私の手元に4冊の「別冊モーターサイクリスト」のバックナンバーがある。いくつも買って読んでいたバイク雑誌はおおかた捨てているが、そのなかで、この86年11月号から87年2月号の4冊は大切に持っていた。
そこには「HONDA RC 物語」と題された特集が4回にわたって掲載されている。言うまでもなく、ホンダがマン島TTレースに出場して勝利するまでの、長い苦悩の道のりを描いたものだ。ともすれば、セピアカラーに褪色した、遠い過去のサクセスストーリーにおちいりそうなこの歴史のドラマに、新たな息吹を与えてくれているのが神田重巳氏の本文と、小関和夫氏による写真解説だ。
バイクを初めて購入するライダーは、それぞれのモデルのネーミングにとまどった経験がないだろうか。私も、VT、SRX、CB、Z、GPZなどなど、車のネーミングと違うのではじめはチンプンカンプンだった。RCというのは、ホンダのC型エンジンのレース仕様としてRを付けたものだ。ちなみに、CB、CBXのCはここにルーツをもっている。
私自身はバイクのことを何一つ知らずにHONDAを買ったので、マン島TTレースのことを詳しく知ったのは、この特集がはじめてだった。きっと単行本にまとめられるだろう、と期待していたのだが、それは実現しなかったようだ。そのため、このバックナンバーを古本屋で探す人が多いらしい。
F1の好きな人なら、きっと、海老沢泰久の「F1 地上の夢」(朝日新聞社1987年)をお読みだろう。この本の冒頭には、「もっとも困難な時代に、もっとも困難な戦いに挑み、そして勝った」ホンダの関係者に、という献辞があるが、このことばは、F1よりむしろマン島TTレースにあてはまるかも知れない。たぶん私がバイクに跨がったのも、歴史をたどれば、もっとも困難な時に、本田宗一郎がマン島に出場する決意を固めたという、微小な初期条件が引き起こした巨大なカオス効果の結果のようなものだ。
そのホンダのマン島での勝利の意味を簡潔に伝えるものとして、現地の新聞の記事が引きあいに出される。デイリーミラー紙のその記事は、引用者ごとに違いがあるが、概ね以下のようなものだ。
優勝車を分解して我々は驚いた。時計のように精巧に作られたそのエンジンは恐怖を覚えるほどだった。そうして、それはヨーロッパの優秀なレーサーのいかなるコピーでもなかった。
いつか原文を捜しだして訳出したいところだ。1961年。レースに初めて参加した1959年から3年目。ホンダが125ccと250ccの1位から5位までを独占したときの話だ。過去をふり返っているのではない。これは歴史だ。現在と未来を照らした歴史の一瞬の輝きなのだ。
そのコピーマシンではないホンダRCレーサーの、よくレストアされたコレクションの写真が、金上学氏によって新たに撮影されて「HONDA RC 物語」の特集の価値を高めている。友人から借りたり、図書館で捜すなどして、一読をお勧めする。