いまさら、三ナイ運動(98.10.21)


いまとなっては思い出すライダーも少なくなったかも知れない。だが、しっかり歴史に刻んでおくべきだ。その昔、「三ナイ運動」というのがあったことを。ほんの15年前くらいの話だが、若い人にとっての15年は、私たちの歴史感覚の50年くらいのスパンに感じる昔だろう。いまさら、と目を背ける人も中にはいるかも知れない。

「三ナイ運動」とは、その文字から連想したくはなるが、なにも三つの悪を撲滅するような運動をいうのではなかった。正直な話、私は当時、雑誌でこの「三ナイ運動」ということばに出くわしたとき、なんのことがわからず、その意味がわかっても、にわかに信じることができなかった。そんなバカなことが横行しているということが。

初めて耳にする読者のために一言すると、「三ナイ運動」というのは、この日本の一部の地域、一部の高等学校ではあるが、その在学生に、バイクに乗らナイ、買わナイ、免許を取らナイ、ように校則で専制的に禁止したことにたいして、その反民主的内容を覆うために着せた衣装的表現のことだ。事故が多いから、とか非行(ヘンな漢語だ)の温床だとか、その背景と口実はともかくとして、国の法律で、16歳から二輪の免許が取得できる、とある権利を、こともあろうに、学校が否定していたわけだ。しかも、それが堂々とまかり通っていたのだ。戦前の話をしているのではない。現行の日本国憲法のもとでの話だ。

私がバイクを始めた頃は、良識あるバイク雑誌がことあるごとにこの問題を取り上げて、その前近代的な学校体質を批判していたものだ。それは、なにも、バイク好きの高校生の味方をしていたわけではない。バイクがもっと売れるようにと、メーカーの思惑を代弁していたのでもない。そうではなくて、これを正義にかかわる問題として深刻にとらえる見識を、そのころのバイク雑誌編集者はもっていたのだ。ちなみに、日本語で法と訳している欧米語は、ほかでもない、正義という意味だ。

このエッセーを読んでくれている読者には高校生もおいでだろう。あなたの学校が、もし「三ナイ運動」をかつて行っており、その後廃止していたら、いちどその歴史をさぐってみてほしい。きっと、あなたの先輩、教師そして多分あなたの両親が、その腐った壁を壊してくれたのだ。今でこそ、当たり前のことに思われようが、その当たり前を実現するために、何十人、何百人の人たちが力を合わせた。忘れないで欲しい、多くの先人たちのおかげで、あなたは、当たり前のように、今バイクに乗ることができていることを。

もちろん、実際に子供にバイクを買ってあげるか、免許をとらせるか、その保護者たる両親が裁量権をもつのは当然だ。だが、「三ナイ運動」は、両親の上に学校を置いた。中には、それを歓迎するような情けない親もいたかも知れない。交通安全教育という概念さえ学校になかった。その名をかたった授業があったとしても、せいぜい事故の写真を見せて、「危ないから止めなさい」と暗に印象づけるくらいだった。安全とは常に、何もしないパッシブな策であって、危険を回避するためのアクティブな行動を示唆することは稀である。

あの頃は、高校生の親でも、バイクのことをまだよく知らなかった。彼らが青春を生きたのは、そんな時代ではなかった。正しさが通じない学校にあって、くやし涙を飲んだ学生も多かっただろう。だがいまや、高校生を子供に持つ親は、おなじ高校時代にバイクに乗れた世代だ。その楽しさを我が子にもと、一緒になってバイクに跨がってくれる親も多いだろう。そう、バイクが文化にまでなるには、父親が、いや母親でも、その子供にバイクの乗り方を教えてやれる、そういう世代にまたがる継承が、必要なのだ。

「三ナイ運動」が、ひょっとして、まだ化石のように残っている学校もあるかもしれないが、それもやがて消え去るだろう。そうならなかったら、在校生が気の毒だ。彼らはいつか後輩に、母校の歴史が彼らに求めていたことを行わずにいた怯懦を、責められることになろうから。





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