「はじめに」で述べたように、詞篇では『記』の神話体系をそのまま採用しているが、個々の神話の内容はむしろ『紀』を基にした方が「倭の神話」に近くなると思われるので、『紀』に同じ神話が載っている場合には『紀』を基本にして『記』で内容を検証し、『紀』の補整をしている。
本書がこの詞章で誕生する創世の神を一六神とし、『記』から一組二神を削って『紀』から一神加えたのはそのためである。結果として、「三・五・七」という中国の聖数観念だけでなく、「八・八」の日本の聖数観念にも合うことになったが、それを企図したわけではない。
この詞章で誕生する神々は、後述する四神以外は二度と登場しない。誕生の経緯も簡単に記されているだけである。神名の印象だけで神格を判断するのはきわめて危険であり、本書は原則としてこれを避けたので、そうするとこれらの神々の神格を判定することは困難である。しかし、この詞章の神々は神話体系の土台をなす神々ばかりのはずであり、わからないからといってやり過ごすわけにもいかない。体系がある程度明らかになった段階で、これらの神々の神格はあらためて考えたい。
また、これまで誰もが「常識」だとして疑わなかった天と地の範囲についても試論で考察する。「虚空」という表現が記紀神話に出てくることも考えあわせると、おそらく「常識」は間違っていると思われる。
二組四神の祖神の神格(仮説)
この詞章の神々の中で重要なのは高皇産霊・神皇産霊・伊奘諾・伊奘冉の四神なのだろう。最初に誕生する天御中主が最重要神かもしれないが、その神格が記紀神話からはまったく掴めないので、本書ではとりあえずこれを棚上げしている。しかし、天御中主の神格が究極的には解釈の鍵を握っている可能性があるので、第一二詞章「天岩屋」の解説でその「鍵」の所在は説明している。
また、高皇産霊・神皇産霊・伊奘諾・伊奘冉の四神も、その神格を記紀神話から明確に掴むことはできない。高皇産霊・神皇産霊は無形の神(『記』では「隠身也」と表現している)、伊奘諾・伊奘冉は有形の神だということはわかるが、そこから先は推測するしかない。だから、以下の内容はあくまでも仮説である。
祖神としてなぜ二組四神もの神があるのかは、それを歴史的政治的に説明付けようとしたものはあっても(例えば、別々の神を奉じる二つの民族があったからだとするもの)、もともと「倭の神話」の体系の中に二組四神が共に存在していたとして、二組の併存を認める思考形態やその神格の異同などを考究したものは見あたらなかった。
しかし、記紀神話が二組の併存を明記している以上、本書は当然それに基づいて神話解釈を行う。この二組の神格の違いは解釈上かなり重要だと思われる。
本書では、高皇産霊・神皇産霊が無形の神であり、伊奘諾・伊奘冉が有形の神であることから、その子孫神についてもこの区別をそのまま適用する。つまり、高皇産霊・神皇産霊は無形力の神(抽象神・機能神)の祖、伊奘諾・伊奘冉は有形力の神(具象神・実体神)の祖として以後の解釈を行っている。また、後述する魄と魂の区別にも対応させている。細部を詰める必要はあるが、大枠では間違っていないと考えている。もっとも、記紀神話を読む限りでは、倭人たちが二組の神格を厳密に定義して区別していたとは思えない。感覚的な区別にとどまっていたのではないだろうか。少なくとも記紀神話からだけではこれを精確に求めることは困難だろう。
「有形力の神」「無形力の神」について一言すれば、記紀神話では、いかなる場合でも有形の物質そのものが「有形力の神」になっていることはないということ、「無形力の神」とは厳密な意味での抽象神−概念だけで実体のない神−ではないということは指摘しておきたい。この二種類の神の意義を詳しく説明するのはかなり厄介であり、ここで論じると単なることば遊びに堕してしまう虞れがある。以後、折に触れて言及する。
高皇産霊と神皇産霊の違いについては、記紀神話からすれば、高皇産霊は父神(天父神)、神皇産霊は母神(地母神)としての性格が濃いとは言えるが、断定するまでには至らない。だいいち、どちらも「独神」だと『記』には明記してある。『紀』は直接記していないが、他の神々から類推すれば「純男」ということになるのだろう。だから、高皇産霊と神皇産霊は男神とも女神とも違う別の種類の神であり、ともに無形神である。そして、倭人たちはこの二神をはっきり区別していたようである。
この二神の差異は、神話の解釈にはそれほど重要ではないが、神話の体系としてはかなり重要だと思われるので、以後の詞章解説の中で明らかにしていきたい。
民間信仰と神話との関係(仮説)
ところで、本書のように記紀神話は神話であると主張するなら、古代人の世界観の中で大きな位置を占める民間信仰と神話との関係の考察は不可欠だろう。そういう両者の関係についても、ここで仮説を立てておきたい。
古代の倭人の霊魂観として身体霊(魄)と遊離霊(魂)の二種類があったことは、土橋寛『日本語に探る古代信仰』参照。そこでは古代人の信仰を理解する上での身体霊の重要性が説かれている。
また、仏教思想が浸透するにつれて身体霊の信仰が消えていき、遊離霊に一元化していく過程は、当初は高天原に高皇産霊と天照が共在していたが、高皇産霊の神格が判然としなくなるにつれて二神が融合し、ついには天照に収束していく過程とまさに軌を一にしている−本書では日の神がかつては男神・高皇産霊だったが、のちに女神・天照に変わったとする「歴史的」解釈はとらない。記紀神話は高皇産霊と天照を別の神格として記しているので、本書もそれに従って解釈を行う。その区別は以後の詞章解説で絞り込んでいくが、とりあえず高皇産霊を「天神」、天照を「日神」と考えておけば混同はしないだろう−。
その上、記紀神話には汎神論的色彩が濃厚であり、それは霊魂の遍在という日本人の伝統的な信仰の反映ではないかと思われる。
これらのことから、本書では高皇産霊・神皇産霊を身体霊(魄)の祖、伊奘諾・伊奘冉を遊離霊(魂)の祖とし、記紀神話と民間信仰との連関を考えている。
ただし、魄と魂の区別は現代流の肉体(からだ)と精神(こころ)の二分法に対応していないようである。二組の神格の違いからすると、魄とは、生命力・技術力・思考力などの、主として生命体(動物?)が有する無形の力で、魂とは、形として顕現している心−これも厄介な言葉である−そのものである、万物が持つ有形の力だと思われる。だが、七世紀以後徐々に変質していき、平安時代には完全に魂(遊離霊)への一元化がなされているようで、これを厳密に区別することは現在では難しい。
古代人の考え方に、外形は心の現れだとするものがあって、例えばアリストテレスは存在するものを質料と形相の合成として捉えているが、この形相にあたるものが本書で言う魂(有形の力)に近いのかもしれない。ただし、アリストテレスは形相にすべての霊魂をまとめ、人間や動物や植物などの種類によってその力が異なるとしている。質料は「もの」を形成するための材料のようなものであり、そこに霊魂は存在しないので、そうすると魄(無形の力)を形相から分離して考えている分だけ記紀神話の方が「進歩」していることになる。
仮説の根拠をここではこれ以上詳説しないが、二組の神格をその子孫の神まで含めて比べると、かなり明瞭な違いが認められる。ただし、例外もあり、細部に関しては本書としても疑問を残している。今後、神話と信仰との関係についての研究が進展すれば、この仮説も改訂する必要が出てくるかもしれない。
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