Fallin'
10


コンコン

 自室でテスト勉強をしていた舞は、控えめなノックの音に顔を上げた。
「はい?」

「まーくん、お腹すいてない?夜食…いるかな?」
 ドアを開けて現れた千歳が手にしている、紅茶とサンドイッチの乗った盆を目にした舞は、グルッと勢いよく椅子ごと振り返った。
「すいてる!もうペコペコッ!ちーちゃん作ってくれたの!?うわ、たまごサンドだっ!やった♪」
 子供のように喜ぶ舞の姿に、思わず千歳の頬も緩んでしまう。

 舞はマスタード類が苦手な為、千歳が作るのはマヨネーズだけのシンプルな味付けだが、このたまごとマヨネーズの割合が絶妙で、舞はたまごサンド自体はそれ程好きではなかったが、ちーちゃんのたまごサンド≠セけは昔から大好物なのだ。

「まーくん、また英語の勉強してるんだね。…なんか、テスト勉強って言う割りには、英語しかやってる所、見てない気がするんだけど」
 千歳のその言葉に、ギクリと嫌な汗がつたう。

「まーくん、もしかして……、留学とか考えてる?」

 は?

「まさか!ぜんっぜん考えてない!…ほら、英語教師のちーちゃんの甥で、一緒に住んでるのに英語が出来なかったら、なんか色々言われそうじゃん。だから重点的にやってるだけ。他の教科もそれなりにやってるよ?」
 居候という形とはいえ、やっとまた一緒に暮らせるようになったというのに、なぜ留学など考えなければならないのか…。
(ちーちゃんてば…、俺がどっか行っちゃっても良いのかよっ)

「そっか……」
 千歳の的外れな言葉に、なんとなく気持ちがささくれ立った舞だったが、明らかにホッとしたような千歳の表情を目の当たりにし、今度はほんのりと期待がふくらむ。
「ちーちゃん、俺が留学したら…ヤダ?」
「っ……、…うん……」
「ちーちゃ…」
 立ったままの千歳に対し椅子に座っている舞が、下から千歳の手を握ろうと腕に力を込めたところで、次の千歳の言葉に固まった。

「だってまーくん可愛いし…、一人で海外に行かせるなんて心配で困るよ」

「ハイ?」
 なるほど、千歳の中では自分は未だに一人歩きさせるのも心配なコドモであるらしい…。

(クソッ…!)
「うわっ……」
 舞は突然立ち上がると、千歳を後ろのベッドに押し倒した。
「ちーちゃん、俺だっていつまでも子供のままじゃないんだぜ?力だってもう、ちーちゃんより強いし、こうやって覆いかぶさる事だって出来…―― る?」
 いつの間にか体が180度回転し、舞と千歳の位置が入れ替わる。

「ほえ?」
 何が起こったのか分からず間抜けな声を出した舞に、千歳は冷静に右手で舞の両手を固めながら言った。
「あのねまーくん、僕も一応簡単な護身術は后(きさき)さんから習ってるんだよ。あの人はそういうの自分の周りの人間に教えるのが好きだから…」

「ウ……」
「だから悪いけど、こういう事ならまだ僕の方が強いよ」
(ウソだぁ〜っ!!)

 片手で舞の両手を掴む千歳の腕は意外に力強く、また頭の上で固定されている為にうまく力が入らず、もがいてみてもビクともしない。
「やっぱり、まーくんも何かやった方が良いのかなぁ?なんか不安になってきたよ…。かと言って、空手部は体の大きい子が多いから怪我とか心配だし……、后さんに、何か個人的に教えてもらえないか頼んでみようか?」

「ちーちゃん……」

(勘弁してよ……;)

 愛しのちーちゃんに乗っかられているこの状況は、嬉しいようで哀しい…。なんとも複雑な感情を舞いに運んで来たのであった。

  小説 TOP