■都市の成り立ち:
 日本における都市化は、あるいは他の国々の都市化も同じかもしれませんが、 人々が田舎をあとに、都市に移り住んだ理由は至極単純と考えます。
明治初期からの工業化施策の結果として生み出された雇用(就業)の場を求めてのことであったと思われます。それ以前にも都市というものがあったでしょうが、東京を中心 とする大都市化の歩みは(産業)工業化ときっては考えられないと思います。

私の小学生時代の社会科の授業においては、京浜工業地帯、阪神工業地帯な どという用語を覚えさせられたものである。現在はどういう教え方をしているのであろう。非常に興味を覚えます。
 この あたりの正確な歴史的根拠は専門家の方々のご解説に譲るとして、私としては半世紀を生きた体験から感じるところを述べるにとどめておきます。

■ 都市と市民:  
 都市化の進展は工業化と期を一にして進展したことに間違いはないでしょうが、そこに住む人々が、市民としてどういう意識をもち「市民化」(このよう な用語があるのか疑問である)していったか を考えると、都市化と市民化が一体ではなくかなりのズレがあり、そのズレは 拡大し続けているように思う。

 すなわち私の考える「市民」とは「○○市」に住んでいる「○○市民」とい う行政区域に住む人々の集団を言うのではなく、古代ギリシャの近代都市国家 (ポリス)的市民に似た民主主義の主体者としての市民である。ただしブルジ ョアジーの集団とか、なにがしかの団体やグループやある階層を代表する利益集団ではなく、一般市民を代表し、国家運営に寄与する主体者として市民であ る。権利のみ主張する反体制というものでもない。  

 なぜこう考えるかは私の過去における認識が大きいのかもしれません。確かにゼ ミナールの専攻は社会思想史であったし、卒業論文は「M・ウェーバー研究」 でありました。その因果関係は解りませんが、次のように思うのです。

 「これからの21世紀において世界を動かすダイナミズムの原点は一般の知的大衆なのではあるまいか。それを市民と呼ぶのではないだろうか。
グローバルになればなるほど国家や行政の枠組みは相対縮小化し、グローバル市民が大きな力を持ってくる。企業はこの大いなるステークホルダーの見えざる手を意識した企業 運営を余儀なくされるだろう」と。 少し脱線しましたが、私の一企業人としての予見です。また「企業人も一市民である」。この気づきが実は大きな転換点となる。21世紀はそんな時代になる と思うのです。

 ところが日本にこのような市民意識があるだろうか。私は仕事柄、行政の方と話す機会が多いが、市民という用語を使う時には、ことばを選び直す必要があります。東京都の方と話す時には「都民」と言い、区役所の方と話す場合 は「区民」と言い直します。

 今もって権利主体としての市民という言い方は出来ないし、現場において一 般的用語とはなり得ていないと思うのです。すなわち日常生活において、住民自治意識はまだまだ希薄であり、団体自治のサービス受給者と しての○○都民、○○区民という認識しかないのが実態と思うのです。そこには権利 としての市民、民主主義の権利者としての市民意識などは存在していないと考えられます。
 現場で流布している用語の使い方がそうなのです。都民、区民、市民、町民をひっ くるめて市民と言う場合には、そのように使うのだということを解説しなけれ ば、会話が進まないし、わざわざ解説するのも面倒なので、最初から都民、区民ということになってしまう。
 市役所の方と話す場合はそのへんは便利(?)です。

 尚、そのような権利主体としての「市民」という用語が一般的にどの程度使用されてきているのか、定量的かつ定性的な分析を試みた資料は見たことはない。学校教育の現場でどのような教え方がされているのでしょうか。知るすべもありませんが、想像はつ きます。
 
 試しに大学3年生と高校1年生の子供に聞いてみた。案の定、単純な回答であった。 「市民」ということばから何を連想するかとの質問に対し、2人とも、例えば横浜市に住んでいる人を横浜市民というのだとの回答であった。「フランスの市民革命の市民という連想はないか、「市民の権利」という事を聞かないか」との質問 に対して、さすが大学生はそういうイメージもあるけれども、単純に「市民」 から何を連想するかと聞かれれば(横浜)市に住んでいる人を(横浜)市民というと、そういう感覚が大きいということであり、高校1年生の息子は「世界史はまだ習っていない」との素っ気無い返事であった。相変わらずの学校(考え方を教えない)教育であるし、またわが家族の市民意識の低さでもある。「反抗期の子供に難しいことを聞いてもいかんな」これが別の次元の親としての実感である。以上の結果である。しかしこれが現在の日本においては一般的かもしれない。

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