心の棺


 千歳は、職員室前に張り出され用紙を読んでいる振りをしながら、尚也が出て来るのを待っていた。
 やがて、扉が開く音と共に聞こえた「失礼しました」という声に反応してそちらを見ると、顔色を失った尚也が焦点の合わない瞳で立っているのが目に入り、慌てて駆け寄った。

「后(きさき)先輩!どうしたんですか?真っ青ですよ…どこか具合が悪いんですかっ?」
「違う、兄が迎えに来るんだ。それで早退してニューヨークに…」
 微妙に質問に合わない答えを返す尚也の様子に、強い動揺を感じ取り戸惑う。

「悪い、もう行く」
 そう言って歩き出した尚也は、制服のズボン越しでも膝が震えているのが見てとれる程で、今にも崩折れそうなその足取りの痛々しさに、千歳は思わず尚也の腕を掴んで呼び止めていた。
「待って下さい!僕が先輩の教室まで鞄を取りに行ってきますから、先輩は玄関で待っていて下さいっ!」
 千歳は一気にそれだけ言うと、尚也の返事は待たずに走り出した。

 いつも美しく輝いている尚也…。その尚也が今は色を失っている。あんな姿で大勢のクラスメイトが居る教室へ向かわせるのには、強い抵抗を感じた。きっと尚也自身も、あのような姿はなるべく人に見られたくないだろう。

(先輩っ……)

 千歳は、訳も分からず涙がにじみそうになるのを堪えて、必死で足を動かした。







「有栖(ありす)先輩!」
 尚也の教室に辿り着いた千歳は、尚也の親友である恵瑠(めぐる)の姿を見つけ、大声で呼んだ。
「ん?どうした、血相変えて…。とゆーか、誰だっけ?」
「あ、生徒会で后先輩の後輩の、二階堂といいます…。あの、后先輩が早退するそうですので、先輩の荷物を……」
「え?ああ…、ちょっと待ってろ」
 先程、尚也が校内放送で呼び出された事もあり合点がいった恵瑠は、尚也の荷物をまとめるべく、教室内へときびすを返した。







「尚也っ!」
「っ…、…恵瑠」
「お前、どうしたんだ?大丈夫なのか?」
 呼び出しを聞いて教室を出て行った時とは明らかに違う尚也の様子に、恵瑠は動揺を隠せなかった。
 尚也の顔色は、先程千歳と会った時よりも一層青白くなっており、両腕で抱きしめるように膝を抱えて座っている尚也の体は、小刻みに震えていた。

「恵…瑠、クレア…、クレアが……」
「クレア…?お前の恋人のクレアちゃんか?」
 その名前に、千歳の心臓がビクリと跳ねた。……彼女に何かあったのだろうか…。
 尚也の為にと心配する気持ちの他に、こんなにも尚也の心を乱すことができる存在であるという事に、強い嫉妬心もわき上がる。

「殺された…んだっ…。暴漢に…っ襲われて…、殺された…って……」

「!!」

 暴漢……。若い女性が暴漢に襲われたと言えば、それは往々にして性的な暴行を意味している。

 恵瑠と千歳は、かけるべき言葉を見つけられず、辺りには尚也の悲痛な慟哭だけが響いた……。

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