(1)「まちづくり」の原点
都市国家(ポリス)論をどこかで学んだ。多分大学時代のゼミナールの輪講 であったと記憶する。あるいは高校時代の世界史の中であったかもしれない。 何かほのぼのとした理想郷がそこには存在したかのような表現がとられていた。 すくなくとも自分はそう思った。
さらっと乾燥した近代市民国家のイメージで あり、日本のようなじめっとした緑深き村落ではない、そんな感覚でポリスを 捉えた。また都市の「都」という文字には幼少のころから馴染みがある。小学生時代 には世界の国々の首都を覚えたものであるし、さらに幼いころにまで溯ると、
幼児期読む物語は必ずと言ってよい程「都(みやこ)」が出てきた。立身出世し
故郷へ錦を飾るといったたぐいの物語であり、「都」という文字は幼少のころから馴染みのある文字なのである。しかし当時は東洋的な感覚であった。
「まちづくり」の原点を述べるつもりが、都市について記憶をたぐっている 。「まち」と「都市」は違うだろう。
そのころ(私の大学時代も幼少のころも)、「まち」という文字は使われていなかったし、そういう感覚は希薄であったかあるいはまったくなかったと思う。(ひらがなは使わなかった)。文字としては、「町」か「街」である。「町」は「村」より少し大きな、道路がありバスが走り、民家あり商店あり学校あり医院あり、とにかくいろんなものが集まっているところといったイメージであり、「街」は「○○商店街」「×
×銀座街」と言ったイメージ、すなわちアーケードの入り口に必ず出てくる文字、そんなイメージで漢字覚えのための百字帖に文字を書きなぐった記憶が割と鮮明によぎる。
「街」は多少ネオンサインのイメージがするし、「町」にはそれがない。むしろ工場(こうば)のイメージがついて回る。
少しそれますが関連して「田舎」とか「村」という文字がある。これらから
は、人が生まれて死んで行くまで、否、生まれる以前から死んでからも、『すべてを包含して自然と一体の環境』といった感覚がある。文字そのものからもそ
ういったイメージを連想させるところがある。ところが「都市」とか「都会」とかの言葉から連想するものには、そういった
『すべてを包含して自然と一体の環境』というイメージがわき起こらない。
これは私だけのイメージだろうか。多くの人たちがそのような体験を持っているのではないだろうか。それは昭和30年代の幼少期を(田舎で)過ごした団塊の世代にのみ通用する感覚であるかもしれない。都会に生まれ育った10歳代の若い人は違うイメージを描くかもしれない。
話はそれてしまいますが、最近の日本語の乱れは世代間の断絶というにはあま
りにも軽すぎる。言葉や文字から共通のイメージを描き得ないのであれば引き継
ぐものの喪失であるし、それは日本そのものの喪失であると思うのです。
もとに戻り、「まちづくり」との原点といったところで「まちづくり」そのものが、かなり抽象的表現であることが判り、何も語れないことに気づく。
もともとない言葉<概念>だったと思う。違っていたらどなたかご指摘をお願
い致します。だれがいつごろから使い始めたのかは、定かではありませんが、意味すると
ころのものは西洋にポリスが発生してきたころのほのぼのとしたものに相通ず
るかなり精神的なものをも包含し、ある意図を含んだものではなかったのかと推測するのです。
失われた何十年間を取り戻すべく革新側から出てきた気もします。「まちづく
り」の言葉のなかには「市民」(近代的知的市民)の感覚があるのです。「町」
や「街」にはそれがないのです。この両者は行政区を表す文字であり、先にも
述べたようにある商店名の後ろにくっつく修飾語であったりするわけです。
ひょっとすると公害列島日本の反省に立ち、経済白書や建設白書あたりから使われ始めたのかもしれない。これについてもご存知の方からのご指摘を期待するものです。
こんなわけで私は幼少のころから「町」や「街」「都市」に関心を持ち続けてきた。多くの地域に移り住んだ体験も大きく寄与しているかもしれない。拙いまちづくりの調査・研究に携わった経験がそれを一層加速させてきているでしょうし、以下に述べるように人間共通の根源的欲求なのかも知れません。このようなわけで今回 「まちづくり」に関連して私のホームページを立ち上げることにしました。
次に、いくつかの側面から私なりの考えを述べていきます。