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2005年9月〜2006年3月
2006.3.25「映画「マザーテレサ」を観て・・・」
先日のヒーリングセミナーで始まってすぐに、
映画「マザーテレサ」を鑑賞しました。
実は昨年の秋に長崎でこの映画を観ていたのですが、
マザーテレサって素晴らしい人なんだなあ、、
私にはマザーテレサのようにはなれないなあ、、
くらいにしか感じていませんでした。
ところが先日、もう一度観たときには、全く違う映画のように
私の心に沁みてきました。
ハートにビンビン響いてきて涙がとめどなく流れました。
以下、映画の中で印象的だった言葉です。
「私は神の手に持つペンにすぎません。
書くのは、神ご自身なのです。」
「神が望むなら実現するし
神が望まないなら実現しないでしょう。」
「私たちの行いは大河の一滴にすぎない。
でも何もしなければ、その一滴も生まれない。」
マザーテレサの行いは、大いなる存在の導きによるものだったのです。
そしてマザーは、自分が神の手に持つペンにすぎないことを
はっきりと自覚しておられたのです。
全ての功績は、自分がしたことではない、自分の力では何もできなかったと
映画の中でも話していました。
完全に委ねるとはこういうことなのだと思いました。
マザーテレサは目の前にいる貧しい人を手当たり次第に救いの手を
差し伸べていったのだそうです。
まずは目の前にいる人から、ご縁のあった身近な人から
第1歩を始めよう・・・そう感じた今日この頃でした。
2006.3.23「ヒーリングインストラクターセミナーに参加して・・・」
3/18から4日間、ヒーリングインストラクターセミナーに
参加してきました。
晴れてインストラクターとならせていただきましたが、
まだまだ未熟ものでございます。^^;
今回のセミナーでヒーリングの奥深さをしみじみと感じました。
ヒーリングは医療行為ではない、治すのが目的ではないということ、
自分は導管であり、自分がやっているのではないということ、
相手に沿うこと、相手をそのまま認めて受け入れること、ジャッジしない、
相手に共感して生きること、などなど、本当にたくさんのことを
学ばせていただきました。
私は今までヒーリングをわかっていたつもりで
全然わかっていなかったということに気がつきました。
もう一度、初心にかえって皆さんと共にヒーリングとディクシャの活動に
取り組んでいこうと思いました。
まだまだ未熟者ではございますが、どうぞどうぞよろしくお願いいたします。^^
2006.3.16「体の全細胞が・・・」
今日は、ケビンのヒーリングを受けてきました。
インドから帰ってきたケビンのヒーリングは
ますますパワーアップして置かれた手が熱くて
たまらなかったです。。
体の全細胞が喜びではしゃぎまくっています。。
なんだか泣けてきそうです。。
皆さんのことが愛しくてたまりません。。
感謝でいっぱいです。。
ありがとうございます。。
2006.3.13「知性の超越。。」
Sさんから、こんなメールをいただきました。
シュリ ラビシャンカールという生まれながら悟りを開いていた聖者がいて、
何年か前にカルキにあってディクシャをマスターしたそうです。
彼いわく「サンスクリット語でディは知性を意味し、
クシャは地平線あるいは終わりを意味します。
ディクシャとは知性の終わりに行く、つまり知性の超越という意味です。
もしもあなたが知性の彼方に行かなければ、
あなたはほほ笑みもせず、笑いもしないでしょう。
ディクシャを受けるとあなたは満たされ、知識への渇きは癒されます」
やはり本では癒されませんよね♪♪
本当にその通りだと思います。
過去何千年と、知識でしか知りえなかったものが体験として今まさに
花開く時代がやってきました。
とんでもない時代に私たちは生きているのですね。^^
2006.3.11「自分と自分でないものの境界線。。」
最近、自然の中を歩いていると、意識が木や花や鳥や空など
あらゆるものの中に溶けてしまっている感覚になります。
そこには、自分と自分でないものの境界線はありません。
そんなとき、この世界は愛と喜びからできている、ということを実感します。
逆になぜ人間だけが、分離意識の中で孤独に打ち震えているのでしょうか。。
それは、マインド(思考、感情)の呪縛にがんじがらめになっているからです。
マインドは地球上にあるたった一つの想念帯です。
自分のものではありません。
マインドが自分のものと思い込んで、しっかりと自分の内側に
溜め込んでいることが苦しみの原因です。
愛や喜びの体験は、このマインドが不在のときだけ、起こります。
マインドからの解放が悟りです。
ディクシャのエネルギーはあなたを悟りへと誘います。。
2006.3.8「山の頂上で「バガヴァン、おめでとー!」と叫ぶ!」
昨日、宝満山に5人で登って、バガヴァンの聖誕祭を山の頂上で行いました。
めちゃめちゃ楽しかったです〜。^^
体力のない二人が「ホントに登れるのかしら〜!?」と不安を見せながらも
登山道入り口で感覚のスローダウンのディクシャをした後、登山開始!
二合目あたりでKさんが「やっぱりくるんじゃなかった〜!」と言えば、
Nさんは呼吸が止まるが早いか心臓が止まるが早いか・・・?という危機的状況。。
「誰が企画したと〜?」とか「なんでバガヴァンの誕生日に
山に登らないかんと〜?」とか、
「五感を楽しむ余裕なんかあるわけないやん!」との
ブーイングをなだめすかしながら、
もう少し、もう少し、とダマクラかしながら、
荷物を持ってあげたりして励ましながら、
Oさんがジョークばっかり言うので笑いこけながら、
休み休みスローペースで登ること3時間。
着きました!頂上へ!
小春日和のポカポカいい天気!360度見渡せるロケーション!
美味しいお弁当!山水で淹れたコーヒー!最っ高でした〜。^^
すがすがしい達成感と開放感でみんなで腹抱えて笑いながらしゃべりまくり、
疲れもすっかり吹き飛んでしまいました。
頂上にある小さな神社で祝詞をあげ、持ってきたバガヴァンのシュリムルティを
前にムーラマントラを唱え、ディクシャしあいっこしました。
バガヴァンが私たちの珍道中をガハガハ笑って
祝福を与えてくださっているのがわかりました。
最後にみんなで空に向かって、「バガヴァーン!おめでとー!」と叫びました。
気持ちよかった〜。
下りは膝が笑いながらも無難に下りてきて終了。
最っ高に楽しいディクシャ会でした。
大好評につき、いずれまた第2弾を企画したいと思います。
その際は、ぜひ皆さんご参加くださいね〜(^0^)ノ
2006.3.7「自然に呼吸している私。。」
一昨日、福岡でカルキ・バガヴァン聖誕祭が開催されました。
総勢60名くらいの人が集まり、
笑いあり、涙あり、歌ありでとても和やかな雰囲気でした。
ディクシャのときはすごいエネルギーで、体が砕け散りそうになり、
腰が抜けそうで立っているのがやっとでした。^^;
そんな中、ふと思いました。。
このたくさんの人の中で、自然に呼吸している自分がいると・・・
以前は居心地が悪くて、呼吸するのが苦しくてたまらなかったんです。
以前の私は、対人恐怖と孤独感が強く、
和やかなムードの会場でたくさんの人が和気あいあいと話しているとき、
自分の居場所はどこにもないと感じていました。
一人でいるのは寂しいけど、たくさんの人がいると、孤独感はもっと強まりました。
人が幸せそうに見えて、一人ポツンとしている自分が
惨めでたまらなかったんです。
以前の私と今の私の行動が変わったわけではないんです。
相変わらず端っこのほうでボーッしていることが多いのですが、、
そのままの自分でいいと受け入れている私、
そして、空気のようにその場に溶け込んでいる私がいます。
そしてなんだか、ありがたくてありがたくて
みんなみんな、ありがとう!って言いたいです。^^
2006.2.26「求めよ、さらば与えられん。。」
今日、久留米でモンローさん主催のディクシャ会があり、
ディクシャギバーとして参加させていただきました。
たくさんの方が参加してくださり、とてもなごやかな雰囲気で
進行していきました。
チャクラ瞑想をした後、スパルシャディクシャ(頭部に手を触れて
エネルギーを流すディクシャ)をしていたときのことです。
私の身体にアンマ&バガヴァンの存在とその意思を感じました。
アンマ&バガヴァンの想いはこうでした。
愛しい愛しい我が子よ・・・
あなたに私のすべてをさしあげましょう・・・
あなたが私を求めるならば・・・
私のすべてをさしあげましょう・・・
「求めよ、さらば与えられん」
この言葉はどうやら本当のようです。。
2006.2.23「今、ここ。。」
一昨日、宝満山登山をしました。
標高829.6m、普段運動してない者にとっては
それなりにキツイ山なのですが・・・
よく山登りは人生にたとえられますが、
まったくその通りだと思いました。
しかし今の私はディクシャを知る前と解釈が違います。
以前の私は、頂上に辿り着けば素晴らしい世界が待っていると
信じて、頂上だけを見つめて苦しみに耐えながら
登っていました。周りを見る余裕などありませんでした。
今の私は景色を楽しむ余裕もできました。
斜度のきつい所にさしかかると、呼吸は苦しいし、筋肉は痛いしで
苦しいのだけど、その苦しみさえも内側では静かに喜びを感じています。
足場の悪いところでは地面ばかり見て歩くのだけど、
その地面さえも一瞬一瞬が新鮮に目に飛び込んできて、
最高の芸術作品のように見えます。
天国は頂上にあるのではなく、今、ここにあったのです。
何か特別なことを求める必要もなく、
今この瞬間、ここに在るのみ、です。
2006.2.17「期待。。」
私にはまだ、人にこうなってほしいと相手の変化を求めるときがあります。
相手を変えることはできないとわかっていても
自分が正しい、相手が間違っているというジャッジから
相手が変わることを期待してしまいます。
ときとして、そのことで思い悩むときがあります。
今日、ワンネスユニバーシティのHPの和訳を友人が個人的に
送ってくれたものの中から、次のような一文を読みました。
望みが叶わない時だけでなく、望みが叶ってもやはり苦痛は存在します。
絶えず期待することで、人間関係は苦痛で息苦しいものに変わります。
バガヴァンは言います。
「期待は、満たされないと苦痛です。それは不満や憎しみに変わります。
でも期待は、完全に満たされてもやはり苦痛です。
それは退屈へと形を変えます。
それゆえ大抵の人間関係は、古めかしく飽き飽きとしたものになります。
そして充足と喜びとを求めて、新しい牧草の地を求めるようになるのです。
「期待」の実際のプロセスは苦痛です。
人生は「待機」の長いプロセスにあるかのようです。
私たちは嫉妬・怒り・憎しみ等の感情の中で混乱しています。
不安定な人は不幸な人なので、自分の周りや親しい人々にも
不幸を創り出してゆきます。
あなたのもの・あなただけのものである唯一の関係、唯一の存在があります。
それはあなたのアンタリアーミンとしてのバガヴァンです。
神との関係がなければ、人は孤児(みなしご)です。
これが、バガヴァンの「悟りのディクシャ」を受けるために、
ヴァルダヤパレムに集まる数百万もの人々の個人的な体験です。
相手に何も期待しない人間関係ならば、スムーズにいくのでしょうね。
私にできることは、、これしかないな・・・
アンマ&バガヴァン、導いてくださ〜い!
2006.2.13「満月情報!」
友人から転送されてきました。
面白そうなので試してみようと思います。
皆さんもぜひやってみてくださいね〜(^0^)ノ
最近仕入れた満月情報をお届けします☆☆
新月は願い事ですが、満月の時は、預金通帳もしくは財布を
外でフリフリするとお金が入ってくるんですって♪
満月には、お金に関する良い気が出るのだそうです。
今月の満月は、13日13:44やり方は簡単!
ただベランダとか屋上とかちょっと外に出て、通帳かお財布を
振るだけでいいのです。
お財布の場合はクレジットカ−ドとかレシ−トなど、お金を使うことに
関するものは抜いておく、ということに注意して下さい。
あとは好きな時間に好きなだけ振って下さい、とのことです。
曇っていても雨でも大丈夫。
月が見えない場所からでも大丈夫。
月が見えなくても、満月の気は充満してるから安心して下さい。
長時間振る必要はないので、昼でも夜でもちょっとだけ外に出て
フリフリしてみて下さい。
効果的なアファメ−ションは「思いがけず○○万円入りました。
ありがとうございました。感謝します。」だそうです。
2006.2.6「温泉のススメ。。」
昨日、一昨日で嬉野温泉に行ってきました。
女3人、ディクシャ温泉合宿と称し、明け方4時まで
ディクシャ談義に花を咲かせました。^^
日本三大美肌温泉といわれているだけあって、
お肌がツルツルで美しさにますます磨きがかかりました(?)^^;
緊張や心配、恐れなど否定的な感情がたまっていたり
ストレスを抱えていたりすると体が硬くなりますよね。
温泉でほっこり身体がゆるんでいるときは、心もゆるゆるです。
ですから身体を意識的にゆるめる必要はあるなあと思います。
心と体は連動してますからね。
半身浴や足湯はオススメです。
あとは適度な運動もいいですよ。
私は犬の散歩で毎日1〜2時間歩いています。
血行が良くなると、エネルギーの通りもよくなりますよ。^^
2006.2.3「創造のエラー!」
今、名古屋からきている2才8ヵ月甥っ子は我が家のアイドルです。^^
3才までは子供は悟ってると言われてますが、
ホントにそうだなあと思います。
泣いたり笑ったり、感情をそのまま味わって
過去を振り返ることもなく、未来の心配をすることもなく、
瞬間瞬間を生きています。
どうして子供の頃はこんなに素晴らしい状態なのに、
大人になるにつれ感情を味わい尽くさず内側に溜め込んだり、
過去や未来を憂いて今を生きることができないんだろうと思いました。
やはり育った環境による条件付けやトラウマや概念は大きいだろうと思います。
しかし何より大きいのは、脳の構造上の問題でしょうね。
人間は本来、3才頃までは悟っていて、それから自我の芽生えと共に
悟りの状態が消えることであらゆる体験をして、
18〜24才くらいでまた悟りの状態に戻るようにプログラムされていた・・・
それなのに神様が失敗して人間は苦しみ続ける状態になってしまったのだそうです。
「創造のエラー」と言われているそうです。
神様〜間違えないでよ〜!って感じですよね。^^;
ディクシャは本来の脳の状態にするのが目的です。
2006.1.27【鏡の法則】
泣けました!
すごくいいのでぜひ読んでみてくださ〜い!
http://coaching-m.co.jp/reportaaa.pdf
2006.1.26「ちょっと面白い話。。」
ちょっと面白い話を見つけたので載せておきますね。^^
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」
と尋ねた。 すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって… ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。
そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、
奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、
ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。
どうだい。すばらしいだろう」
2006.1.22「ときには休息も必要。。」
最近、心身共にとても疲れていました。。
寝ても寝ても疲れがとれず、心はいつも何かに追い立てられている気分でした。
アンマ&バガヴァンに助けを求めました。
「どうか助けてください。。」
すると、全身がフワーっと愛のエネルギーに包まれ、
アンマの腕の中でゆりかごに揺られているような心地よさを感じました。
そして、アンマは言いました。
「あなたは疲れています。今はゆっくり休みなさい。ときには休息も必要です。」
そして全身にエネルギーが充満してくるのを感じました。
久しぶりにリラックスできて、心から安らぐことができました。。
多くの人々が、多くのストレスを抱えて全力疾走で生きています。
ときには立ち止まって休息をとるのもいいかもしれませんね。^^
2006.1.21「痛みに共感する。。」
昨日、膝がすごく痛くてびっこをひいているというTさんに
遠隔でディクシャ&ヒーリングをしましたら、、
次のようなメールが届きました。
すごくステキな体験をされているのでここに記します。
Tさん許してくださいね〜(事後報告^^;)
昨夜は子供に『ディクシャタイムだよ!』と言われて
慌ててお風呂に入ったわたしです(^-^;)
の〜んびりと湯船に浸かって受けさせていただきました。
なんだか,お湯が微妙に揺れていたような感が・・・・・・
これ不思議でしたよ!
(微妙な振動・・・・だったんです!!)
それとね,竹田さん!!
子どもたちが学校に出かけた時あれ??って思ったんです。
じつは・・・・・膝の痛み,かなりラクになっていたんですよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
\(^0^)/わーいわーい!
まだ、中途半端に曲げたときには痛い(トイレや車の運転がそう・・・・)のですが、
その他の作業や立ち仕事,歩いている時はそれほど痛くありません^^
階段の上り下りもほぼ普通にできます!!!!!
ほんとうにありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!
また、いたい・・・いたい・・・・・・と言っていると
痛みは襲ってきますが(呑まれちゃう・・・と言ったほうが正しいのかな?)
痛いんだ・・・・かわいそう・・・・でも,大丈夫だよ・・・・という気持ちが湧いてきて??
痛みに共感できるようになったのです!!!!!!!!!!
これも自分でびっくりしちゃいました。(^0^)/
ディクシャって,体の痛みを除くこともできるけど,
それ以上に気持ちが大きく変わったり,
(わたしの場合は痛みに共感できるようになった!)
余裕を持てるようになったことがとっても嬉しいです。
いまも,パソコンの前に座って(椅子に)膝を曲げた状態ですが,
膝に話しかけちゃうくらいです^^
ほんとうにありがとう!!!!!!!
<後日談をいただきました。^^>
膝の後日談です。
あれから,ほぼ回復してしまいました!!!!!!!
すごいです!!!!
,正座もOK!階段の上り下りも普通にリズミカルにトントントン(^0^)
車の運転も平気になりました。
あんなに「痛い・・痛い・・」と言いながらびっこをひいていたのに
けろっとしている私を見て
主人も驚いていますし実家の両親がことの外驚いています。
それまではディクシャのこと,よくわからない両親でしたが,
私の劇的な回復を目の当たりにして理解してもらえたようです。
2006.1.19「世界のために祈る・・・」
今日、瞑想していましたら、、イメージにすぎないのですが、
真っ白い鳥になって空を飛んでいる私がいました。
野山をかけめぐり、海を越え、
世界中の国々を見て回りました。
飢餓、災害、戦争など、たくさんの苦しむ人々・・・
いつの間にか白い鳥であった私が黄金に輝く鳥に姿を変え、
ゴールデンボールを世界中に振りまいていました。
アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、
南極、最後に日本・・・
ふと気がつくと、それらはすべて私の体内、お腹の中で起こっていました。
私の中に世界があったのです。
世界の中に私があり、私の中に世界がある・・・
世界と私は切っても切れない関係なのだと思いました。
ならば世界にために祈ろう・・・
世界の平和のために・・・
すべての人が愛と平和に満ち溢れますように・・・
地上の天国がやってきますように・・・
<平和の祈り>
神よ わたしを
あなたの平和のために用いてください
憎しみのあるところに 愛を
争いのあるところに 和解を
分裂のあるところに 一致を
疑いのあるところに 真実を
絶望のあるところに 希望を
悲しみのあるところに よろこびを
暗闇のあるところに
光をもたらすことができますように
助け導いてください
神よ わたしに
慰められることよりも 慰めることを
理解されることよりも 理解することを
愛されることよりも
愛することを望ませてください
わたしたちは 与えることによって 与えられ
すすんでゆるすことによって ゆるされ
人のために死ぬことによって
永遠に生きることができるからです
(アシジの聖フランシスコの祈り)より
2006.1.16「悟った人でも苦しみはある??」
「ちゃちゃさんでも苦しいことってあるんですね。
悟りを開けばそんなことはないものかと思っていましたが。
でもあまり苦しみや悲しみが根をはらないんですよね。
自分も早くそうなりたいなあ^^」
こんなメールをいただきました。^^
ハイ、たまに苦しくなるときもありますよ。^^;
バガヴァンも全人類の苦しみを感じるからこそ、
人々を苦しみから解放するために動いてらっしゃいます。
ワンネス、ワンマインドですから、
全人類が苦しみから解放されない限りそれは続きます。
苦しみが勝手に飛び込んでくるんです。
ですが苦しみの質は以前と比べ、ずいぶん軽くなったようです。
ディクシャを受ける前は、
苦しみからなんとか逃れようともがいて、
自分を変えよう変えようと努力してきました。
今は、苦しみが自分のものではないことを知っています。
やってきて、ただ通り過ぎていくだけ。。
苦しみがでてきたら、味わい尽くして、解放して、
ハイ終わり!って感じで、次の瞬間には喜びに満ちています。^^
そして、苦しみがあるからこそいろいろ得られるものもあります。。
だから苦しみは恩寵なんだなと本当に思います。
2006.1.9「祈り。。」
どうか私を連れていってください
はるかなる高みへ・・・
私は知りたいのです
あなたを・・・
体験したいのです
すべてを・・・
お願いです
どうか導いてください
更なる高みへ・・・
愛一元の世界へ・・・
祈りは聞き届けられるのか・・・
求めれば得られるのか・・・
どうか私を連れていってください
はるかなる高みへ・・・
どうか導いてください
愛一元の世界へ・・・
2006.1.5「できの悪い子ほどかわいい??」
昨日、エゴでいっぱいの自分に我慢がならなくなり、
一人でサムスカーラシュッディ(質の浄化)をやりながら
イメージで自分自身をボコボコにやっつけていたのですが、、
あがいてももがいてもどうにもならない自分がアホらしくなり、
ある意味あきらめの境地になりました。
そして気が付くと、そんな自分を愛しげに眺めている
もう一人の自分(ハイアーセルフ?高次の存在?)がいました。
”あらあら、しょうがないわねえ・・・”とでも聞こえてくるように
そっと微笑みながら抱き上げて、やさしく包み込んでくれました。
マインドのあがきでもがいている光景が
かわいくってたまらないようでした。
高次の存在から見れば、マインドの呪縛の中でもがいている私たちは
赤ん坊のようなもので、たぶん母親が赤ちゃんを無条件の愛で
見守っているようなものなんだろうな、と思いました。
できの悪い子ほどかわいいのではないか??
そんな気がした今日この頃でした。。^^
2006.1.3「迷ったときはわくわくする方の道を・・・」
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。^^
さて、元日早々瞑想していましたら、
こんなメッセージをいただきました。
今年はどんな活動をしていったらいいのか、、という問いに対し、
”委ねなさい。
マインドでごちゃごちゃ考えなくてもいい。
自分の直感(インスピレーション)を信じなさい。
選択に迷ったら、自分がわくわくする方の道を選択しなさい。”
非常にシンプルです。^^
2005.12.31「ゴール、そして新たなるスタート。。」
今年も残すところ、あと数時間となりました。
今年はインドへ行ったことで、私にとって劇的な飛躍の年となりました。
今年は厄年で、○○数子占いでは、
大殺界で気をつけなさいと友人から釘をさされていたのですが・・・(^_^)v
これも関わってくださった皆さんのおかげだと心から感謝しています。^^
本当にありがとうございました。
さて、実は最近、数霊(かずたま、数にはエネルギー・命があります)に凝ってまして、
車を運転しながら対向車などのナンバープレートをよく見るのですが、、
「1221」「5335」「767」というように、中心を境に対になる数字をよく見かけるときは、
自分の進んでいる方向が正しいということらしいです。
最近やたらそういう数字をよく見かけるんです。
数日前は、5台に1台くらいの割合で見かけた日もあり、びっくりしました。
昨日は、「888」を3回、「8888」を1回見たのにも驚きました。
そして今日は、「777」を2回、「9999」を1回見ました。
「7」は「質(しち)」・・・質とは本当の財産・霊的な財産という意味で光のことです。
「8」は「發(はち)」・・・出発・再出発、ゴールインスタート、常に始まりと常に出直し
でもあり、無限大(∞)を意味します。
「9」は「究(きゅう)」・・・出発・再出発が無限に続けば、究めることができます。
究極の究です。
私にとって今年は本当の財産・霊的な財産「光」をやっとの思いで
手に入れた年であり、人生における一つのゴールであり新たなるスタートの年、
そして、ある意味究めた年とも言えます。
そしてまた来年、新たな人生の幕開けです。
さあ、来年はどんな一年になるでしょうか。
わくわくしながら皆さんと共に歩みたいと思います。
来年もどうぞよろしくお願い致します!^^
2005.12.31「委ねるって楽ですよ〜。^^」
年の瀬で何かと騒がしくなってきました。
大掃除など、あれやこれやと落ち着かないです。^^;
ここ3日間くらいいいお天気が続き、
久しぶりにポカポカ陽気でお布団干したりしてます。^^
今日、ディヴァインプレゼンス(聖なる存在)に知恵と洞察を
授けてくださいとお願いしてたら、光の玉が眉間のチャクラのところにやってきて
おさまった感覚があったのですが、どうなるでしょうかね。^^
眉間に光がきたからといって何かが変わったかというと
何も変わってないような気もするので
気のせいだったかも??とか思ってます〜^^;
でも、いいんです。最後は委ねてますから。
委ねるって楽だな〜と最近しみじみ思いますね。
気がついたんですが、ディヴァインプレゼンス(聖なる存在)を感じて
すべてを委ねているときは、マインドに翻弄されることがないんです。
ネガティブな感情や考えも湧かないし。
高次の存在に身を委ねるか、マインドの呪縛にがんじがらめにされるか、
いずれにしても、あなたに自由はありませんよ、、と、聞いたことがあります。
そのときは、え?自由はない??そんなあ。。と思ったんですけど、
最近はその意味がようやくわかりかけてきました。
そうなんです。選択肢は二つに一つしかないんです。
ならば、高次の存在に身を委ねようと思います。
何故なら委ねていれば、間違いなく
愛と喜びと至福の高みに連れていってもらえるからです。^^
2005.12.26「クリスマスディクシャ会in福岡☆」
昨日、博多市民センターでクリスマスディクシャ会が開催されました。
すべて江中さんが企画・司会進行されました。
本当にご苦労さまでした〜^^
参加者が15人に対し、ディクシャギバーが13名。
ほのぼのわきあいあいとしたステキなクリスマス会でした☆
12月の帰国組もお疲れの中、7名も参加してくださり、
あたたかくて懐かしいインドの風を吹かせてくださいました。
アンマのメッセージもいただきました。
あびちゃん、よろしくね〜^^
私はディクシャの最中、真っ先に激しく壊れてしまいまして・・・^^;
涙と笑いが止まりませんでした。
最後のディクシャのとき、星降る夜のようにたくさんの光が降ってきて、
サンタクロースの格好をしたバガヴァンが「メリークリスマス!」と言って
たくさんのギフトを皆さんに配ってましたよ。^^
なんと我が家の死んでしまった愛犬ちゃちゃ(ミニチュアダックス)が
トナカイさんの代わりに短い足でソリを引いてたのには笑ってしまいました!
ちゃちゃにまた会えたことが嬉しくてたまらなかったです。^^
私にとってのギフトは、アンマ&バガヴァンに呼びかけたら
応えてくれるようになったことかな。。(最近ぷっつり途絶えてました。。^^;)
私は今までお上品にある意味自分を作って
ディヴァインプレゼンスとコミュニケーションとっていましたが、
本当の私は、めちゃくちゃ甘えん坊で、
だだっこでわがままなんだなあとつくづく感じました。
そしてそんな素のままの私を無条件の愛で包み込んでくれる
アンマ&バガヴァンのもとをもう決して離れないゾ!と固く決心しました。
今では常に側にいてくれるアンマ&バガヴァンのもとで
ゆりかごにゆられている気分です。^^
皆さんにはどんなギフトが配られたのかな。。
今わかる人もいらっしゃるだろうし、先々、”あ〜あれがギフトだったんだ”と
気付かれる方もいらっしゃるでしょう。
それぞれにとって最良のギフトが用意されていたことは間違いないと思いますよ☆^^
<あびちゃん>
この奇蹟が 起こると予言されていたディクシャ会・・
見事に現れましたね。。
ついにアンマが乗り込んできました^^
人間が、もじもじしていて、じれったくて 中々、来ないので愛を配りにきました。
アンマの言葉(その時は、自動的に出ていたので あとから人に聞きました)
あなたがたは、長い間 まるで愛に餓えた孤児のようにさまよってきました。
どうか もう私のそばから 離れないでください
マインドも傷つくことも 人間のあなた方には、かわすことは出来ません
無理です。
しかし わたしなら できます。
そばへ来てください
わたしは 決してあなたを放しません。
2005.12.26「ディクシャを受けてみませんか?」
”悟り”って聞いて、どんな状態をイメージしますか?
キリストや仏陀や有名な聖者をイメージされる方は多いと思います。
ジョークとか馬鹿な話とか一切言わなくて、
常に喜びに溢れていて、怒りとか嫉妬とか恐怖とか全く感じなくて、
人の好き嫌いとかなくて全てをこよなく愛し、
誰とでもまんべんなく仲良くやれる・・・
常に平安と静寂に包まれて、鋭い洞察を持つ・・・
そんな感じでしょうか?
私の体験にもとづく悟りの状態についてお話します。
64億人いれば、64億通りの悟りがあると言われてますから
一概には言えませんが、参考にはなるかと思います。
○本当に些細なことでおかしくてたまらなくなって理由もなく笑いが
込み上げてきます。(以前は結構冷めてました。^^;)
○理由もなく、なんだかありがたくてたまらなくて、泣けてきます。
○怒り・嫉妬・恐怖など、ネガティブな感情も沸いてきます。
でも、味わい尽くしたら消えてしまうので、次の瞬間には忘れてます。
○人の好き嫌い・・・というか、波長の合う合わないはあります。
一緒にいて居心地のよい人と自然に一緒にいるようになります。
でも、あらゆる人の存在を否定する気もなく、相手を変えようと
するわけでもなく全てを受け入れられるようになり、とっても楽です。
○マインドの介入なしで、ボーッとしていることが増えました。^^;
その状態がとっても心地良いんです。^^
○見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触るという五感がとっても敏感になり、
あらゆる感覚にいちいち感動している機会が増えました。
○ディヴァインプレゼンス(聖なる存在)に常に守られているという確信が
強まるほど、絆が深まるほど、ラッキーなことが次から次へと起こり、
ますます、不安・心配・恐怖から解放され、絶対的な安心感を得る事が
できます。
○あらゆるものの中に”私”を見るようになります。そして、”私”の中に
すべてを見出します。(ワンネス体験)
すべてつながっていると体験的に理解したとき、内側にあった孤独感は
消えました。
○自分の内側が平安と静寂で満たされています。精神的に安定しました。
○今までは自分に自信がなくて、誰かに依存して、いつも誰かの意見に
左右されていましたが、今は自分の内側を見つめ、感じて、内側に
いつも答えがあることがわかっているので外側に何かを求めることが
なくなりました。
以上、また思いついたら書き足しますが、ディクシャの素晴らしいところは、
自分の努力なしに、ディクシャを受けるだけでそれが起こるということです。
・・・と聞くと、ちょっと怪しいと思われますよね。^^;
事実、私も最初はうさんくさいなあと思ってましたから。
でも、今では、これは本物だと確信しています。
自分が体験したからこそ、自信をもってオススメしています。
疑っててもいい、信じてなくてもいいから、とにかく試しに
ディクシャを受けてみませんか?
きっとステキなことが起こりますよ。^^
2005.12.24「今を生きる。。」
私の夫は、今を生きる達人です。
先日二人で大阪・京都に遊びに行きました。
私は昔からそうなのですが、先のことばかり考えてしまう癖があります。
初日、USJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)で遊びました。
一つのアトラクションを楽しんでいるその瞬間に、
次はどのアトラクションに乗ろうとか、
昼食は何を食べようとか考えている自分がいて、
夫に「次、何する?」と聞くと、決まって
「先のことはわからん。」という返事が返ってきます。
瞬間瞬間をすごい集中力で楽しんで味わって、
完結したら、「さあ、次何しようか?」と次に展開します。
一事が万事そうなんです。
夕方頃に夕食は何を食べるかと聞くと、
「今はまだお腹へってないからわからん。」と言います。
明日は何して遊ぼうかと聞くと、
「明日のことはまだなんにも考えてない」と言って、
今日を夢中で遊んで、全てが終わって寝る前に、
「さあ、明日は何をしようかな?」とワクワクしながら考えています。
最終日に寒波で大雪で、飛行機が飛ぶのかどうかわからない状況でした。
私はそれが心配で、もし飛行機が飛ばなかったらどうしようとか、
空港に問い合わせるために先に連絡先を確認しておこうと言ったら、
「先のことを何故心配するの?まだ起こってない事を考えても仕方ないじゃない。
事が起こってから考えればいいじゃん。」と言って気にもしていません。
実際、私の取り越し苦労だったわけです。
夫の遊びに対する(遊びだけ??^^;)
集中力は尊敬に値するなあとつくづく思います。
実際、今ここにいるのに、過去のことを思い煩ったり未来のことを心配して
どれだけのエネルギーのロスが生じているでしょうか。。
本当の意味で五感を堪能しきれていない気がします。
まあ、これも自然にマインドが介入してくるわけですから、
そんな自分も受け入れていますが。。^^;
まだまだ未熟者の私は、今を生きるぞ、五感を堪能するぞ、
と決めて意識的にスイッチオンの状態にするとマインドが入ってこず、
五感を堪能できます。
スイッチオフにすると、マインドがザザザーっと入ってきます。
そんな自分も結構楽しんでます。^^
2005.12.15「喜びがいっぱい(^0^)ノ」
私はこの2ヶ月ばかり、ずっと家にいたのですが、
ブクブク太り出して、これはヤバイ!と思い、
一昨日からちょっとしたアルバイトを始めました。^^
2ヶ月半ずーっと家でゴロゴロしてて、
久しぶりに仕事をしてみて、気が付いたことがたくさんあります。
体を動かすことの喜び、筋肉を使うことの喜び、
汗をかくことの喜び、お腹がへることの喜び、ご飯がおいしい!
初対面の人と楽しくおしゃべりすることの喜び、
協力しあって何かを仕上げることの喜び、
寒いってこと、あったかいってこと、
あったかーいお茶を飲む喜び、ホッカイロのありがたみ(とにかく寒かった!!)、
お金をいただくってことのありがたみ、etc・・・
家にいるときは家でゴロゴロしていることの喜びを
堪能していたのですが・・・^^;
体験する、味わうってこういうことなんだなあって思います。^^
2005.12.9「嬉しいメール。。」
最近、メール交換をしているKさんとのやりとりをご紹介します。^^
Kさーん、許してね〜^^(事後承諾・・・^^;)
<Kさん>
こんばんは、ちゃちゃさん☆
最近めっきり寒くなりましたね。
ここのところ雪が降りますよ。
昨日今日と精神状態が悪くて
とっても苦しんだのですが
意気消沈して家に帰ろうと車を
運転してたとき、
「自分と仲良くして・・・」
と心のなかで何かがつぶやいているのを感じて
なぜ自分が最近調子が悪いか
ピカーン!
と頭の中で閃きました。
どうやらもう一人の自分
(ハイヤーセルフ?)の
悲痛の叫びだっみたいです・・
自分だけの力でうまくいっているように
思って浮かれて
自分の悪い感情を今までのように
無理矢理打ち消そうとしたから
「やめて!いじめないで!!」
と叫んでたんですね・・・
今日のことで
「自分だけで生きてるわけではない」
って強く教えられました。
あれから自分にきちんと
謝って仲直りしましたよ。
そうしたら気持ちがフッ、と軽くなりました。
やっぱり苦しいことに意味はあるんだな・・・
と思いました。
これからはもう一人の自分と仲良くします^^
それではまたです、
ではでは♪
<ちゃちゃ>
Kさん、こんばんは〜^^
よかったではないですか〜!!(^0^)ノ
自分の内側の声に耳を傾けることはものすごーく大事です。
それはもう一人の自分と言ってもいいし、ハイアーセルフと呼んでもいいし、
ディヴァインプレゼンスと呼んでもいいです。
大半の人はその声を聞くことができずに孤独感の中で苦しんでいます。
それはまるで母親とはぐれてしまった迷子のようなものです。
どちらに行けばいいかわからない迷路に迷い込んだようなものです。
もう一人の自分とコミュニケーションを密にとって
いろいろ話し掛けたりしてると自然に答えが返ってきたり、
いろんな場面で助けてくれますよ。
逆にコミュニケーションをとるのを止めてしまうと
またその存在がわからなくなってしまいます。
ですから、常にその存在と共にいてください。
すると、常に答えは自分の内側にあるので外側に何かを求めることが
なくなりますし、常にそういう存在に守られているという
絶対的な安心感を得られますよ。
苦しいことには意味がある・・・本当にそのとおりだと思います。おめでと〜(^0^)ノ
<Kさん>
ちゃちゃさん、こんばんは☆
毎回ありがたいお返事
ありがとうございます^^
ちゃちゃさんに喜んでもらえて
こちらもとってもうれしいです♪
内側の声は聞こえてきたり来なかったりです。
でもなんとなくですが
もう一人の自分といる気がします。
これってすばらしいことですね♪
またこれからも
気づきや苦しむこと、楽しいこと
いろんなことが起きるんだろうけど
みんなひっくるめて
少しだけ怖い気もするけど
楽しみですね☆
苦しむことも意味があるって
もう一人の自分が教えてくれたし♪
バガヴァン、アンマ、
そしてもう一人の自分に感謝^^
それじゃまたです、
おやすみなさい^^
2005.11.27「ちゃちゃ、マイク持たされる、、の巻。。」
先週、ケビンのしあわせ体験セミナー2に
ディクシャ隊として参加させていただきました。
サムスカーラシュッディ(質の浄化)、怒り・悲しみを解放する、
というワークのときのことです。
受講生が会場中を歩き回りながらいろんな感情を味わって
最後に怒り・悲しみの世界にどっぷりひたって、
さあこれから吐き出すゾーって感じで盛り上がりつつありました。
私も過去の悲しみを思い出してちょっぴり泣いたりしてました。
すると突然、むんずと片腕をつかまれ、ケビンにマイクを渡されました。
「あなたの今感じていることをマイクに向かってしゃべりなさい!」
「えええええええ〜!?????? 何をしゃべればいいんですかああああ!?」
「だからあなたの感じていることをそのまま言えばいいんだよ!」
と言ってケビンは無情にもスタスタ行ってしまいました。
「そんなあああああ・・・・(>_<)・・・(ToT)・・・」
自慢じゃないけど、私はシャイでおとなしくて人前で目立ちたい人では
決してないんですね・・・対人恐怖でしたし・・・^^;
それでどうなったかと言いますと、、
マイクに向かって何かしゃべろうと思うけど
頭が真っ白でなーんにも言葉が思い浮かばないわけですよ。。
それでもなんとか搾り出すようにポツリポツリとしゃべり始めました。
「私は悪くない・・・・・・・なんだよちくしょう・・・・・むかつく・・・・・」
すると会場中がだんだん盛り上がってきて
エネルギーがうずまいているのがわかるわけですよ。
するとなんだかだんだん私の気分も盛り上がってきて、、
気がついたら、マイクにかぶりつきで悪態をつきまくっている私がいました。
「ちくしょおおおお!!ばかやろおおおおう!!
むかつくむかつくむかつくううう!!死ね死ね死ね死ね死ねえええ!」
振り返ればなんと気持ちよかったことでしょう。
あんなことができるのは日本ではケビンのセミナーだけかもしれませんね。
出したが勝ちとはこのことかもです。^^;
感情を出し切ると、ほんとにスッキリするんですよ〜^^
受けたことがない方はぜひぜひ参加してみられることをオススメします。(^0^)ノ
2005.11.17「ガラクタの処分のススメ。。」
先日ある講座で、身の回りのいらないものをどんどん捨てると
心も軽くなって、古いエネルギーが出て行き、
新しいエネルギーが入ってくる、、という話を聞きました。
よし、私もやるぞ!と思い立って、部屋の片付けを始めました。
もともと片付け・整理整頓が大の苦手で
部屋が散らかっていてもどこをどう手をつけていいかわからず、
いつもいろんなものを押入れに押し込んだり物を移動させては
掃除機をかける、、という程度だったんです。^^;
そこで思い切って捨てるぞーとはりきって、
まずは夏服と冬服の入れ替えがてら、
1年以内に使わなかったものを基準に捨て始めました。
すると、、出るわ出るわ・・・いらないものだらけ・・・ゴミ袋2袋分捨てました。
翌日、今度は押入れの中のものを捨てるぞーとはりきって、
ゴミ袋1袋分捨てました。まだまだガンガン捨てるつもりです。
どんどん捨てることで意識が変わっていることに気が付きました。
@思い立ったら即実行!の精神。
A毎日少しずつでもコツコツやるぞー!の精神。
B気になっていることをやらずにいるのはいつまでたってもそれを気にしてい
るぶんだけエネルギーの浪費であり、さっさとやってしまうほうが効率がいい
ということ。
C古いものを捨てると心が軽くなって、何か新しいことを始めようという前向き
な気分になる。古いエネルギーを捨てると新しいエネルギーが入ってくる。
D頭の中も整理され、仕事も効率よくはかどる。などなど・・・
本当にオススメです!是非お試しあれ(^0^)ノ
2005.11.14「偉大なる母の背中。。〜見たいものを見ている〜」
今日、午後の半日、母と共に行動していました。
畑に行ってたくさんの野菜を収穫し、ケーキとコーヒーでお茶して、
犬の散歩で1時間半あちこち歩き回っていました。
母はコロコロとよく笑い、誰にでも気軽に挨拶し、
野菜たちや犬に愛情をもって話しかけていました。
考えてみれば、母は今まで経済的に苦しい中で
一生懸命働いて家庭を支え、泣いたり笑ったり怒ったり
その時その時を精一杯生きていました。
私は子供の頃から自己嫌悪や対人恐怖、孤独感が強かった為に、
母は私を愛してくれていない、母のせいでこんな私になったんだ、と、
母を恨んできました。母の尊敬に値するステキな一面など、
全く見ようともしていなかったんです。
そして、本当はたっぷり愛情を注いでくれていたことに気が付かなかったんです。
人間、見たいものを見ている、と誰かに聞いたことがあります。
まったくその通りだと思いました。
自分にとって都合のいいことしか見えていないんです。
今日、散歩しながら前を歩いている母の背中を見て、
なんだか涙が溢れてきました。。
2005.11.12「執着を握り締める。。」
人間、いろんな執着って持ってますよね。。
例えば・・・お金、願望、名声、ネガティブな感情・・・
手放そうと思ってもなかなか手放せないですよね。。
握りこぶしを作って、中途半端に握ってたらいつまでも握っておけるでしょ。
じゃあ、思いっきり力いっぱい握ってみたらどうなるか・・・
いつか疲れてヘトヘトになったら、フウッと手放してこぶしを開くでしょ。
そんなもんだと思うんです。^^
徹底的に執着してみたらいいんです。^^
2005.11.9「早いほうがいい場合もある。。」
11/6の掲示板で、早ければいいわけではない、、と書きましたが、、
早いほうがいい場合もあると思うんですね。^^
私が上級コース行きをやめたのは、
飛行機よりも列車の旅を楽しみたかったからです。
ですが、本当に苦しくて道草なんかくってられない、
一刻も早く目的地に着きたい人は、道中を楽しむ余裕もないんだから、
飛行機で一気に行ったらいいと思うんです。
私が4月に21日間コースに行ったのは、まさにそういう理由でしたから。^^
「インドに行くまでに、出来るだけ悟りに近い状態で行った方が良い」
・・・この意見には私も賛成です。
できる限りの準備をしていったほうがいいとは思います。
ですが、全てはアンマ&バガヴァンが導いてくださることですから、
本人にとってベストなタイミングで行くことに決まってるんですから、
それを信じましょうよ。^^
ですから、12月にインドに行かれる方、
はりきっていってらっしゃいませ〜(^0^)ノ
2005.11.7「全身が耳になる・・・」
今日、オーディオショップにきて本物のいい音を聴かせてもらいました。
平井堅の”大きな古時計”や”見上げてごらん夜の星を”etc…を聴いたのですが、、
目の前で平井堅が生で歌ってるみたいなんですよ〜^^
そして、、
ハートにビンビン響いて体の全細胞が耳になったように音の世界と共鳴し、
自分が音なんだか音が自分なんだかわからない感覚…
涙がでました…
ちなみにこの歌詞がまたステキなのでここに記します。
見上げてごらん夜の星を
小さな星の小さな光が
ささやかな幸せをうたってる
見上げてごらん夜の星を
ボクらのように名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる
手をつなごうボクと
おいかけよう夢を
二人なら苦しくなんかないさ
見上げてごらん夜の星を
小さな星の小さな光が
ささやかな幸せをうたってる
見上げてごらん夜の星を
ボクらのように名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる
ささやかな幸せをうたってる
ちなみにお勧めオーディオショップも宣伝しときま〜す!
陽気でゲームオタクの店長が美味しいコーヒーをいれてくれますよん(^0^)ノ
http://www.yoshidaen.com/
2005.11.6「早ければいいわけではない・・・。。」
私は最初、インドの12月上級コースに行く気満々だったのですが、、
とりあえず、やめました。
自分の内側に問いかけたときに、
”早くプロセスが進めばいいわけではない”という、
予想していなかった答えが返ってきたからです。
最近私は、九州から北海道まで、
新幹線と寝台特急を乗り継いで列車の旅をしました。
25時間かかかりました。
飛行機で行けば2〜3時間で行けるものを、
あえて25時間かけて行ったわけです。
その25時間の、なんと充実していたことでしょう!
お弁当を味わい、景色を眺め、車内を探検したり、
パートナーとおしゃべりしたり、
雑誌を読んだり、ときにはうたた寝して・・・
時間の無駄でしょうか?
いいえ!本当に楽しかったんです!
一瞬一瞬が体験の連続でした。
ときには腹が立つことや悲しいこと、つらいこともあるかもしれません。
ケンカしたり、お財布を落としたり・・・
でも、列車は必ず目的地に着くことがわかっています。
私たちの人生も、そんなものかもしれませんね。^^
2005.11.5「サムスカーラシュッディ(質の浄化)」
今朝、瞑想していたら、自然にいろんな感情が沸き上がってきたので、
出る感情をそのまま味わっていました。
すると、、出るわ出るわ・・・怒り、嫉妬、分離感、自己否定・・・
人に対する感情であったものを味わって突き詰めていくと、
エゴイスティックな自分に対する怒りや情けなさに変わり・・・
最後は許しを請うている自分がいました。
誰に対して許しを請うたのでしょうか?
アンマ&バガヴァンでした。
そしてアンマ&バガヴァンは必ず許してくれることをわかっていた気がします。
アンマ&バガヴァンは光で私を包んでくださり、許してくれました。
アンマ&バガヴァンはあらゆる全てです。。
そして、、私自身です。。
私が私を許したとき、、全ての感情から解放されました。
人を許し、自分を許す・・・最後はいつもそこへ辿り着きます。
”許し”とは、”全てを受け入れること”だと思います。
怒り、嫉妬、恐怖等のネガティブな感情を抱いている自分を
否定する必要はありません。
自分を否定している自分がいたなら、そんな自分さえも、
今はこんな自分なんだからこれでいいんだと受け入れたらいいんです。
全てのマインド(感情・思考)は、自分のものではありません。
ですから、マインド(感情・思考)はそのまま見ているだけでいいんです。
自分でなんとかすることはできないんです。
ディクシャを受けることで少しずつマインドから解放されていきます。
感情は自然にたまっていくのだそうです。
インドのダーサジ(お弟子さん)でさえ、定期的に
サムスカーラシュッディをされているそうです。
ですから、なんか調子悪いなあと思ったら、
よーく自分の内側を見つめてみてください。
そして、内側にたまっている感情を見つけたら
意識的に吐き出してみたら、きっとスッキリしますよ〜^^
2005.10.20「コスモスのように・・・」
今日、家から車で10分位のところにある、観世音寺横の満開のコスモス畑を
眺めながら、妹とお昼ご飯を食べました。
さわさわと風に揺られながら日の光でキラキラ輝く
コスモス畑は、まさに地上の天国。。
ハミングしながら喜びのダンスを踊っていました。。
自然の中にいて常々感じることは、、
花も木も鳥も雲も・・全てを受け入れている、、ということです。
あるがまま・・そのまんま・・
たとえ日照りで枯れてしまっても、
嵐がきて風に吹き飛ばされても、それを受け入れています。
なぜなら全てが一つであり、つながっていることを知っているからです。
死というものがないことを知っています。
花が枯れたら土に帰り、母なる大地と一つになる・・
全ては光に包まれています。
人間だけが、、真っ暗で孤独・・そして分離しています。
しかし、もうすぐです。私たち一人一人がキラキラ輝くコスモスのように、
ハミングしながら喜びのダンスを踊るときがやってきますよ。。^^
2005.10.19「やっているのは私ではない。」
最近の私、、特に仕事をやめてからの私は暇になるはずでした。^^;
ところがありがたいことに、、
なんだかんだとディクシャ&お気楽不良主婦の日々を忙しく過ごしています。^^
そして、たくさんの人の苦しみ、心の傷みを感じれば感じるほど、
なんとかしてあげたい、苦しみから解放してあげたい、、
という想いが強くなり、ディクシャによる効果を求めるあまり、
逆にその想いがブロックになっていることに気がつきました。
自分がやっている、、という感覚が強いほど、それがブロックになる。
私はただ導管になってエネルギーを流すだけ。
やっているのはアンマ&バガヴァン、、。
この言葉が本当に生きてきたのは最近です。^^;
きっかけは友人のアドバイスでした。
ディクシャで頭に手を置く直前に、「アンマ、バガヴァン、よろしく!お願いね!」
というだけで完全に委ねられるよ、、。
早速、そのとおりに実践してみますと、、、
「アンマ、バガヴァン、よろしく!お願いね!」というと、
スーッとエネルギーがスムーズに流れたのを感じました。
そして、完全に委ねると、ますますエネルギーの通りがよくなったし
楽になれたし、より意識が広がって自由になれました。^^
いや〜、、^^; 日々体験体験!!(^0^)ノ
2005.10.15「地球の観点。」
今日の私のちょっとした体験をお話します。
最後の悟りのディクシャを終えて
しばらく内側を見つめていたときのこと。。
ただのイメージにすぎないのですが、、
気がついたら鷹になって野山を駆け巡っている私がいました。
川に飛んでいって魚をとって食べたり、
自由に空を飛び回ったり。
そして次の瞬間には森になっている自分がいました。
次に風になり、大地になり、意識がどんどん膨らんで
気がついたら地球になっている自分がいました。
そして地球は、、生命を育む愛そのものでした。
母性のエネルギーという感じかな。(そんな気がしただけです。)
そのときでした。地球がブルブルブルっと震えました。
地球にとってはまあ、些細な貧乏ゆすりみたいなものです。
人間にとっては、、大地震でした。
人間の観点からすると、、大災害です。
何万人もの生命が失われました。
地球の観点からすると、、それは悲劇でもなんでもなく、、
ただそれが起こった、、なんの感情も起こらず、、
人間の意識は肉体から離れ、大いなる意識と一つになった、、そんな感じです。
私たちは死に対する恐怖心を常に抱えていますね。
それは人間と人間でないものとの分離感からくるものです。
しかしそれは、人間の「死=生命の終わり=恐怖」という
強い概念・思い込みに過ぎないのかもしれません。
ある説では、、「死=変容=新たなるステージ=出発」だそうです。
それが体験的に理解できたときが、
私たちが限りない自由を手にするときかもしれませんね。^^
2005.10.12「全身で味わう。」
昨日の夜、カレーライスを食べました。
ひとくち口に入れると、全身が舌になったように敏感に反応していました。
もうひとくち口に入れると、全身がほわほわほわ〜んと
バイブレーション起こしている感じでした。とっても気持ちいいんです。^^
まるで全身でカレーライスを味わっているという感覚でした。
次にブドウを食べました。甘い感覚が全身に広がりました。
全身でブドウを食べているという感覚でした。
それを繰り返し繰り返し味わって、食べることの喜びを堪能しました。(^0^)ノ
2005.10.10「鹿島先生のディクシャ会その2」
昨日に引き続き、鹿島先生のディクシャ会に
ディクシャ隊として参加させていただきました。
全て終わって、今はもう満足すぎて、
はあ〜、、というため息ばかり。。^^
私個人の体験はここで話すのはもったいないので(?)、
えみちゃちゃ体験談に書きますね。
ディクシャの内容は、1回目が昨日と同じ”先祖に対するモクシャ(感謝)と
アンタリアーミンとの絆を深める”、2回目が”建設的な考えをする”でした。
”建設的な考えをする”とは、人類のために何ができるか、
どうしたらよいか、傷ついてる大勢の人のために何ができるか・・・
やったことや考えは全て自分に返ってくる。
だから、いつも建設的な考えをしましょうということでした。
傷ついて苦しんでいる人の状態を共に味わい、
その人のために何ができるかと考えたとき、、
やはりディクシャしか考えられませんでした。
ディクシャによって人々が解放されていく・・・
それが私にとって最大の喜びであることにあらためて気がつきました。
鹿島先生語録の中で、最も印象的だった言葉をいくつかあげますと、、
”自分に素直・誠実でありなさい”、
”わからないことはわからないと言う・・これが相手に対する誠意である”
この言葉がボディブローのように効いてますね。
このHPに私はありのままを誠意をもって書いてきたつもりでしたが、
あらためて本気で取り組もうと襟を正した気分です。^^;
私自身どんどん進化していますから、
以前書いていたことと次に書くことが違っているという
矛盾が生じるかもしれません。
それは私がたどった進化のプロセスだと思ってご容赦くださいましね。^^
2005.10.10「鹿島先生のディクシャ会その1」
今日は鹿島先生のディクシャ会にディクシャ隊として参加させていただきました。
とにかく、素晴らしかったです!
午前中はご自分やいろんな方の体験談を交えての講義、
そして午後は4連発でディクシャでもうヘロヘロでした。^^
とにかく会場を流れるエネルギーがすごくて、
インドの強烈なエネルギーそのままを味わえたという感じですね。
ディクシャの内容は、1回目が”憎い相手を許す”、
2回目が”傷つけた相手に許しを乞う”、
3回目が”自分の醜い部分を見る”、
4回目が”先祖に対するモクシャ(感謝)とアンタリアーミンとの絆を深める”でした。
とにかく全ての内容が深くて、
言葉で理解するというよりハートで感じるという感じでした。
私個人の体験としては、姉妹に対するわだかまりがまだあったので、
”許す・許しを乞う”で解消できたと思います。
そして”自分の醜い部分を見る”では、
自己中心的でエゴイスティックな自分が嫌というほど見えて、
たっぷり味わうと最後はおかしくてたまらなくなって、
はっはっはーと笑ってしまいました。
そしてそんな自分を否定せず
ただ受け入れることができてとても楽になりました。
最後のアンタリアーミンとの絆は、
インドから帰ってきて直後はアンマとバガヴァンと常に
コミュニケーションとれていたんですが、
だんだん私の傲慢さゆえに会話することを怠り
コミュニケーションとれなくなっていたのですが、
今日は内側の声を聞くことができました。
アンマとバガヴァンがでてきたわけではなく、
もっと抽象的なイメージでぼんやりと光のようなものが見え、
質問したら答えが返ってくるという感じでした。
今度こそ、絆を絶やさないようにしようと思いました。^^
2005.10.5「永遠に続くプロセス」
私も4月にインドから帰ってきて半年経ちましたが、
この半年の体験は何にも換えがたい素晴らしい体験の連続でした。
こうやって、永遠に・・・永遠に・・・プロセスは続いていくんだそうです。
悟りのプロセスに終わりはないんだそうです。
私はつい2週間ほど前、
「この存在は、永遠に生き続けるのか・・・」と思ったらなんだかつまんなくなって、
虚しさがこみ上げてきて何もする気が起こらなくなってしまいました。
悟って至福状態が永遠に続くなんてつまんない・・・
ワンネス?そんなのもうどうでもいい・・・と。
そして最近気がついたのは、
永遠だからこそ、いろいろあって面白いんだ!
苦しみもあっていいんだ!ということでした。
そうなんです。苦しみながら、もがきながら、
常に変化を繰り返しながらステップアップしていくんです。
全て完璧なプロセスです。
だからこそ、一瞬一瞬が輝いてくるんだと思いました。
今、目の前で起きてくる体験をそのまま味わえばいいんだと。
インドのダーサジ(お弟子さん)に質問したことがあります。
「さっき起こったあの体験にはいったいなんの意味があるのか?」と。
答えはこうでした。
「その体験には何の意味もない。それはただ起こっているだけ。
ただ味わえばいいのです。」
ただ味わう。ただ体験する。ただ生きる。
そこには何の意味もない。
これこそ生きる極意だと今は思います。(^^)v
2005.10.1「なんという開放感!」
私は昨日、仕事をやめました。
この、仕事からの開放感のなんとすがすがしいこと!
実は私は、ずーっと働かねば!お金を稼がねば!ねばねばねば!
というがんじがらめの想いの中で働いてきました。
そこには、お金がないことの不安・心配・恐怖が常にありました。
「お金がない⇒食べられない⇒死」
単純に言うと、死の恐怖が根底にあったと言えます。
死に対する恐怖がどんどん薄れつつある今、
なんだかいろんなことがどうでもよくなってきました。^^
仕事を全くしないつもりはないのだけど、
仕事を選択する基準として、いい条件で稼げるなら少々のストレスは
ガマンしようと頑張ってきた自分を解放して、
楽しめる仕事を選択しようと思います。
そして、またインドへ行くための資金を稼がねば!などと考えてます。^^;
以下、ケビンの本「悟りってなあに?」より・・・
「仕事からの解放は社会からの解放、
社会からの解放は文明からの解放、
文明からの解放はマインドからの解放、
マインドからの解放は自己からの解放、
自己からの解放は感覚の解放、
感覚からの解放は生命の解放である。」
2005.9.25「天狗の私」
インドから帰ってきて以来、すごい体験をいっぱいしてるとか、
プロセスが進んでるとか、周りから言われるたびに
最初はいやいやいや・・と謙遜していたのだけど、
だんだん天狗になっている自分に気がつき始め、
謙虚にならなければ!と自分に言い聞かせている
自分が次第に苦しくなってきていました。
そして、常に悟った人のように振舞わなければと思っていました。
バカでしょ〜??^^;
本当に行き詰まって至福も何も感じなくなっていた最近、、、
ちょうど、松田先生とお話させていただく機会があり、
松田先生がこうおっしゃいました。
「私はバガヴァンから特別扱いを受けました。天狗でした。
私は最初それを人に言わないようにしていました。
だけどそれが苦しくなりました。
だから、それをあえて人に言い始めたら楽になりました。
悟ってない人は自分の内側を隠そうと、見せまいとします。」
目からウロコでした。
その言葉で私はどんなに救われたことでしょう。
だから私も声を大にして言います!
私は天狗で〜す(^0^)ノ
2005.9.23「松田先生のディクシャ会」
本日、岡山大学で教鞭をとっておられる松田敏彦先生のディクシャ会に
お手伝いとして参加させていただきました。
いや〜、すばらしかったです!
松田先生の大ファンになってしまいました。(^0^)ノ
悟りのディクシャをさせていただき、静かに座っていたら
松田先生が私たちディクシャ隊にもディクシャとハグをしてくださり、
そのハグで大感激してしまって、涙がど〜っと出ました。
そしてその後両手をギューっと握ってにっこり微笑んでくださった
松田先生がバガヴァンに見えました。
それからしばらく込み上げてくる至福感でおいおい泣いてました。^^
ここで、松田先生の発言の中で印象に残ったことを箇条書きで記します。
○沈黙が大切・・・内側の声を聞く、どう感じてるか・
どう考えているかを見ることが大切
○バガヴァンのメッセージ
「私を個人的に知るということは、悟りを得たことと同じです」
内なる存在(アンタリアーミン)に目覚めることが大切
個人的に親しくなること
○このままの自分でいいと納得して初めて自分が生き始める
○ディクシャを受けることで、気づきの中の変化を感じる
○宗教とG.A.M(ゴールデンエイジムーブメント)の違い
宗教・・・教祖による個人的な体験を広めようとしている
G.A.M・・・個人個人が、ただそれぞれの体験をしていくだけ
○自分を100%許すことは難しい。だから自分を大目に見る。自分を大切
にする。そのままの自分を受け入れる。
○サムスカーラシュッディ(質の浄化)
過去を思い出す⇒受け入れる⇒見ようとする・ちゃんと見る⇒苦しい
⇒味わう⇒次第に楽になって消えていく
以上です^^
個人的には、最近ずっと忙しかったので、
今日の私は心身ともに大変疲れていました。
ディクシャをした後、こっくりこっくり居眠りの連続でした。^^;
ところがセミナーが終わった後は、
身も心もものすごくスッキリしていて、
しかも頭頂のチャクラのあたりがスコーンと抜けたような
感じでなんだかスースーして変な感じでした。
とにかく、すばらしい一日でした。
ぜひ一度松田先生のディクシャを受けてみられることをオススメします。
ありがとうございました(^0^)ノ
2005.9.17「自分がある!!」
最近、だいぶん自分がないという感覚を味わいつつあります。
たとえば、、意識が無限に広がって、
ディクシャのエネルギーそのものになる・・
という感覚を味わったり、自然や人とのワンネスを味わったり・・・
ところが唯一”自分がある”という感覚が消えない場所があります。
それは”腸”です。つまり・・便秘がひどいのですぅ・・(ToT)
いや〜、原因は食べ物だろうなぁとは思うんですが
(毎日ランチは外で食べてるので)、それにしても、、ぐるじぃ〜(>o<)
宿便が悟りを阻む・・という話を聞きましたが、
これは本当だなぁと、体験をもって確認しました。^^;
お腹が重たくって、、この状態では決して
肉体の感覚はなくならないですね。
逆に、ディクシャ仲間のKパパは、
最近一日一食にして、体がどんどん軽くなっているそうです。
食べ物の消化にエネルギーを使わないので、
仕事の効率もよくなり、睡眠時間を減らしても平気なんだそうです。
体験して初めて納得するものですね。^^
2005.9.15「誤解。」
最近こんなことがありました。
私はAさんから、Bさんのたった一つのエピソードを聞いて
Bさんのことを誤解してました。
CさんはDさんから、Eさんのたった一つのエピソードを聞いて
Eさんのことを誤解してました。
私とCさんとの会話の中でそれがわかったわけです。
勝手な思い込みや不確かな情報で裁きあったり善悪の判断をしたり、、
それってとっても危険なことだなあとつくづく思いました。
しかも、私のBさんに対する誤解は、
本当はBさんに向けられたものではなく、
無意識の自分に対する怒り、
情けなさだったことに気がつきました。
自分の思い込みによる誤解からくる人間関係のすれ違いって
結構多いような気がします。
それを減らすために、真実を見る努力をしよう、
コミュニケーションをもっと大切にしようと思った今日この頃です。^^
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