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2008年1月〜


           2008.7.21「どうしても合わない価値観。。」
           2008.4.27「仕事を楽しむ。。」
           2008.3.2「時間という概念。。」
           2008.2.16「怒りのはけ口、感情の連鎖。。」
           2008.1.28「人間関係の基本。。」
           2008.1.6「三姉妹の葛藤。。」



2008.7.21「どうしても合わない価値観。。」

忙しくて随分更新をサボってしまいましたので、
久々に、最近起こった出来事を書きます。。

一週間前、主人とケンカをしました。
きっかけは、些細なことなのですが、一週間も引きずってしまいました。。

一週間前、熊本へ行く用事があり、早朝の電車に乗りたかったため、
前日の夜に、なにげに主人に「明朝6時半にJR二日市駅まで

送ってくれない?」と頼みました。
すると主人は、「遊びのために早く出たいなら、自力で行けよ!」

と少し強い口調で言いました。
あとから聞くと、そのときはとても疲れていて早朝に送っていく気力が

なかったそうなのですが、そういった説明もなく、
急に強い口調で言われたので私はすごくムッとしました。

私にとっては、同じような状況の場合、家族が送ってくれるのが
当たり前でした。

逆の立場でも必要な場合は、ちょっと面倒だなと思っても
家族を送ってあげたので、そうやって助け合うのが当たり前でした。

逆に主人の育った家庭では、そのような場合、極力、人に迷惑を
かけないように自分で努力するのが当たり前なんだそうです。

自力でなんとかする努力もせずに人に頼るのが理解できないそうです。

それから、怒りの感情が入り混じって、どんどんこじれていって、
一週間経ってよく話し合い、ようやく仲直りしました。

人とのかかわり合いの中で、価値観が合わなくて
ケンカになったり気まずくなることってたくさんありますよね。

そんなとき、どんなに話し合っても、どうしても平行線で
わかり合えないことってありますよね。

そんなときは、相手を理解しようとしないことです。
そもそも、男と女は構造的に違うし、それぞれの育った環境で

価値観がまるで違うことがあります。
しかし、どちらが正しいとか間違っているというものでもありません。

どちらも正しいし、どちらも間違っていません。
ただ、考え方が違うだけです。

相手や自分を変えようとしても、変えられるものでもありません。

では、どうしたらいいかといいますと、、、

怒りなどの感情は、ごまかさずにしっかり味わい尽くして解放すること。

コミュニケーション不足はいらぬ誤解を招き、余計こじれる為、
相手とよく話し合い、お互いの考えを伝え合うこと。

相手を完全に理解することはできないし、相手を変えることは
できないことを知り、相手のそのままを認めること。

感情のままに、相手を傷つける言動をとったとしたら、
素直に謝ること。

これが今回、私が感じた解決策です。

これを実践できれば、ケンカは互いの絆を深めるチャンスとなりうると
思いますがいかがでしょうか☆



2008.4.27「仕事を楽しむ。。」

ときとして私たちは、物事に自分なりの解釈、価値観をくっつけて
苦しんでいる場合があります。

たとえば、職場において、他人の仕事と自分の仕事を比較して、
相手のほうが立場が上だとか自分のほうが下だとか、

自分のほうが劣っているとか考えます。
また、この仕事はつまらないとか、くだらないとか考えて、

それらの仕事をたくさんのストレスの中でこなします。
そのように考えているとき、人に対する妬みや怒りの感情、劣等感に苛まれ、

どうして自分ばっかりこんなことをしなければならないんだとか、
もうこんな仕事やりたくないとか、いろいろな考えが次から次へとやってきて、

純粋に与えられた仕事を楽しむことができません。
その妬み、怒りや自己嫌悪の感情が、生命エネルギーを浪費し、

仕事の効率を悪くし、多くのストレスが心身に影響を及ぼします。
物事にはいい悪い、正しい間違っているというものは存在しません。

仕事にも本来、必要のない職業など何もありませんし、
業務内容にも上下の価値などなく、雑用と呼ばれる仕事も

誰かがやらなければ、その会社はまわっていきません。
家庭でも同じことが言えます。

炊事、洗濯、掃除、すべて必要な仕事です。

苦しみは、自分のこだわり、とらわれからくるマインドが
作り出しているということに気がついておくことが大切です。

目の前にある仕事を純粋に楽しむことができたら、
仕事は生きるため、お金を稼ぐための手段として存在するものではなく、

人生そのものを体験するため、喜びを体験するためのツールとして
素晴らしい時間を過ごすことができることでしょう。


2008.3.2「時間という概念。。」

最近、時間も概念にすぎないのだと、感じます。
時間の感覚も以前と比べて遅く感じたり早く感じたり。

たとえば、仕事をダダーッと片付けて、30分くらい経過しただろうと
思ってパッと時計を見ると、まだ5分くらいしか経っていなかったり、

逆に犬の散歩をしていて景色に見とれたり、風の香りを感じたりしていると、
感覚的には30分くらいしか経過していないのに、

実際には1時間半くらい経っていたり。。
自分の意識の中で、時間の感覚は変化しているようです。

私たちは日常生活の中で、何時までに○○をしなければならない、
と時間に追われ、時間を気にすることが多すぎる気がします。

実は私たちは、時間という概念にとらわれすぎているのかもしれません。
時間にとらわれすぎることで起きる弊害は、今を生きることができない、

ということだと思います。
未来を見すぎて、今この瞬間を味わうことができませんから。

時間にとらわれず、一瞬一瞬を完全に体験できるようになると、
その一瞬の中に時間は存在しません。

その一瞬の中にあるのは、喜びだけです。
そしてその一瞬の中に永遠を見出します。

その瞬間瞬間の連続性の中で、私たちの意識は喜びの中で
永遠に生き続けるのではないか、

そんなことを感じている今日この頃です。

一瞬一瞬を大切に、五感と感情をしっかり味わいながら、
意識的に生きることが、人生をより豊かにすると思います。


2008.2.16「怒りのはけ口、感情の連鎖。。」

我が家では、母がたまに、私にドカーン!と怒りをぶつけてきます。
それを受けて、私はカチーン!ときて怒りの矛先を主人にぶつけます。

そして主人は、「俺は誰にぶつけたらいいんだ?」とつぶやきます。
「べつに、適当に流すからいいんだけどね。」とか言いながら・・・。

でも主人もまた、私から被った怒りを、誰か別の人にぶつけているかもしれません。
そしてその人は、また別の人にその怒りをぶつけているかもしれません。

そうやって感情というものは、連鎖的に周りに影響を与えていき、
それらは海を渡り、地球の反対側で戦争や犯罪などの暴力的な出来事を

引き起こしているかもしれません。

そう考えると、地球上で起こっているすべての出来事は、
自分自身とまったく無関係と言えるでしょうか。

実は、地球上で起こっている不幸な出来事は、
決して他人事ではないのです。

そういう意味で、地球上で起こっているすべての出来事に対して、
私たち一人一人に責任があると言えるでしょう。

先日、ある男性が、私にものすごい怒りをぶつけてきました。
私の行動が気に入らなかったようなのですが、私は何故、

そんな些細なことでそこまで怒られなければならないのか、
最初、理解できずに腹が立ってしかたがありませんでした。

その怒りを一人で心の中で、「バカヤロー!」とか言って
解放したのですが、冷静になって考えてみると、

その男性は仕事や家庭の問題などで、さまざまなストレスを
抱えていたようです。

翌朝にはスッキリした顔で、ケロッとしていました。
それでスッキリしたなら、まあいいか、と思いました。

怒りという感情をよーく見てみると、一つの出来事だけの怒りではなく、
長期間にわたって溜め込んできた、数々の怒りの蓄積が、

爆発した結果である場合が多いですね。
本当は感情は、周りの人に迷惑をかけずに、一人で吐き出したほうが

いいとは思いますが、もし周りの人があなたに怒りをぶつけてきたら、
相手の立場・状況を理解してあげて、

許してあげられるなら、許してあげましょう。
怒りを受け止めてあげられるなら、そうしてあげましょう。

どんな感情も、吐き出してしまえばスッキリします。
怒りを吐き出させてあげることで、相手がラクになれば、

あなたもラクになります。
そして、怒りをぶつけられたことで自分が感じた怒りは、

第三者にぶつけずに、自分の中で味わいきることで解放するほうが、
自分にとっても世界にとってもいい結果を招くことでしょう。

どのような感情も、よーく眺めて、適切な対処をすれば、
感情自体が苦しみの原因となることはありません。

苦しみは、自分自身の捉え方の問題です。


2008.1.28「人間関係の基本。。」

私にとって今月は、母との関係を整えるための浄化月間だったようです。
お正月早々、妹のことでいろんな感情が噴き出して、

スッキリしたかと思いきや、今度は子供の頃から抑えてきた、
母への思いが溢れ出してきました。

わがままを言いたくてたまらなくなりました。
自己主張をしたくなり、甘えたくなり、独占したくなりました。

「お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!・・・・」

インナーチャイルド、子供の私が必死で母に向かっていろんなことを語っていました。
それを冷静に眺めている自分もいました。

子供の頃からこんなにも言いたいことを言えずに、
感情を押し殺して生きてきたのかとあらためて驚きました。

数日間、そんな状態が続いたあと、子供の私はスッキリしたのか、
語ることをやめ、消えてしまいました。

その後残ったのは、爽快感と、母への愛しさだけでした。

人間関係の基本は両親との関係を整えること、
特に母親との関係を整えることが大事と言いますが、本当にそのとおりだと思います。

明らかに私と関わるすべての人との人間関係が改善されていることを
実感しています。

すべての人間関係は、母親との関係の反映だったのです。

もし職場や周りの人との関係になんらかの問題があるのでしたら、
両親との関係を徹底的に見つめて、ご自分の内側の浄化をされることをオススメいたします。


2008.1.6「三姉妹の葛藤。。」

皆さんはどのようなお正月を過ごされたでしょうか。。

私は新年早々、感情が噴き出して、
サムスカーラシュッディ(質の浄化)しまくりでした!

妹が嫁ぎ先の京都から帰省しているのですが、
この妹に対して私は、どこか態度が冷たいんです。

優しくしてあげられないんです。その理由もわかっています。
妹に対して子供の頃から、嫉妬の感情が絶えないことに

気付いていました。
姉として、かわいがらなければとか、優しくしなければとか、

理性で自分をコントロールしようとしてきたけど、できなかったのです。
本音を言えば、母を奪った憎らしい敵以外の何者でもなかったのです。

妹は、年が離れて出来た子で、愛嬌のある明朗活発な子だったので、
家族や親戚、近所の人、みんなからかわいがられました。

「三番目の子が一番かわいい。」という母の言葉、
「あんたより下の妹のほうが惹かれる、気が合う。」という姉の言葉、

そして明らかに私よりも妹のほうがかわいがられているように
私の目には映るので、ハートがとても痛みました。

妹のことも、妹をかわいがる母や姉のことも、憎くてたまらなかったんです。
その感情を長い間無視してきたものの、今日、とうとう爆発してしまいました。

きっかけは、母と妹が二人でいそいそと買い物に出かけたことでした。
本当は私も行きたかったのに、除け者にされた気分でした。

理性では、そんなことで嫉妬するなんて大人気ない、
久しぶりに帰省しているんだから楽しませてあげればいいとわかってるんです。

でも子供の頃からの積年の恨みをこれ以上無視するわけにはいかないと、
あえて直視してみました。

「お母さんをとるなー!」、「お母さんは私だけのものでいてほしい」、
「妹ばっかりかわいがって!」、「もっと私のことを見てほしい、愛してほしい」

怒り、悲しみ、嫉妬の感情が
次から次へと出てきて、涙がとめどなく流れました。

結局のところ、私は母の愛を独り占めしたかったのだと気付きました。
私だけの母でいてほしかったのです。

三姉妹の次女として生まれた私は、
一度たりとも母の愛情を一心に受けたという実感がなかったのです。

姉は私に対していつも冷たかったです。
姉にとって私は、母を奪った憎らしい敵だったのでしょう。

私は姉に仲良く遊んでほしかったのに、冷たくされて、とても悲しかったです。
その悲しみや怒りのはけ口は、おのずと妹に向けられました。

姉と妹はとても仲が良かったので、私だけいつも除け者の気分でした。
しかし妹には、妹なりの苦しみがあったと言います。

母は本当は、私たち三姉妹を等しく愛していてくれたと思います。

それぞれの立場で考えれば、誰も悪くないんです。
誰も悪くないのに、それぞれがたくさんの傷を

胸に抱えて、感情のしこりとして残してしまっているのが現状です。
子供の頃の感情のしこりが大人になった今でも残っていて、

私たちの人生をコントロールしています。
この感情のしこりを解放する必要があります。

その感情と向き合うことがとても大切です。

いつか・・・それぞれのトラウマから解放されて、
周りの人々から「本当に仲のいい三姉妹ね。」と言われるようになりたいです。

いえ、きっとそうなれる日がくると信じています。




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