3月12日(日)


7時に朝ご飯をとりにレストランへ行ったら 3人熟女さまだけ 姿を見せた。
ここに来て初めて本物のオレンジジュースにお目にかかった。 美味しい!

フロントで両替してもらったら 空港より良いレート(^。^)(20$=26.1YTL)

午前中は自由行動なので Yさんご夫妻とタクシーで地下宮殿へ。
ごくありふれた建物の下へ降りると そこには幻想的な世界が広がっていた。
ビザンチン時代に作られた地下貯水施設のこと
およそ8万m3の水が貯められたと言う。
ひんやりしております。
ここを有名たらしめた「メドゥーサの首」
逆さのメドゥーサは迫力満点

初トラムに挑戦。リュステム・パシャ・ジャミイへ。
個人手配の旅行では 公共交通機関を楽しむんだけど ツアーではそれが出来ないのが 残念だよね


なにやら怪しげな界隈を抜けると 変哲もないモスクに行き着く。
ここは友人が強く勧めてくれた。とにかくイズニック・タイルが素晴らしいから と。
そして本当に素晴らしかった!
天井も柱も壁も 幾何学模様や花模様で埋め尽くされ イズニック・タイルの深いブルーに圧倒された。

ここで ペラ・パラス(アガサ・クリスティの定宿で 「オリエント急行殺人事件」を執筆したとされるホテル)へ
行くというYご夫妻と別れ 私たちは 歩いてガラタ橋を渡る。 
上下2階建の橋の下では 名物鯖サンドの煙にいぶされ 早々に上へ行くと 釣り糸を垂らす人がいたり。
長閑な散歩コースでありました。

カラキョイから小路を歩いてテュネル広場へ行くと
折りよく市電がやって来たので 
これでホテルへ帰りましょ。
途中架線が外れるハプニングがあったけど
ま、無事に帰れました。

チェックアウトが終わったら 12時半にロビーに集合。
荷物をバスに積み込んで ボスポラスクルーズのため 出発。
元獣医先生は 名うてのリピーターだから クルージングはパス、ホテルでお留守番。

黒海の雰囲気をちょっとだけ感じられるところで お待ち兼ねのランチタイム。
やっと イカフライや鯖の塩焼きが登場。
持参のお醤油をかけて 美味しく頂きました。


貸切の船の中を右に左に移動して ボスポラス海峡を楽しむ。
最後まで迷ったOPだったけど 参加してよかった(^。^)
ファティフ・メフメット大橋をくぐると 右岸にルメリ・ヒサルの要塞。
コンスタンティノープルの戦いのためにたった4ヶ月で造られたと言う。

別荘やレストランが並ぶ両岸、 ボスポラス大橋、 ドルマバフチェ宮殿 そして 終点エミノニュで下船。
待ってたバスに乗って 一旦ホテルへ。

イスティクラル通りを散策。
街角でムール貝のフライを頬張り 市場を覗き カフェに入って お茶をしたり 楽しかった。
そうそう 楽しみにしていたドンドゥルマ(伸びるアイスクリーム)は この時期 固めて売られている。
味見程度にみんなで分けて 頂いた。

さて 再びバスへ乗り込んで 向かうはオルタキョイ


車窓から見えたチュラーン・パレス
文字通り 由緒ある宮殿がホテルになっただけあって
「素敵〜」
「いつか泊まってみたいよね〜」 なんて言ってる内に
バスは するするとホテルの中へ入っていった。
アルちゃんとM添乗員さんの機転のお陰で 
見学できることになったのでした。

写真は湾に面したプロムナード。
お部屋こそ覗けませんでしたが 
バカラのシャンデリアが輝くレストランをチラッと見て
豪奢なトイレットを
しっかり拝借して来ました(^。^)

ライトアップされたオルタキョイ・ジャミイは ボスポラス海峡に面して建つバロック様式のモスク。
優美なモスクの周りには 露天や屋台がたくさん出てて なかなかの賑わい。
幸福を呼ぶ といわれる 目玉の親父みたいな爪楊枝を買って 最後の晩餐に向かいます。

ここはシルケジ駅構内にある
その名も オリエント・エクスプレス
オリエント急行の終着駅だった駅舎を
利用したレストラン。
外にはオリジナルの列車があって
かって アガサ・クリスティを読破した私としては
ワクワクします。
もう一回 読み直そうかな(^^♪

お料理は インターナショナルとかで
可もなく不可もなく。
サービスは大変よろし!

食事が済んだら いよいよ空港へ。
まずは 頼もしいドライバーさんと 黙々と働居てくれた助手さんとお別れ。
そして 名ガイドでトルコを大好きにさせてくれたアルちゃんともお別れ。
こんなツアーだったら 又参加したいと思ったのでした。

アタチュルク空港のラウンジは ヘボかった。
機材はもっとヘボかった。
パーソナルテレビもないA330−300。
でも ビビンバと 朝食(?)の変わりに頂いたラーメン(M子夫人に教わった)が とても美味しかった。

インチョン空港で乗り継いで 無事 成田に着いたのが もう夜の9時。
帰りは 日暮里までスカイライナーを利用、そこから自宅までタクシー。
帰りのコースはこれが一番楽かも。

 たっだいま〜
 疲れた〜


旅を終えて

ヨーロッパでもアジアでもないトルコの複雑な国情は 旅してみると良く分かる。
でも若い世代が圧倒的に多い発展途上の勢いが羨ましくもあったトルコ。
親日感情は想像以上で 100年以上前のエルトゥールル号難破事件の恩恵を 有り難くも沢山もらってきた。
同じウラル・アルタイ語族の民族として 次回はもっとトルコを知ってから 行かずばなりませぬ。