piece』から 2005年) を聴くたびに、このときの記憶が蘇ります。

北京での仕事が終わってから瀋陽に移動しました。瀋陽でははロータリーの広場に面した旧「大和ホテル」の遼寧賓館に泊まりました。今では、奉天時代を懐かしむ日本人がツアーで泊まりに来るそうで、内部も改装されていますが、当時はシャワーのお湯がどうにか出てくれるという状態でした。

その大和ホテルの前のロータリーには大きな記念像が立っています。土色の強化プラスチック製の毛沢東像です。それがなんとも違和感を私に与えました。毛沢東 - 1960年代後半あの「文化大革命」という破壊活動で中国の歴史をおそらく20年は後退させたであろう張本人 - がいまだ英雄視されているのか、と意外な思いがしたためです。

そもそも中国については、つい最近まで、知りうる情報や事実が限られていたのが実情です。ベルリンの壁崩壊の引き金となった1989年の天安門事件も、そこで殺害されたのが何人だったのか、その数字さえ明らかではありません。1980年に放送されたNHKの『シルクロード』が大きな反響を得たのは、共同取材とはいえ外国メディアが中国にカメラを持ち込んだ最初の取材番組だったためでしょう。映像によって、古代の遺跡ばかりでなく、はじめて現在の中国で生活する人々の姿に接することができました。それが可能になったのは、毛沢東が死んで、その負の遺産がすこしずつ精算されてきたものと、私は漠然理解していました。

「文化大革命」といっても、世代によって受け止め方が違うのはしかたありません。私の場合、多感な高校生のときに、ニュースで「紅衛兵」のショッキングな蛮行が伝えられました。今では口をつぐんでいるでしょうが、当時は「文化大革命」を壮大な実験として好意的に評価する文化人、知識人、学者がずいぶんといたものです。けれど私は、いくら学説や「毛思想」で飾ろうとも、子供を駆り立ててリンチ活動をさせるようでは、どんな革命であれ成功するわけない、と「文化大革命」を、したがってその張本人の毛沢東を、否定的に見ておりました。

中国については事実や情報が限られていたので、あまり探求することはしなかったのですが、瀋陽に毛沢東像が撤去もされずに残っていたことが頭の隅に残ったのでしょう、その年の10月、仕事でニュージーランドに出かけたときにダウンタウンの書店に入ったら、『Wild Swans』(1991年)のペーパーバックが並んでいたのを見つけて、買って読み始めました。英語は平明で読みやすい文体でしたが、帰国してから邦訳が出ているのを知って、後半は『ワイルド・スワン』(土屋京子訳 講談社)を読むことになりました。それは、この翻訳がよく出来ていて、原著の価値をさらに高めていたためです。この著書で私は初めて文化大革命の実態を知ることになったとともに、それが想像していた以上に悲惨な時代だったことにも驚いたものでした。

その著者の Jung Chang と夫君の Jon Halliday が「十余年にわたる調査と数百人におよぶ関係者へのインタビューにもとづいて書き上げた」(日本語版へのまえがきから)『マオ 誰も知らなかった毛沢東 』(原著 MAO The Unknown Story 2005年)が出版されていることを最近知り、さっそく購入して一気に読みました。訳者が同じ土屋京子さんだったからです。

この本についての反応もやはり、毛沢東と中国にどうかかわっているかによって、人毎におおきく異なるに違いありません。私は歴史書として読んだわけではなくて、あくまで毛沢東像を求めただけでした。そして、「やはりそうだったか、そうだとしたらつじつまが合う」という満足感が残ります。100人が同じことを体験しても、それを事実として記述しようとすると100通りの「歴史書」ができ上がることでしょう。ましてや、そこに居合わせなかった者にとって「真実」とは何か? 私にとって真実とは「矛盾がないこと」。

『ワイルド・スワン』を読んだとき、よくぞあの文化大革命を生き延びて、その真実をこのように1冊の本で世に知らしめた知性がいたものだ、と感動したものでした。そして今回の『マオ』で驚嘆したのは、毛沢東の実像を暴こうとする、鬼気迫る執念でした。なにしろ、「中国に君臨した27年のあいだに、7000万人をはるかに超える中国人を死へ追いやった」独裁者はいまだ国民支配のために神話化されており、中国国内では事実を語ることもタブー視されています。

おりしも今日オリンピックの聖火リレーが長野市で開催され、物々しい警備とささいなトラブルだけでも、これまで他国の事件だったチベット問題が身近で生々しいニュースになりました。チベット攻略とチベット文化の否定も毛沢東によるものであることを思うと、まだまだ『マオ』が読まれるべき時代が続くことになるでしょうか。



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