第六詞章 三貴子誕生
《出典》『紀』第六の一書
[詞章の解釈]
禊ぎと三貴子誕生
ここで伊奘諾はずいぶん忙しなく動き、今度は日向(東)の水平線に行って禊ぎをする。これには当然意味があって、この詞章で日と月の神が生まれるからである。黄泉国から戻った地点(西北西)で禊ぎをしたら大変である。日と月が西北西から昇ることになってしまう。起源神話は現実に全面的に拘束されるので、ここで伊奘諾は東に行かなければならない。神話的に言えば、伊奘諾が東の水平線で禊ぎをしたから、日と月は現在でも東から昇る、ということになる。神話作者も現実と一致するように神話を創らなければならないので、かなり苦労しているようである。
三貴子の前に生まれた底筒男・中筒男・表筒男の三神がオリオン座の三つ星であるのは言うまでもないだろう。東の水平線から三星が順番に垂直に昇ってくる様子を彷彿とさせる起源神話である。ただし、これは本書の創見ではない。すでにそういう説はあった。だが、せっかくの発見もこの部分だけにとどまり、他にまで広げることができなかったので、単なる「思いつき」としか受け取られなかったのだろう。残念なことである。
ここで面白い発見をした。底筒男・中筒男・表筒男とは水平線上にあるときの神名であり、水平線下にあるときは底津少童・中津少童・表津少童となって神名が変わることである。同じ星であっても場合により神名が変わるというのは解釈上非常に有り難い発見だった。
どういうことかと言うと、伊奘諾・伊奘冉の行動によってこれまでに「生まれた」神々は、前詞章の神々の一部を除けばすべて星の神々だろうが、その神々も場合によっては神名が変わるのだと思われる。また、後の詞章で誕生の経緯がわからない伊奘諾・伊奘冉系列の星の神が登場するが、それらの神もすでに誕生しているのだと考えられる。
この詞章までで、高天原世界(天球の世界)はほとんど完成する。あとは、第一〇詞章「二神の誓約」で誕生する八柱の神を残すだけである。この詞章の最後に天地を明るく照らす日神・天照と月神・月読が生まれ、その後で次の「出雲神話」を担う風神・素戔嗚が生まれるのは、だから十分な意味がある。
地名の意義
ところで、記紀神話に記されている地名の多くは、われわれの用法−ある特定の場所を指し示し、その場所以外を排除するという用法−とは異なる用法をしており、別の意義を担っているので、詞篇では誤解を避けるために地名表記をかなり簡略化した−第一三詞章「大宜都姫」の解説参照−。だから、この詞章でも伊奘諾が禊ぎをした場所を単に「日向」としか記さなかったが、『紀』第六の一書では「筑紫の日向の小戸の橘の檍原」となっており、『記』でも「小戸」と「橘」の順序が入れ替わって漢字表記が違うだけである。もしこれが原作のままならば、原作地は九州である。奈良ではありえない。ただし、それは「筑紫」が現在の九州自体を指すとした場合の解釈であり、まったく別の解釈をする余地はある。「国産み」の解釈と関わるので試論で述べる。
仮に「筑紫」が原型成立後の付加だとしても、この詞章は奈良原産ではない。なぜなら、奈良からは水平線が見えないからである。原作地は東に水平線が見える所に限定される。また、日が昇る前にオリオン座の三つ星が昇っているので、当時なら七月中旬の四時半過ぎになり、日の昇る位置は東から三十度弱北へずれる。(地球の歳差運動のために、現在は見え方が少し異なる。歳差については第一二詞章「天岩屋」の解説参照)。その位置が「小戸の橘の檍原」なので、原作地はそこに陸が見える場所にさらに限定される。ただし、これは「小戸の橘の檍原」が地上だとする解釈である。試論(補助解説)で述べるように、これも別の解釈をする余地がある。
「筑紫」の語句について言えば、本書は誤解に基づく筆録段階での「善意」の付加だと考えている。その理由も試論で述べるが、このために後の研究者はずいぶん惑わされたわけなので、その意味では罪深い「善意」になってしまったことになる。
日神生誕の地
以上の説明から、「日神生誕の地」を国内に探し求めることがいかに滑稽な試みであるかがわかるだろう。本居宣長にいたっては、万国を照らす太陽が日本で生まれたから、わが国は他の国に優越する高貴な国なのだ、という珍妙な論理を振りかざす。このような近代の国粋主義にも似た偏狭な自己中心主義は、「倭の神話」のどこを探しても見いだせない。倭人たちが彼らの周囲の世界を見る目はどこまでも冷静である。
いったい、国内のどの地で日神が生まれたことにすれば、現実の太陽の運行と一致させることができるだろうか。そんなことはどこであっても不可能である。だから、日神は東の地平線上の天球で生まれた。そうでない限り、決して現実とは一致しない。倭人たちもそう考えたから、その通りに「倭の神話」を創った。記紀神話にもそう記してある。後世の誤解が積もり積もって「常識」となり、われわれの目を曇らせていたために、これまで解釈の仕方を間違えていただけである。
だから、伊奘冉も伊奘諾も天球上を動き回っただけで、最後まで国土には一歩も足を踏み入れない。あるいは、国土が小さすぎて足の踏み場にさえならなかったのかもしれない。何しろ、目を洗って日神と月神が生まれ、鼻を洗って風神が生まれるくらいなのだから、その大きさは想像を絶する。そして、最初から最後までその大きさを保持し続けている。
こうして、天球の世界(高天原世界)がほぼ完成し、三貴子が生まれた段階で、伊奘諾もお役御免になる。彼のような巨神にこの後も動き回られたら、話がややこしくなるだけである。また、天球上をどう眺めても、三貴子誕生後も動き回ったという形跡はない。だから、彼の「神話的使命」は三貴子誕生で終わる。いや、終わらなければならない。
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