バイクイラストの地平 (99.4.25)


漫画という呼び方を嫌い、劇画だ、いやコミックだ、と呼ぶ向きもあるが、マンガと表記したほうが無難なようだ。いまでは、マンガの系譜は、アニメ、CG、それにコンピューターゲームのキャラクターへと拡張しているようだが、「少年サンデー」、「少年マガジン」の創刊の頃からのマンガファンとしては、戦後マンガ史は、アニメも含めて、日本の文化の底流の一つとして、もっと見直されていいのではないかと思う。

とりわけ、手塚治虫の果たした役割は巨大で、好むと好まざるとにかかわらず、至る所に手塚マンガの影響をみることができる。とは言え、私は初めから手塚治虫のファンでもなかった。私が初めて読んだ手塚治虫の作品は「0マン」だったと思うが、子供心にも、そのテーマと画風に異質なものを感じて、そこに、楽しめるものの、同時に馴染めない要素を見ていた。「鉄腕アトム」の初アニメはテレビにかじり付いて見ていたはずだが、さっぱり内容の記憶がない。

マンガなら何でも読めていたはずが、その転機になったのは白土三平の「忍者武芸帳・影丸伝」だ。これで、マンガが優れた映画や文学に匹敵する作品になりうると思い知らされてから、マンガを選ぶようになった。そして再発見した手塚マンガが「百物語」であり、「人間昆虫記」、または「火の鳥・復活編」だった。イマジネーションと構想力それに各コマのタッチのよい描写が、何度眺めても、絵画のように飽きさせない。そのコマの描き方をよく観察すると、静止画なのに、動画のような印象を与えると同時にドラマ性を内包する構図になっていることに気づく。

イラストレーターの作品は、自作の作品集でもないかぎり、挿し絵や装飾に使われるのが一般だが、村井真氏のバイクイラストは異彩を放っている。つじ・つかさ氏との共著になる「ライディング事始め」(グランプリ出版 1987年)は私の愛読書でもあり、バイク初心者に勧める好著だが、これは、つじ・つかさ氏の本文にイラストを添えたものではなく、村井氏が書き起こしたイラストにつじ氏がテキストを「挿し文」したものだ。

村井氏が、はたして戦後マンガ史のなかでどういう系譜に自らを位置づけているのか、分からないが、その絵を見ていると、手塚マンガと同様、やはり静止画でありながら動きのある構図、バイクの各モデルの特徴をうまくつかんでいること、微妙なライディングスタイルさえライダーの全身像とともに描ききっていること、などマンガの手法を完璧なまでに取り込んでいることに感心させられる。

教習所の教科書もバイク雑誌などの試乗テストも、ほとんどが写真を使う。写真は写真でその良さがあるが、ことライディングのショットというのは、「こういう構図で撮りたい」と思っても、モデルでもないライダーが動いていることも手伝って、思うにまかせない。その点村井氏のイラストは、「写真」よりこちらの方が「真」に近いのではないか、と思わせるような一瞬の動きをよくとらえている。ときどき気がつくのだが、各シチュエーションとその時とるべきアクションを、私はこのイラストで記憶しており、写真の画像で覚えているものは皆無に等しい。

村井氏のイラストは、そのシーンがみな楽しい雰囲気を醸し出していることも評価されていい。それは本人のバイクを愛する気持ちと、バイクを楽しく、ケガをしないで長く乗り続けることを願う思いが、ひとつひとつのイラストに込められているからだ。著作権があるので、実際の作品をここに紹介するわけにいかないのがなんとも歯がゆい。





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