限定解除したら、バイクにたいする見方がずいぶんと変わった。それも、思いも寄らなかった方向に。
練習に励んでいるときも、受験を開始してからも、バイク雑誌やバイクカタログを食い入るように読みあさる毎日だった。限定解除したらどのバイクを買おうか、と写真やスペックを見比べ、シート高を考えるとAfrica Twinは除外だな、ツマ先さえ届けばあとは腕でカバーさ、などと空想の中であらゆる大型バイクに跨がっていた。
ところが、あれほど憧れていた大型バイクだったのに、いざ手が届くようになったら、その色が急に褪せてしまったのだ。乗れないが故に、羨望の光を反射していたビッグバイクは、実体以上に光輝いていたのだ。こんなはずでは無かった。
ひとつには、バイクに乗る目的もあったろう。その頃、新宿までの片道20kmの通勤にCBX400Fを使っていたが、渋滞の中、すり抜けにはコンパクトな車体がちょうどよかった。それより何より、このCBX400Fを売ってまで買い替えたくなるモデルが、じつはナナハンのなかに見いだせなかったのだ。しばらく前から、バイクブームは下降線をたどり、ナナハンもあまり魅力的なニューモデルが登場することがなかった。CBX400Fのような、設計者の情熱と意気込みを感じさせる作品が。
無理もない。限定解除に合格するのは86年当時で約2万人。その頃のバイク雑誌を見ると、大型バイクで年間最も売れたモデルの台数が3,100台、2位が2,100台とある。そんな小さな市場に、力作は期待できない。だから、教習所で大型免許がとれるようになったのは、喜ばしい限りだ。だいいち限定解除試験を受けようにも、練習する場所は全国にいくつもなかったはずだ。
私は幸い、近くに鬼のナガガワとよばれたナカガワ二輪車教室があった。猫の額のような狭い敷地のコースだが、どこか真剣な空気が張りつめていた。短期間で合格することが目標ではなかった。技術の習得が目的だったから、じっくり身に付けなくてはならない。月に1,2回くらいの練習ペースで、半年を訓練期間とした。ナカガワでは、ひとりで走り込むが、指導官の欠点の指摘はさすがにいつも要所をついていた。流した汗が気持ち良かった。ここでたった1時間練習するだけなのに、終わって帰ろうとして跨がる我がCBXがまるで小さく、チャチに見えてしまう。
もともと限定解除など自分に縁のない話と思っていたのが、あるバイク雑誌に、小柄な40代の女性の限定解除挑戦記が掲載されたことが引きがねになった。練習で教えを請う楽しさを支えに訓練に励み、合格まで何度も何度も試験に挑戦したその姿に触発されて、私もその後を追った。合格をナカガワに伝えに行ったとき、教室の壁の寄せ書きに、私はその女性に敬意と感謝をこめて、そのエッセイの題名を大きく記した。「心の青春のための限定解除」と。
(続く)