ドラマ2:野島ドラマなんだからさ@・・・『ひとつ屋根の下1』より(1993年・フジTVの月曜9時にて放映)

その壱:「うさぎって・・・」

このドラマは、すんごいヒットしたんだよね。最終回の視聴率は30%超えたはずだし。だから登場人物の決めセリフも今だ一般人の記憶の片すみに残っているはずだ。印象的だったよね、「そこに愛はあるかい?」・・・で、やはり登場人物の一人・小雪(長女/実は訳あって赤ちゃんの頃柏木家の養女になった。)がしょっちゅう言っていたセリフがある。

「うさぎって、一人ぼっちになるとさみしくて死んじゃうんだよ。」

                                             

『孤独』というのを表現する為のうさぎちゃんアイテム。このうさぎを誰かに例えたり、自身に置き換えて「私はホントは孤独なのー!。」と必死にシグナルを出す小雪。そのセリフを聞くと達也も雅也も(ハッ)としてつい固まってしまうというパターンを繰り返していたから、一般視聴者は【そうか、“うさぎ”というのは、一人ぼっちにするとさみしくて死んでしまうのか】と刷り込まれていたはずだ。ワタシもそうだった。・・・そしたらさー、ついこの間のフジTVの『トリビアの泉』の【ガセビア=もっともらしく言われているが、実はガゼ(嘘つき)ネタ】でこの“うさぎ”が出てしまったのだ!

「うさぎって、一人ぼっちになるとさみしくて死んじゃうんだよ。」は実は【ガセ】だって。                             

うさぎの専門の先生まで、「ハイ、うさぎは本来単独行動をする動物ですので、一人ぼっちになったからといって、さみしくて死んでしまうことはありません。」と大真面目に仰るし。全く!今までの【小雪の心の叫び】はどこにいけばいいのさ?【ガセ】では、効果が半減するぞい。

達也と雅也に「うそつき」と言われてしまうと泣いちゃうよ、小雪。

その弐:「文也は自閉症?」

・・とここまでなごやかに来たけど、ここからは違う。このドラマは“とある言葉”を登場人物たちに何回も言わせることで一般視聴者に印象付けるという傾向があるが、うさぎならまだギャグで笑えるけどさ、【交通事故で下半身不随になり、施設入所した四男の文也が、今までの過酷な状況から(自閉症)になっちゃった】というのは、【ガセ】もいいとこじゃんかい!いや、確かに(統合失調症の一症状)に(自閉)というのはあるけど、文也が(統合・・)の方とも見受けられない。、というか、それ以前に脚本家に(自閉症)の知識がないのがありありでさー、知識がないのにもっともらしく登場人物が(自閉症)と連呼するから腹が立つ。数えたら3回も言っているの! もう観ながら、「だー!」とわめいちゃったよワタシャ。

【今までの過酷な状況から、誰にも打ち解けなくなった。】とか【心を開かなくなって、殻に閉じこもってしまった。】とかドラマの中で説明してくれればそれでいいのに、何故それを(自閉症)と言い切るのかい?ドラマでそう言い切るから、一般視聴者が誤解どころか500階位勘違いしてしまうではないかい?【セメントみたいな固い殻を作って周りとの関係を取らないでいるのが自閉症】だって!!うさぎ同様、(自閉症)も同じ道をたどってしまっているらしい。「そこにリアリティはあるかい?」「ないよ。」リアリティなくても、こう視聴率が高くて妙な説得力があると、皆信じ込んじゃうだよねーーー。ああやだやだ

まあこれ以降の野島ドラマは、結構ショッキングな題材・内容ドラマが多くなって『聖者の行進』に至ってはさすがにあちこちからクレームが出て、雑誌で叩かれてはいました、それは憶えている。でも、同業者がとある著書で(感動させるためならある程度のフィクションもあり)と弁護はしていました。・・・冗談じゃない、あなた方(一般)にはフィクションでも、こちらはリアルなのだから、あやまったイメージのフィクションをショッキングに描かれると→それを(本当のことだ)と信じ込んでしまう一般人が増える→リアルの中で生きている人間を色眼鏡で見る・・・という流れが出来ちゃうじゃない。

一般視聴者って(自分たちとは縁遠い話)って結構(本当のことだ)と思っちゃうんだよね。

 

その参:「施設入所でも、学校に通えるよ。」 

ワタシのプライベートの仕事柄、施設で働いている知人がいますが、(施設)はあのドラマみたいな(大人)(子供)と一緒って事はないみたいです。それに義務教育中はきちんと学校へ通わせている。知人(この時は、もう施設では働いていない)は、学校関係の資料を退職後でも「読みたい。」と言っていた位、その子達(施設入所)のこと気にかけていた。達也は「施設はきれい過ぎて温かみがない。」と彼独自の印象を語っていたけど、一生懸命施設の子供の世話をしている職員が聞いたら、怒ると思うよ。敢えて脚本家に問うてみたいものだ。

あなたはこのドラマを書くにあたって、どこまで取材したの?って。

 

その四:「あんちゃん、学校でチラシ配っていたけどさ・・・」

文也を地元の中学校へ通わせたい達也は学校の先生へ頭下げるし、車椅子の文也を学校へ連れて行っちゃうという強硬手段に訴えるし、チラシを作ったり、署名をもらう為に早朝学校の門に立つしフル回転でご活躍。この辺に関しては、似た話は実際あるよ。(苦笑)(なんらかのハンデを抱える子の親)は(就学前)に【どこの学校へ子供を通わせたいか】悩むんだ、これが。ご多分にもれずこのワタシもそうだった。でも、ワタシが知っている話では(チラシ作ったり)(署名運動)まで派手にやる方は・・・・最近は流行らないねえ。違う学校攻略法を使うね。まああんちゃんだから、ああいうベタな方法とったんだろう。

まあそれはともかく、あんちゃんって約一晩で文也を地元の中学校へ通わせたいために、(チラシ=中身の文面まで一人で考えたのか?)(署名用の道具を揃えて=画板とか署名用紙もわざわざ作ったのか?)(皆に配る用に大量にコピー=コンビニで一枚10円とすると・・・。それとも印刷か?)を全部一人でコソコソやったのか?あ、ありえない・・・。あのあんちゃんがそこまで出来るかい?

いかんいかん、感動する所にこんな疑問点を羅列しては。感動が半減してしまうではないか。

 

まとめ:「今、また再放送されます。」

ここでは、【文也は自閉症じゃないわい!】としか訴えたくないので、このドラマの話はここまでにします。・・・がこのドラマ、6月27日より『フジTV721』で久々に放送されるそうです。「う、うわあ」ですな。

・・・で、文也は結局どうなったのか?あのドラマでは(自閉症は、家族の愛で治った)ってことでしょうね〜。

まあ、「野島ドラマなんだからさ。」と内心つぶやいていよう。でも、視聴率高かったんだよな・・・。

(H17年6月26日記録)

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