Fallin'


「后さん…、ありがとうございました」
 千歳は、丁寧に頭を下げた。
「済まないね。ウチの面接は厳しくて有名なはずなんだが、どうしても毎年何人かは、ああいう生徒も紛れ込む…」
 困ったものだ、と后は肩をすくめた。

 地面に片膝を立てて座ったまま、無言で下を向いていた舞が視線を感じて顔を上げると、横目でこちらを見ている后と目が合った。

「弱いな」

「……っ」
「后さん…」
 千歳が珍しく、とがめるような声を発したが、后はそれを無視して言葉を続けた。
「自分と相手との力量の差を考えた上で行動を選ばなければ、守れるものも守れない…と私は思うがね」
「………」

 何も反論する言葉が浮かばなかった。
 舞は、1対1であれば決して弱い方ではない。しかし、一人で複数の相手に勝つ為には、常人離れした肉体を持ってでもいない限りは、ちょっとしたコツと、天性の才能とも言える“野生の勘”“並外れた動体視力”などが必要となる。舞には、そのどれも備わってはいなかった。
 後ろに守るべき人を持ちながら、勝てない喧嘩を売ってしまった…。単に、弱いと馬鹿にしている訳ではなく、その事を注意されているのだという事は、舞にも理解できた。

「先日、うちの空手部に入った真壁弘人…。空手は初心者のようだが、彼は強かったな。
…君の友人だったね」

(知ってる……)

 弘人は優しげな顔に似合わず、昔から喧嘩が強かった。気の強い舞が揉め事を起こすと、最後にはいつも弘人が助けてくれたのだ…。格闘どころか、運動部にも所属した事の無い弘人がなぜそんなに強いのか、舞にはいつも不思議だった。
 …実のところ、弘人は家でこっそり体を鍛えていて、今まで運動部に入らなかったのは「舞の為に喧嘩をした時、運動部に所属していると部に迷惑をかけてしまう恐れがあるから」なのだが、その事を舞は知るよしもなかった。ちなみに、高校で空手部に入部した理由は、后が顧問を勤めるここ華宮の空手部では、空手の他に実践で使える技や、護身術などを多く教えてくれる…という噂を聞いたからだ。もちろんこれも舞の為である。

「なんなら、君も友達と一緒に空手をやるかい?私が手取り足取り教えてやるが」
 いつもの舞なら「ふざけんな!誰がアンタなんかに」とでもに吐き捨てたい所だが、さすがに今助けてもらったばかりで、そんな悪たれ口を叩くのは気が引ける。

「遠慮しとく…」

 舞がそれだけ言ってまた下を向くと、后は優しく笑った。
「そうか、気が向いたらいつでも来なさい。…まあ、それよりも今はまず試験勉強だな」

 后の「試験勉強」という言葉に、舞が顔を上げる。
「こんな時間にここを通るという事は、図書館にでも行くつもりだったんじゃないのか?こんな所に座り込んで落ち込んでいたって、点数は上がらないが…」

 舞は、ガバッと立ち上がると、顔を下に向けたまま后に向き直った。
「きっ、后尚也っ」
「ん?」
「今回は…その、…クソッ。……ありがとうございました。……チクショウ!」
 そう言うと、真っ赤な顔で背中を向けて走り去った舞の姿に、后は声を上げて笑った。
「ハッハッハ。変わらないなぁ、あの子は」
「……スミマセン;;」
「フフッ。あれでは千歳も、可愛くて仕方が無いだろう」
「そうですね……。可愛いですよ」
 千歳は、小さくなった舞の後姿に視線を送ると、愛しげに目を細めた。

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