ほんとは車は一生乗らないつもりでいた。普通免許をとったのも、やむなく三十歳になってから、あまり気乗りがしないまま教習所に通ったので、随分と時間がかかった。車を嫌っていたのは、あんな危険なものに乗れるか、と避けたい気持ちもあるが、それより、排気ガスによる大気汚染がやがて地球規模の危機につながるとする警告もあるし、なにより石油がもうじき枯渇する、だから、電気自動車が出てきたら免許をとろうか、と本気で考えていた。いまでこそ、電気自動車も夢の話ではなくなってきているが。
それでいてモーターサイクルを始めたのだから、お前さん、主義ってものがないのか、と咎められそうだ。シュギという舶来のものには縁がないが、もともとやさしい海と緑深き山のそばで育ったのだから、そこでは誰もが、主義の必要ない環境主義者だ。だから、バイクを買うなら4ストロークと決めていた。実をいうと、最初のバイクはHONDAかKAWASAKIにしようとしていた。当時4ストバイクのメ−カーとしてこの2社が代表格のように言われていたから。たまたまHONDAになったのは、近所のバイクショップがHONDA系列だっただけのこと。
石油の枯渇は、思ったほど近い未来のことではなかった。大気中のCO2の増加も、逆に地球に以外と回復力があることを証明しているかにも見えた。それでも、オゾンホールや生態系異常など、地球の発する、かすかなSOSを嗅ぎ分ける感性をもつ科学者はいたのだ。
「奪われし未来」(原著1996年、邦訳 翔泳社 1997年)はホルモン作用撹乱物質(いわゆる環境ホルモン)による生殖異常の事実とその原因を突き止めようとした科学者たちの足跡を追いながら、あくまで事実に基づいて人類の未来に警鐘を鳴らした本だが、なによりも文学的な読みやすさと独特のテーマへのアプローチが幅広い読者を獲得している。原題の "Our Stolen Future" がそのまま日本語になっている。ショッキングな題名ではあるが、書かれている内容からすると、むしろ控えめかも知れない。
この本は、30年以上も前に出版された科学書を再び現代に呼び返す。言うまでもなく、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(Silent Spring 1962年)だ。鳥のさえずりの聞こえない春、というより、私たちの住む日本ではむしろ「セミの鳴かぬ真夏」というほうがリアルだ。こころなしか、東京では最近アブラゼミの声が聞こえなくなってきているような気がする。
そのレイチェル・カーソンの遺稿となったのが「センス・オブ・ワンダー」(原著 1965年、邦訳 佑学社1991年)。この世界には、私たちを驚嘆させる未知なことがたくさんある、それに気づく感性を生涯持ち続けて欲しいと願って、自分に残された時間と闘いながら書き上げたエッセイ。もしも、いつも見慣れたはずの道とそのまわりの風景が、バイクで走ったときに違って見えたことがあるなら、もしも、バイクに跨がった自分にそれまで気づかなかった感性を見出したことがあったら、モーターサイクルは運んでくれることだろう、ワンダーランドの入口へ。
2月3日夜のNHK教育テレビ「サイエンスアイ」が環境ホルモンの特集を組んでいました。そこで『奪われし未来』の著者のひとりTheo Corborn さんがインタビューで話していたことが、私の疑問を解いてくれました。この本の読者はお分かりですが、「環境ホルモン」ということばはこの本の中では使われておらず、「ホルモン作用撹乱物質」または「内分泌撹乱物質」という名前で通しています。なんでも、環境ホルモンとは、日本の研究者が使いだした呼び方だそうです。そのために、「環境ホルモンは誤解を与える呼び方で、正確には内分泌撹乱物質と言う」と書き添える解説記事なども目にします。でもそういう問題かどうか。
インタビューの中でコルボーンさんが、日本での関心の高さに比べて肝心のアメリカでは余り人々が関心を持たない現状に触れて、こんな内容のことを言っていました。
「ひとつには、Endocrine Disrupter (内分泌撹乱物質)では何のことか一般の人たちには分かりずらいことがあります。 Environmental Hormone と言うほうが訴えるものがありますので、今では私たちもこの呼び方を使うようになりました。でも、1991年にウィングスプレッドで開かれた会議で、急いで宣言を出すことになったとき、私たちには名前を考える時間がありませんでした。」
新しい考え、新しい発見にどんな名前をつけるかで、受けとめられ方に違いが出てくることも、確かにあるでしょう。