東京スカパラダイスオーケストラ 15周年記念ライブ
2004.10.22 国立代々木競技場第一体育館

「東京スカパラダイスオーケストラ」

小学校中学年、物心ついたときからよく耳にする名前だった。大分では昔夏になると「城嶋ジャズイン」という城嶋後楽園遊園地での野外ライブイベントがあり、毎夏CMで 『マルタ、マリーン、オルケスタ・デ・ラルス、東京スカパラダイスオーケストラ・・・』 この固有名詞がよく耳に飛び込んできていた。当時はまだ小学生、ジャズインよりはむしろ遊園地で遊ぶことの方に夢中だったためけっこうジャズインに合わせて城嶋に行っていたこともあったのだがかすかに流れてくる音をBGMに当時は遊んでいた記憶がある。けっこう毎年来てくれていたはず。

東京スカパラダイスオーケストラの存在を知ったのはCMの音楽やらなにやらで。番組のBGM、ウイスキーのCMだったホールインワン、カクテルバーの花ふぶき、メンバーも竹中さんも出演してたFMVかなんかのPCのCM、シャンプーのCM、かくし芸大会、紅白歌合戦、深夜の謎のバラエティー番組(よく考えたらデカメロンだった)などなどなどなど挙げていたらきりはないが、何かしら耳にはしていたのだが当時は普通のヒットチャートやらミリオンナイツやらに夢中だった為スカパラ音楽に深く触れることはなかった。すごいニアミスだったのだが。

自分のことを振り返ると、小4で小学校の金管バンド(私が小6の時からウインドアンサンブルに変わった)に入部しそこで打楽器と今でもお世話になっている熱い指導者の先生に出会い、中学では縁あって地元のオーケストラに入団。そして縁あってまさか更に音楽と打楽器の勉強するために地元の高校に進学することになろうとは。ということで高校では打楽器とその他クラッシックをベースに音楽科のある高校に、そして地元の短大(付属高校だったので)に進学して更に打楽器学びつつ卒業。

今はすっかり会社事務員なのですが音楽は続いており卒業後に地元のジャズオーケストラに1年間だけ所属させてもらったが仕事の部署が変わった都合で退団、丁度仕事が忙しくなったころと並行して今所属しているバンドTHE SKA-PHONICSとの出会いがあった。まさか自分がSKAバンドのメンバーになろうとはSKAの神様に感謝感謝。

この間どこにスカパラとの接点があったかというと丁度中3くらいのころに小沢健二ブームがきまくっておりその影響もあり高1(1996)辺りで偶然グランプリを購入。そして高2(1997)で自分の中でGroovisionsブームがあり、その影響でスカパラのベストをジャケ買い。ただしいずれも初回版は逃しているのだが。

非常におしい運命としては今となっては忘れもしない高3の冬の学級の帰りの会の時。担任から思わぬ言葉が

「えー、今日芸術会館で東京スカパラダイスオーケストラのコンサートが開催されるのですが、うちの学校を卒業した先輩がスタッフをしている関係で、2500円で10名程度入場できる様ですが、誰かいきませんか〜」

今となってはそんなアホなという話だが。この年は98年ARKESTRAツアーの真っ最中。大分は集客がいまいちだったのかチケットが余っていたらしい。しかし当日私は『ええっ!バス代しか持ってねぇよ!!後輩は行くって行ってたけどうちのクラス誰も行かないだろうな・・・』という状況だったので挙手しなかった。惜しいことを逃してしまったのだ。ただ、あそこで万が一行ってたら今の私はいなかっただろうな。きっと彼らを追って身の程知らずで東京に飛び出てただろう。

そしてそのARKESTRAツアーに参加した人はスカパラの魅力に打ちのめされ「まじ最高」という話を聞きますますスカパラが気になりはじめて、んじゃ次回のツアー行ってみたいなぁ〜行こうよ〜!

なんて話をしていたら1999年5月、ニュースから飛び込んできた訃報。

夢中になって話をしていたバンドのドラムが・・・・ショックでした。なので私は彼のドラミングを生で聴いたことはありません。結局その年の荒野を走るツアーにも日程の都合が合わず不参加。なのであの駆け抜けたツアーもナカタツドラミングも生で聴くことはなかった。

ようやく参加することができたのはギター加藤隆志が正式メンバーとなり、現ドラムス茂木欣一がサポートとして回ってた2000年”Gunslingers”ツアー福岡初日、ドラムロゴス。本当に白熱したライブだった。どうしたことか前から2列目辺りという初心者にしてとんでもないポジションにいたのでその迫力は圧倒的なものがあった。フロアに降りた加藤隆志が最も衝撃的だった。今じゃ国内ではありえない事だが。

お約束どおりすっかりスカパラの音楽にはまってしまった。一気にCDも買い揃えた。当時は学生だった為遠征など考えもしなかった。翌年2001年の”GOIN' ROUND SKA TOUR”in福岡を経て更にスカパラのライブバンドっぷりを見せ付けられた。この年茂木欣一正式加入。この辺りからHPを開設していることがきっかけとなり少しずついろんな方と交流させていただいたりもして。

翌年2002年はスカパラがきっかけで知った堂島孝平のライブにも参加したりしてまた新しい音楽との出会い。この年奇跡的にも大分にスカパラが!MEGA LIVEという緑を守ろうといったテーマのイベント。RISE スカパラ THE BOOM ハウンドドッグというなんかものすごいメンバーでのライブだった。また再び大分にスカパラが来るなんて夢の様だった。

この年の”SKAHOLIC GENERATION TOUR”では高校の頃からの友人を引っ張り出し行くぞ行くぞと神奈川と市川に初遠征。その後福岡、武道館ファイナルとこの辺りからふらりと遠くに行く様になった。

またこの夏は2001年末、NARGOで検索をかけて偶然HPヒットという運命的な出会いを果たした北のテンション大王との出会いもありRISING SUN ROCK FESにも参加。一気に思い切りすぎ。そこでまた新たな出会い盛りだくさん。そしてこの冬にTHE SKA−PHONICSの話が出てくることになる。

2003年THE SKA−PHONICS加入。まさかこんな形で夢がかなうとは。そしてスカパラツアーは久々のハウスツアー”HIGH NUMBERS”北から南までいける範囲でふらふらと。各地でたくさんの出会いがあり遠征の楽しさ、ライブの楽しさを更に味わう。

2004年はバンドの活動も増えてきてバンドを始めたことがきっかけとなりいろんなバンドのSKAの音楽を聴く様になった。日本国内にはたくさんのSKAのバンドがある。こんな日本という小さな島国にジャマイカという小さな島で生まれたSKA MUSICが広まっている。すごいことだと思う。お茶の間にSKAを。広まってる、確実に。

スカパラは本当に不思議なくらい「出会い」をくれるバンド。だからこれからも聴き続けていくしライブにも行く。たくさんのかけがえのない出会いをくれたスカパラには本当に感謝の一言に尽きる。本当にありがとう。

という思いを抱き今回通過点の1つ、15周年記念ライブに参加となった。