詞章解説
第一部 天地
[「天地」の詞章の全体像]
通常、記紀神話を大きく分類して「高天原神話」「出雲神話」などの言い方がなされているが、本書でも同様に「天地」の詞章を大きく三つに分けている。第一詞章が「創世神話」、第二詞章「国産み」から第一二詞章「天岩屋」までが「高天原神話」、第九詞章「素戔嗚」以降が「素戔嗚神話」である。高天原神話と素戔嗚神話が一部重なることになる。本書では「出雲神話」という分類を採用していないが、「出雲神話」という表現は用いている。その場合には通常の用法と同じく、記紀神話で出雲を舞台として描かれている素戔嗚と大国主の神話の総称として使っている。
そして、高天原神話が終わる第一二詞章の解説の後に「試論」という一項を設け、高天原神話の解釈からわかったことを基に、もう一段記紀神話の内容に踏み込んでいる。
試論には、例えば三種の他界−黄泉国・常世国・根国−の違いのように、記紀神話には記されてあるが、記紀神話からではわからない事柄を推理したものも多い。それらは神話の解釈にはそれほど影響がなく、その正当性を主張する根拠にも乏しいが、倭人たちの世界観の全容を明らかにするためには必要な論考だと考える。もちろん、その内容がすべて正しいと主張するつもりはない。だからこそ「試論」なのであって、読者もともに考えてもらえれば幸いである。
また、第三詞章「神産み」までは、その解釈のほとんどが以後の詞章の解釈結果から帰納的に導き出されているので、解釈自体も多くを試論に委ねている。詞章解説の中で具体的に解釈しているのは第二詞章「国産み」の淤能碁呂島だけである。そのため、味気ない説明が多いが、しばらくおつきあい願いたい。
ところで、記紀神話の「天地」の詞章は、「倭の神話」の本体である神話体系や個々の詞章の内容自体には何の「造作」も加えられていないと思われる。いわば骨格も肉付きも表皮さえも「倭の神話」のままである。もちろん過失や錯誤による改変はあることになるが、基本的には一〇〇パーセントの「倭の神話」である。「天地」の詞章はそれを前提とし、記紀神話を神話として徹底的に信用した上で解釈している。
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