私のCBXストーリー(3)「町のバイク屋さん」 (99.12.12)


今西錦司の「生物の世界」(1941年) にこんなくだりがある。

われわれはいままで環境から切り離された生物を、標本箱に並んだような生物を生物と考えるくせがついていたから、環境といい生活の場といってもそれはいつでも生物から切り離されるものであり、そこで生物の生活する一種の舞台のようにも考えやすいが、生物とその生活の場としての環境とを一つにしたようなものが、それがほんとうの具体的な生物なのであり、またそれが生物というものの成立している体系なのである。 (第3章 環境について)
それまでの生物学に支配的だったダーウィン流の進化論に初めて対峙しうる新しい生命観が、この日本で、しかも戦中に現れていたのを知ったのは、これを講談社文庫で見つけた1970年代半ばのことだった。上の一節は、その時から頭にこびりついている。

私のCBXが盗まれたのは、それがきれいなバイクだったからだ。しかもよくメンテされていた。それはほかでもない、私の乗り方がうまかったからだ。バイクの性能を引きだすことと、いたわることとを、バランスさせていたためだとの自負がある。あのCBXが美しいCBXでいられたのは、私に乗られていた、ただその理由からであることを、盗っ人は知る由もない。その住んでいる環境から切り離されたチョウが死んでしまうように、私の手から離れたCBXは、標本箱に入ることはできても、生きていくことはできない。私以外にあのCBXを「生かせる」人間はいない。バイクはその持ち主という環境の下で生きている生物そのものなのだから。

生き物としてのバイクにとって、じつはもう一つ大きな環境がある。バイクショップだ。消費財としてバイクを使い捨てる人は別にして、永くバイクと付き合おうとするには、自分がメカニックでもないかぎり、近くに信頼できるバイク屋が必要なのだ。私がCBXに乗り続けられたのも、そのCBXが初期性能を保っていたのも、いつも世話になっているバイク屋の腕利きのメカニックのおかげだ。(どうもありがとう、清水さん!)ただ車検がないからという理由で、400ではなく250を選ぶ人は、メンテを怠ることで、もっと長く生きれるはずのバイクの命を縮めていないだろうか。

バイクがブームだった80年代は、町にバイク屋さんがたくさんあった。それが、ブームが下降線をたどるにしたがって、バイクを愛するメカニックとそのショップが消えて行った。バイクを選ぶよりバイク屋を選べ、と教えられた私は、引っ越してからも、遠くになったショップを依然として利用している。

バイクショップがバイクのメンテばかりではなく、そのライダーともコミュニケーションをとることでバイクの性能を引き出させていた時代が終わったとしたら寂しい限りだ。メンテフリーのバイクができたら話はべつだが、バイクが生き物のように輝いていられるためには、持ち主とバイク屋という環境が必要だ。町のバイク屋さんが消えていくのは、バイクの「住める」環境が失われていくことだと、手遅れにならないうちに気づかれるだろうか。





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