『Aspen is Splendid!』
『魅力あるみらい都市づくり「米国調査団」』に事務局として参加し、13日間の視察旅
行を終え、11月6日帰国した。訪問先はニューヨーク、ボストン、アスペン、ポートラ
ンド、サンフランシスコの5都市であった。ニューヨークでは久々のヤンキースの優勝に
街が沸き返るのを体験し、デンバー及びポートランドではハローウィン衣装に出会うこと
が出来た。天気にも恵まれすべてが興味深く、楽しく意義あるものであった。
しかし何と言っても私の心を魅了したのはアスペンの大自然とそこでのまちづくりに携わる人達であった。
ニューヨーク | ボストン | ポートランド | サンフランシスコ |
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10月29日(火)ボストンから空路デンバーへ向かう。ボストン空港で一昨日市内を 案内していただいた、8年前からボストンに居住しているという、ガイドのTさんに出 会う。もう会うことはないだろう。「お元気でと明るく別れる」。
デンバーはアメリカ本土の中央よりやや西海岸よりに位置するコロラド州にあるが、ボ ストンから何と4時間を要する。デンバーではマンハッタン島の2倍の広さという53平 方マイル(約137平方㎞)の広大な空港が出迎える。ガイド兼通訳はK.H さん、彼女はアフリカ旅行の途中このデンバーに立ち寄り、以来14年間当地に住み 着いているという強者。何と九州から参加のTさんの隣町出身であることが、当夜のディ ナーで判明。話題に花が咲く事となる。世間は狭いが、世界も広くかつ狭い。
昨年の2月28日開港したばかりの21世紀を睨んで作られた空港、デンバー国際空港。
この空港建設に際し、10名程度の地権者がいたと言う。K.Hさんは1
0名を最初多くの地権者と言った。信じられない。見渡す限り平原、日本のように山並み
は見あたらない。アメリカの広大さに驚く。今さらながらこんな国とよくもまあ戦争をし
たものだとの感覚がよぎる。しかも時差が発生し、時計の針を2時間戻す。ボストン時間
では午後4時にデンバーに到着したことになるのであるが、午後2時に針を戻し今度は陸
路アスペンに向かう。
標高が高まるにつれ、何日か前に降った残雪のある道路を延々と走
る。途中セブンイレブンで小休止のため降車するが、何と涼しいことか(実際は気温低く
涼しいなんてなものではないが、それほどの寒さは感じない)。セブンイレブンというのは
元々アメリカの企業だったのかを改めて認識する。
次第に陽は落ち、真っ暗なしかもアイスバーンになっているような夜道をスリップしな
いのかと思わせるようなスピードで車は疾走する。延々約320キロ、所要時間4時間4
0分。ようやくアスペンのロッジ、「Limelite Lodge」に到着する。
時は6 時54分。何とボストンのホテルを出てから11時間24分。今日は移動のため半日を費
やした。体もぐったりである。もう食べて飲んで寝るだけ。ボストンでロブスターを食べ
過ぎたためか胃腸の元気がない。Good night!
10月30日(水)透き通るような青空。4,000m級といわれる峻険な山々の斜面
にはかなり急と思わせるスキー場が見上げられる。リフトも見える。思わず戸外に誘われ
同室の人と散策に出掛ける。街並みは整然としており、ブランド品を売る専門店が並ぶ。
こんな田舎にと思わせるほど立派な建物が多い。ビクトリア風建築とはこのことを言うのか。ものの30分もしないうちに体が芯から冷えてくる。水たまりの水がうっすらと凍っている。摂氏0度位なのか?
9時から「ASPEN CITY HALL」を訪問。
DirectorのMr.S.Cに心地よく出迎えて頂き、地下のミ
ーティングルーム(議会室)にとおされる。
こじんまりした空間であるが、大きなテーブ
ルを挟んで椅子が10数脚、その脇にわれわれ用に並べられた椅子が教室形式で並んでい
る。この部屋は議会室であり市民の方々との議論の場であると聞く。
早速説明が始まる。 課題から入る。さすがに明瞭である。
「輸送と渋滞の問題」である。 車が増えすぎてこのリゾート地の良さが損なわれてきている。その解決策として、
1.駐車場数の制限
2.駐車料金の賦与
の2つの対策を
採っている。
駐車場プロジェクトを編成しており、業務用・一般用ごとに対応策を進めている。誰もが自分で運転することを好むので、駐車場の場所を制限し、料金を課しているが、毎日ピーク時には1日750台の駐車場を用意しなければならないこともあり、機関誌を発行して、公共(バス)利用の促進をしている。
またメインストリートには、ライトトレイン(路面電車)をつける計画である。今のところトータル6㎞の長さであるが、将来は隣町のグレンウッドスプリングスまで60㎞に延ばす計画である。
ここで働く人達が郊外に出ざるを得ない状況となっており、バレーと呼ばれる谷
間に住んで自家用車を使う人が多い。これをライトトレインに置き換える計画である。
古くから住んでいる人は大都市型設定は好まずライトトレインは都会的過ぎると反発する人もいる。したがって、コンピュータシュミレーションを使って、
1.メインストリートを走らせるか
2.周辺部を走らせるか
2通りの検討をし ている。
電車のデザインも検討している。 緑地帯は聖地のようなところだから、緑地帯を潰さぬようカットしてトンネルを作
り景観を戻す努力もしている。
歴史的に言えば日本やヨーロッパは大量輸送の歴史を持っているが、アメリカは自
動車中心だったので、大量輸送は遅れている。皮肉なことに、56年までは鉄道があ
ったところなのだが、今反対の現象が起こっている。だから日本やヨーロッパに鉄
道システムを学びたいと思っている。
デンバーから車で4時間はかかりすぎるので、空港の拡張を計画している。空港
はこの街から4㎞のところにあり、現在はブリティッシュ142型の70人乗りが
乗り入れている。今後ボーイング737の導入を計画中であるが、現状の滑走路では
長さが不足である。 グレンウッドスプリングスから60㎞、ここは行き止まりとなっている。
後ろの写真は歴史の一端を示すもので、銀の採掘が盛んだった1860年70、80年代はこの街の一大ピーク時であった。ところが金本位制になってから、街の規模は
縮小し続けた。
1930年代アルペンスキーが始まり、軍のスキー訓練場として活気づいた。
「21リムーバブルプログラム」では昼間は雪を道路の中央に除け、夜の内に車で
ダンピングエリアの施設まで運びスノーメルター(ヒータで溶か)している。
調査によると人々は地下よりも地上の方を好むので、軌道(ライトトレイ
ン)を導入することにした。また軌道は車の進入を防ぐ役割も果たすものである。
この部屋は市議会室であり、地域の人達がまって話しあう時に使われる。
1階は輸送、経理、光熱費の支払窓口である。
2階は出納役、市長室、エンジニア、環境保全部
3階は私たちの部屋、すなわち地域開発部門、市とCOUNTY(郡)が一緒に働く部門です。
こんなカジュアルな服装ですが、これは伝統です。お許し下さい。市民は6,000人、郡全体で10,000人ですが、ゲストは夏冬共にピー
ク時で30,000人です。上下水道共にこのピークに会わせて公共が完備しています。が、街の外は井戸
とか簡易水道があります。
ゴミの処理は、アメリカは伝統的に埋め立てです。リサイクル率は28%となっています。市の管轄は水道であり、排水は契約している業者、ゴミは郡の仕事です。電 気は水力発電で、街の外は民営となっている。汚染の問題はそれ程ありませんが、大気汚染の規制はやっており、PM10と
いう規定があり、10ミクロンより少ない量の排気、暖炉の使用禁止、天然ガスの使
用推奨を行っています。
水がきれい、空気がきれいというのが非常に重要であります。
以上の説明を受けた後、市庁舎の中を案内していただいた。
こざっぱりした事務所。皆さん気さくで”hallo!”と語りかけてくれる。一人一 台、パッカードベルのワークステーションが与えられている。 突然、子犬が通路に現れる。市長の犬だと聞いて驚く。こういうことが許される社会な のだ。一通り案内されて最後、市長室へ表敬挨拶。優しく暖かく出迎えていただき記念品 まで頂いてしまう。
場所を替え、オペラハウスで、コーヒーとパンをご馳走になり、担当の方々から順にご 説明を頂くことになった。
まずは移動途中の質問に対して、Mr.S.Cより、
市民の「まちづくり参加」は日常的に行われており、この市のマスタープランの表紙も地
域の人々との協力で出来上がっている。後でB.Nからも説明あるが、輸送計画etc.地域の人達誰もが参加できるシステムになっている。GISの話も出たのでMの方から話します。と以下担当の方々が説明に立つ。
(M.L)
ここにあるいくつかのプランを合わせて街全体の計画をゾーニングしてある。基本的には91年当初の地図をたたき台にして、水道管の埋設etc.反映している。
特にこの地図は歴史的建物、公園etc.の位置をよく示しています。
黄色、茶は住宅地
緑 は ゴルフコース、公園
オレンジ・ピンクは 商業
水色 は 教育施設
白 は 市の境界線の外
うす緑 は 建築制限エリアで開発密度を低く押さえている。
いろんなGIS図面をもっている。この図面は今現在のゾーニングですが、年に2
回UPDateしている。(図面いただいてきました。ご覧になられたい方ご連絡下さ
い)GISいろんな要素があり、コマンド(規制)がむずかしい。
一般の人にもお渡ししているが、一般の地図で$25、スペシャルオーダーの地図で$50である。
(R・D:ビル担当)
コミュニティの方々の意見をたくさん伺いながらコードブックを作成するのに2年間かかった。
2つのコード体系がある。
・パフォーマンスコード:大きな家のエネルギー使用の規定
空港施設、雪を溶かすシステムとか大型、例えば1,000㎡の家とか 商業ビル。
独自のソフトウェアシステムを開発した。・・・壁の面積、床の厚さetc. によってエネルギー使用量を推算するシステムである。
・プリスクリフティブコード:小さいプロジェクトのものであり、規定のものがある。
暖房、機種、水の使用量etc.含まれる。開発する人達が市とパートナーとしてエネルギーのプロジェクトに参加、セミナ
ーに参加するetc.ユニークなプロジェクトとなっている。
これはスタンダードエージェンシイの一種で、全米共通に制約を受ける連邦政府 機関の規準(アシュレイの規準)である。
-コミュニティの意見反映について-
何回も何回もミーティングを開く、実現可能性を検討するが、その時今、
実際 にやっている活動を阻害しないか、どの程度の参加のレベルかについても意見を伺った。
アメリカというのは大エネルギー消費地。エネルギーの節約に関し自ら進んで参加したいという姿勢が出てきたのがこのプログラム。今のところ州ないし連邦政府からの援助はないが、推進している。
(S・T:ゾーニング担当)
いろいろなプロジェクトの認可に合っているかを検討するが、サイン表示も厳し
くなってきている。バックグラウンドライト及びネオンサインの禁止etc.
商業地域の中にも小売業とかレストランとかバイクの修理屋とか地域を特定する
とかのこういうものを作って良いという規準がある。住宅地に商業施設作る場合、出
来ないことはないが地域のコミュニティのコンセンサスが必要である。
高さ制限はこの近辺で40フィート、住宅地で25フィートである。建坪率とい
うものありましてフロアユーレイションというがこの近辺は100%のところもあ
る。レジデントエリアは40%。セットバックの規定は従わなくてはならない。
壁・色は何でもOKである。歴史的建造物に関しては、規定がある。
違反建築に関して、建築中は撤去。建築後はダブルフィーという罰金がある。勘違いとかの小さなミスは許される。
高さ制限することにより、低い地域を確保し、集合住宅が外へ外へと広がって
いく。従ってある意味では高い建物も作っていかなくてはならないのではないか
-これは個人的見解である。
(B・N:市街地のデザインの企画担当)
ダウンタウンでのペデストリアン(歩道)プロジェクトに関わっている。市議会とビジネスオーナー合わさったコミッティーで検討している。このあたり
2重のブロックとなっており、メインストリートから山際のブロック、ここから東側
及び西側のブロックである。なるべく車のインパクトを減らして、歩きながら楽しめるようにするプロジェクトである。
今このコミッティは一週間に一回二時 間6カ月間やっている。コアプロジェクトとしては、社交の場・レクレーションの場・フォーカスの場
としての考えを失わないように常に意識している。これにプラスして地元民のコミュニケーションを崩さないで観光局に合わせた開発を、コ
ンサルタント、建築家、マ ーケティング担当入れて検討していく。
話だけではなくテストの段階から地元民が参加する。例えば道路の幅を狭くし歩道を広げるという実験をもうすでに6カ月やってお
り、コンサルタントチームを選定する時期に来ている。選定し、議会にかけて実施してみて、次回の改善点を見い出すという手順で進める。これは非常に市民をベース
にした計画といえる。
尚、エキスパートの援助を加えた地元の人そしてビジターにとって素晴らしい計画となっている。どういうものがあるかというと、経済的社交の場、都市型の生活
をミックスした誇れる機能を盛りだくさん含んでいる。
地元民とビジターのコミュニケーションもまずスキー、ミュージック、フェス
ティバル、フード・ワインフェスティバル、グラフィクデザイン、街頭芸、スポーツ
大会、バレーボール、フットボール、ラグビーetc.たくさんある。
自然環境の中における、健康・心のバランスを考えている。以上の取り組みが、アスペンのHeart(心)とSoul(魂)作りに寄与して
いると自負している。
(また、こちらからの質問に対して以下の説明も頂いた。)
元々難視聴地域であったので殆どがCATV、衛星放送に加入している。
成長率に関しては、2%ということで地元の人と市がお互い納得している。
「アスペン魂とは何か?」といえば、この街は1930~1940年にかけてシカゴの事業主「ウオルター・ペプキー」がコンテナ会社「グランド・パトロン」を起こしたのに始まるが、「商業と文化と精神的なもの」と言えるだろう。アクティブなスキーに文化をプ
ラスして「アスペン研究所」をつくった。
(E:歴史担当)
元々インディアンのコート族が住んでいたが、1800年後半コート族をユタ州
に移動し、1880年インディペンデント峠を越えて入ってきた人々は今の3倍の人
口であった。人々はログハウスを作り、レンガ作りの家、そして木の家を作っていった、
これらは富の象徴となっていった。 ここは世界一の銀産地であり、ジェローム・ウィラーは『オペラハウス』を作り、鉄道を敷設し、役者を連れてきた。
ところが1893年に金本位制が採用されるや一夜にして破綻してしまった。
そして1950年まで使われていなかったが、ペプキーが手を入れて改造した。450席あり、市の所有であるが、ご好意によってまかなわれているところ大である。
ボストン交響楽団は入れないが80人のオーケストラは出来る。ほぼ1年をとおして
映画やコンサート等何かしらイベントをやっている。
Eは歴史担当でオペラハウスの案内役にピッタリ、若く優雅で美しい。説明内容
は上の空で彼女の美しさに魅了されたメンバーも多かったのではないか。
次は食事のためのホテルへ向かう途中、EとBから次のような親切な説明を受
けた。
・道路幅を実験的に狭くしているのだが、車がゆっくり走るようになった。
・歩道のレンガにはメーカーの名前が刻まれている、100年以上のもので
ある。
・電線は地下埋設であ り、CATVは同軸ケーブルである。
・道路のセンターラインは見栄えが良くないので引いていない。等
食事は有名な「Hotel Jerome」。
このホテルは1889年パリの「リッツ」に対抗してデザインされた。
何年にもわたって豪華な存在であったが、大恐慌と共に一転し、寄宿舎やコミュニティホ
ールに利用され、安い食事が提供され、地元の人達によってつつましやかなエンターテイ
メントが行われていた。1950年になってからゲーリー・クーパーやラナ・ターナーなどの映画スターの利用
によって甦った。彼らは優雅で気取りのないこのホテルを大切にしたと聞く。このアスペ
ンのランドマークである当ホテルは改築され、磨きをかけられ活気を取り戻している。
優雅な食事の後、午後からはアスペン研究所を見学した。突然の訪問であったにもかかわらず、通訳のK.Hさんの折衝力のたまものか、親切にも扉を開きわれわれを迎え入れて
くれた。本当に気取りのない親切さが当地の気性なのである。
水と空気がきれいであると人間もきれいになるのであろう。街ですれ違う人々の何と美しいことか。
そしてきれいな水ときれいな空気の『アスペン研究所』に世界中から人々が集い語り合
う。いただいてきた小冊子の前文を紹介することで、紹介に換えますが、さらにご関心の方
は、インターネットへアクセスしてみてはいかがでしょうか。
アスペン研究所の概要:
Mail Center、Japan Councilの案内等見ることが出来ます。 [http://www.aspeninst.org]