ふびん
 椎名の使用人たちは、愛くるしい伊澄がおかれている境遇の厳しさを不憫に思い、義母

に隠れて皆、可愛がってくれた。
 いすみ 
 伊澄は、父親と義母の冷たい態度に傷つきながらも、使用人たちの優しさを支えに日々

を過ごした。



 いつか自分の現状を知った母が、迎えに来てくれるかもしれない…という希望を持ちなが

ら。





 そうして、伊澄が椎名の籍に入った2年後

 5歳の夏



 義母が男の子を産んだ









「今更、子供が出来るとはな…」

 呼びつけられた書斎で、伊澄はやり切れない思いで父、直澄を見ていた。

 直澄は、まるで他人事のような顔で机に片肘をついている。


                                            きよすみ
「伊澄、わかっていると思うが、椎名建設の第一後継者は正妻の子である清澄となった。

 まったく、面倒な事になったものだ」

 そう言うと、直澄は心底嫌そうな顔で溜め息をついた。



「お父さん、俺………」

 伊澄は、震える拳を握り締め、訳も分からず泣きそうになるのを必死で堪えて、言葉を

紡いだ。



「ママの所に帰りたい……」



「………。

 無理だ。



 お前の母親は、もう日本に居ない」



 突きつけられた言葉の衝撃に、言葉も出ない。


               くに
「お前が家に来てすぐ、故郷に…スペインに帰った。それきり連絡も 

 ない、スペインのどこに居るのかもわからん」



「そんな……」





  ママ……





















   ママ…迎えに来てよ



   どうして俺を置いて行ったの?





  どうして、独りにするの?





   寂しいよ、ママ…………





  俺、全然幸せじゃないよ…













   俺は、ずっと帰りたいと願っていた場所が

   すでに無い事を知り



   そして

   それから俺の誕生日が祝われる事はなくなった









   俺は



   用無しになった





















 中学に上がると、伊澄の生活は完全に荒れていった。元々母親似だった容姿は、年を

追うごとにその血が濃くなり、また、伊澄の椎名家での立場は最早、周知の事実であった

為、周囲からも孤立していた。



「椎名って…………なんだろ?」



 教室で、伊澄が机に顔を伏せてうつらうつらとしていると、近くからボソボソとした話し声が

耳に入った。

(本人の居る場で内緒話するんなら、もっと小さい声で喋れよ)

 伊澄は呆れて、どうしたものかと考える。



「ああ…


  めかけ
 …妾の子?」



   『妾の子』とは、また古風な言い方だな

   憶えた言葉、使いたいのがバレバレなんだよ



「バカ、聞こえるっ」



   ああ、聞こえてるよ



 ガッ

「っつ…」



 伊澄は話していた男子生徒のうち、一人の肩を長い足で蹴り飛ばした。蹴られた男は、
                               うめ
椅子ごと派手にひっくり返り、蹴られた肩を押さえて呻いている。どっちがどっちのセリフを

言っていたのか定かではないが、そんな事はどうだっていい。



「テメーらの下らねー話に、気安く俺の名前を出すな」



   下らねえ



   なんかもう

   ホント下らねえ




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Happy birthday to be