映画『チャイナ・シンドローム』をロードショーでわたしが観たのは1979年9月18日。この日付が分かるのは、なにも日記をつけていたわけではなくて、映画を見る前に読み始めていたその小説のペーパーバックの表紙の裏に、新宿プラザ劇場の「チャイナ・シンドローム 御鑑賞記念」のスタンプが、日付入りで押されているからです。それほど、ある種の意気込みが上映する映画館にも、観客のわたしにも、ありました。
この映画はアメリカで、その年の3月16日に公開されました。それからわずか12日後の3月28日に、まるで映画を地でいくようなスリーマイル島原発事故が起こったために、一躍注目を浴びることになりました。日本でこの事故を伝えるニュースには、この映画のシーンのカットも挿入されていました。それだけに、日本でもこの映画への関心は高いものがあったはずでした。
けれど、今思い出すと、3月のアメリカ公開から6ヶ月も経ってやっと日本で公開されたことに、なにかひっかかるものがあります。事故当時はあれほど話題になりながら、やっと日本で公開された時には観客はそれほど入ってはいませんでした。これは、わたしが観たのが平日の昼間だったせいばかりではないと思っています。
映画は起こりうる事故を想定したものであるのは事実ですが、それよりも、ドラマとしてよく出来ておりました。とりわけジャック・レモンの好演が印象に残りました。それまでコメディー役でしか知らなかったこの俳優の実力を知らされました。ですので、日本ではあたかも事故を「予言」したかの印象をもたれている映画ですが、ジャック・レモンとジェーン・フォンダがそれぞれアカデミー賞の主演男優、女優賞にそれぞれノミネートされた作品として記憶されてもいいものです。
想定と呼ぼうが、予言と呼ぼうが、どちらでも構いませんが、ここ日本でも今回のような原発事故が起こりうる、というより、必ず起こる、と警鐘を鳴らした本が、じつは昨年の8月に出版されておりました。それは広瀬隆の『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社 2010年8月26日 発行)そうして、そこに書かれた「起こりうること」が、まるでシナリオのようにそのまま実際に福島第一原発で起こりました。すでに読んでいた人は『チャイナ・シンドローム』を追体験したはずです。
現在この本は多くの書店やアマゾンでは品切れになっているようです。わたしは新宿の紀伊国屋書店で1週間ほど前に買いましたが、それは、理工学書のフロアに並んでいたために、気づく人が少なかったせいでしょう。(紀伊国屋書店が、事故後に仕入れを増やしていたのかも)ニッポンメディアが、この本と著者をあえて無視していても、いかに情報がネットや口コミで伝わっているかがわかります。
本書は、原発が工学的に安全かどうかよりも、まず地震が必ず起こるということをプレートテクトニクス理論と地震発生の記録から説き起こし、さらに原発の耐震数字の作為的工作、使用済みとなってもなお危険な放射性燃料の処理問題まで、分かりやすく、しかし危機感をもって、説いています。その危機感は、序章の最初のページに、「10年後に、日本という国は、かなり高い確率の話として、ないかも知れない」と吐露している著者の心情に、苦しいほど表れています。
わたしは今年まだ行ったことのない三陸地方へのバイク旅を計画しておりました。それができなくなったことを嘆いてはいませんが、わたしのK75Sはあと10年はもちそうに思うも、かんじんの「走れる国」のほうが先になくなっているかも知れません。これはただの一理ある思い付きではないし、単なる仮説や、憶測でも、当て推量 でもない。気のせいや、考え過ぎでもない。一風変わった考えでもない。(中略) そこで初めに、執筆の動機について述べておきたい。私は本書で、大地震によって 原発が破壊される「原発震災」のために日本が破滅する可能性について、私なりの 意見を述べる。しかもそれが不幸にして高い確率であることを示す数々の間違いない 事実を読者に見ていただくが、内心では、そこから導きだされる結論が間違っている ことを願っている。(2ページ)著者がもっとも憂慮していた原発震災は、じつは今回の福島原発ではなくて、予想される東海大地震による浜岡原発の破壊でした。以前著者の『四番目の恐怖』(講談社 1988年)を読んでいながら、そして、2007年に実家から遠くない柏崎原発を被災させた中越沖地震を経験していながら、この本の存在を知らないでいた不明を自分で恥じるのみです。けれど、日本をなくしてしまうかも知れない、予想されている原発震災が、「幸いにも」今回の福島ではなかった、ということの意味を今になって考えています。