高天原神話(第八詞章「月読」まで)
 
第二詞章 国産み
《出典》『紀』本文、『紀』第一の一書、『記』
 
[詞章の解釈]
 
  大八島
 天武・持統朝で「倭の神話」を解釈する際、彼らが伊奘冉の産んだ「大八島国」を当時の政治的領土に限定し、「大八島」を具体的に比定していったのは、『記』の内容からすると、まず確実だと思われる。『記』では、「大八島」は淡路島・四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・本州となっていて、議論の余地がない。その後に産んだとされている六島も政治的な領土内の島だろう。八島では足りずにもう六島追加し、その上で「倭の神話」に記されてある「大八島国」との整合を図るために六島を別扱いにするという形を採ったわけである。彼らにしてみれば、そう解釈する以外考えつかなかったのだとは思う。しかし、彼らがそう誤解したために、その後も記紀神話はひどく狭小なものとして解されることになってしまった。
 記紀神話には「大八島国」が異伝を含めて七種類記されているが、『紀』の六種類は具体的な島の比定がすべて異なっている(詩論(補助解説第二詞章)中の表参照)。本書が「大八島」の具体的な名を詞篇に記さなかったのは、多くの異伝の中から八島に絞れなかったからでもあるが、同時に、この段階で読者に余計な先入観を植え付けたくなかったからでもある。本書では八島すべての具体的な比定は最後までしていないが、記紀神話全編の解釈の「結果」として、「大八島国」がどの程度の空間の広がりを持っているかは大まかに掴めるだろう。
 
  国産み神話の想像力
 この詞章の大枠の解釈には誰も異論を唱えない。せいぜい、淤能碁呂島が実在の島だとしたらどの島か、蛭児とは何者か、と詮索されている程度である。本書はこの「異論を唱えない」ことに異論を唱えたい。瀬戸内海のなにがしかの島に二神が天降って現実の日本の島々を産んだという解釈で本当にいいのだろうか。
 この詞章の伊奘諾・伊奘冉の行動は記紀神話の中の神々の行動の最初の一歩である。こんな大事な行動の解釈に異論が出ないのはどういうことなのか。これまで誰もがその行動の意味を疑わなかったから、結果的に記紀神話全体の解釈を誤っていたのではないか。
 「記紀神話の想像力の不毛」を嘆く論者は多い。しかし、それは最初のボタンを掛け間違えていたからである。実は、貧弱な想像力しか持っていなかったのは古代の倭人ではない。むしろ、われわれ−もちろん私も含めて−の方だったのだ。
 「大八島を産んだ」ことの意義は試論で考察する。これもいくつかの解釈がとれるだろう。蛭児についてはあれこれ論じられているが、いずれも憶測の域を出ていない。神話の体系には関係のない事柄なので、本書では試論で簡単に述べるにとどめる。これに対して、淤能碁呂島は、以後の解釈とも密接に関わるため、その比定はここでしておかなければならない。
 
  従来説の問題点
 まず、淤能碁呂島=瀬戸内海の小島説の問題点を挙げてみよう。淤能碁呂島=架空の島説は以下の説明からも明らかなように論外なので、考慮には入れないことにする。
 瀬戸内海の小島説の最大の根拠は『記』に載っている仁徳天皇の歌なのだが、これは第一二詞章「天岩屋」の解説で採り上げるとして、ここではこの説がはたして「神話」として成立するかどうかを考えてみよう。
 瀬戸内海に岩塩で出来ている島などどこにもないことはさておき、神話を創作する段階で淤能碁呂島を瀬戸内海のある島に見立てたとして、その島をすべての人が最初にできた島だと信じてくれるだろうか。確かにその通りだと皆が納得してくれるだろうか。そんなことはありえない。必ず異議が出てくる。その島が特別な島である証拠は何もないからである。そして、異議を提出される余地がある限り、神話にはなれない。総説で述べたように、神話に出てくる事項はすべて「天与」のものであり、人が任意に決められるものではない。「天与」のものだからこそ、すべての人が「真実の話」として承認する。だから、淤能碁呂島は誰が見てもこの島以外にはありえないという島でなければならない。
 もう一点。伊奘諾・伊奘冉の大きさを考えてみよう。瀬戸内海の小島に天降ったのなら、その大きさはせいぜい数キロ、十数キロ程度の「小人(小神?)」だろう。その程度の大きさで何百キロもある国土を産むのは「非常識」である。神話は「常識」に合っていなければならない。もちろんここでの「常識」とは人が個々の神々に対して抱く常識ではあるが、人が抱くものである以上、人間の常識は反映される。その上で神々はそれぞれの神格を担い、「神業」を行使する。二神の大きさとしては、文字通り「世界を股に掛ける」くらいは必要であり、せいぜい十数キロという「小神」であっては誰も信じてくれない。
 さらにもう一点。淤能碁呂島は神々の行動のそれこそ最初の一歩である。まだ世界は天地がぼんやりと分かれている程度であり、ここですべきことは世界の大枠を定めることである。そんな状況で、瀬戸内海のよくわからない小島が誕生したというのではあまりにお粗末である。到底神話の名に値しない。
 以上三点いずれをとっても、淤能碁呂島=瀬戸内海の小島説は成立する余地がない。これら諸点から考えるなら、国土創成などという話が人々の信じる神話になるためには、有無をも言わせぬ圧倒的な想像力ですべての者を沈黙させる他はないだろう。そしてまさしく、「倭の神話」はそういう神話になっている。
 
  淤能碁呂島の比定
 それでは、淤能碁呂島の比定を行おう。これは誕生の経緯からだけでも特定できる。以後の詞章の内容ともぴったり合う。だから、まず確実である。
<伊奘諾・伊奘冉が玉矛でかき回すと、そこに「蒼く玄いもの」(『紀』本文の表記は「滄溟」)があり、矛を引き上げるときに滴り落ちた潮が固まって淤能碁呂島になった>という意味を考えてみよう。矛でかき回したときにあった「滄溟」とは何か。誰もが原初の海洋だとして疑わないが、海は伊奘冉が国土を産んだ後で産んでいる。「滄溟」と海とはどういう関係にあるのか。海底だとするなら、それを「滄溟」と表現するのはいかがなものか。と、疑問を提示した上で、次の条件を出してみよう。
《その「滄溟」は、伊奘諾・伊奘冉がかき回している以上、現在も回転していなければならない。》
 当然である。しばらくして回転が止んだら、それは人間業であって神業ではない。神々の行為の結果起こった事柄は時間を超えて現在にまで受け継がれる。だからこそ、それは起源神話になる。そして、起源神話の結果は人々の現実認識と一致していなければならない。これが、起源神話が「神話」であるための最低限の条件である。神話は小説や説話とは違う。神々が好き勝手に神業を行使するという荒唐無稽な作り話であっては、「神話」にはなれない。
 「滄溟」の回転が地球の自転運動だったら、これは一大事である。コペルニクスより九〇〇年以上も古い。その可能性は否定できないのかもしれないが、本書は「常識」的に天動説を採用する。つまり「滄溟」の回転とは天球の回転である。それならば、回転の中心に出来た淤能碁呂島の正体は特定される。当然、北極星である。そして、「滄溟」とは天球であり、これが高天原である。だから、淤能碁呂島誕生神話とは天球(高天原)誕生神話であり、天球回転起源神話であり、北極星誕生神話である。
 伊奘諾・伊奘冉は北極星に降って国土を産んだ。こう解しただけで、その大きさの印象がこれまでとはけた違いになるだろう。世界大巨神でない限り、「国産み」などという大それたことはできない。また、第一詞章が世界の創始を語っているのなら、その次には世界の形成を語るのが当然の叙述の流れである。世界の創始の次に、突然日本の政治的領土の創成に話が矮小化すると考える方が、よほど非常識だろう。こうして、前記三点の問題はすべて解消する。誕生の経緯とも、後続の詞章とも完全に整合する。だから、記紀神話が文字通りの「神話」であるならば、これ以外の解釈は不可能である。
 以上の説明だけで淤能碁呂島=北極星説を主張したのでは、反論が続出することだろう。読者もにわかには信じられないかもしれない。何しろ「常識」とあまりにも違う。だが、その「常識」がいかにわれわれの想像力を蝕んでいるかも考えてほしい。その「常識」を捨て去らない限り、「倭の神話」は絶対に理解できない。
 
  「常識」を疑うこと
 淤能碁呂島の位置が「常識」と逆転してしまったために、この詞章はそれ以外の「常識」もことごとく疑うことになる。伊奘諾・伊奘冉はどこに生まれたのか、どういう経路を辿って天浮橋まで行ったのか、天浮橋はどこにあるのか、についても考え直す必要があるだろう。「国産み」の方法も「常識」とは違うようである。細部の意味も詰めなければならない。これらも試論に委ねる。
 だから、淤能碁呂島の比定を行っただけのこの段階では、読者に淤能碁呂島=北極星説を押しつけるつもりはない。高天原神話が終わる第一二詞章「天岩屋」の解説まで読み進めば納得してもらえるだろう。
 第一詞章の解説で<天と地の範囲はおそらく「常識」とは違う>と書いたのはこのためでもある。倭人たちは上が「天」、下が「地」という単純な二分法の発想はしていない。それは、第一詞章冒頭の「鶏の卵」(『紀』本文では「鶏子」)の比喩の意味を考えてみるだけでも明白だろう。そして、第一詞章でなぜあれほどの数の創世の神々が生まれるのか、なぜそんなに必要なのか、という理由も考えてみよう。「倭の神話」が世界を聖書のような上下の二分法で捉えているのなら、創世の神は伊奘諾・伊奘冉の二神だけで十分である。また、なぜ他界が三種類もあるのか、どこにあるのか、どう違うのかも考えてみよう。単純な二分法では他界は地下の一箇所にしか存在しえないだろう。
 現代人で、世界は上下に二分されていると考える者は誰もいないだろう。それは「非常識」な考えである。記紀神話にも、どこを探してもそんなことは一言も記されていない。それならば、倭人たちは世界を二分して考えていたはずだという説がなぜ「常識」になるのだろうか。現代人にとっては「非常識」な、そういう「常識」こそ疑ってかかるべきである。倭人たちが彼らと彼らを取り巻く世界をどのように捉えていたかは、記紀神話を解釈した結果である「倭の神話」の意味内容だけから判断すること、それが本書の基本姿勢である。
 
  高天原神話とは
 この詞章が国土創成神話である前に高天原誕生神話であり、伊奘諾・伊奘冉は高天原にいる以上、本書ではこの詞章から「高天原神話」が始まるという解釈になる。「高天原」とは「天球の世界」であり、「高天原神話」とは「天体神話」である。


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