第七詞章 三貴子の分治
《出典》『紀』第六の一書、『紀』本文
 
[分治の異伝と高天原神話との関係]
 
 三神の分治については、次表のように五種の異伝があり、成立が古いと考えられる順番に並べてみた。分治が記されている『紀』第五段は、第三詞章「神産み」から第九詞章「素戔嗚」までの内容を含んでいる。表では『紀』第六段以降を接合しているが、第五段と対応させているわけではない。これも単に古いと思われる順番に並べただけである。
 ここでは分治の異伝と第五段の異伝との関係を考察したい。
『紀』
 第五段
『紀』本文
     T型
第一の一書
   U型
第十一の一書
    V型
第六の一書
   W型
『記』
  X型
第 三詞章 ◎+誕生 △+誕生△
第 四詞章 × ×
第 五詞章 × ×
第 六詞章 × × △+誕生△ ◎+誕生 ◎+誕生



天照 天上 天地 高天原 高天原 高天原
月読 日に配ぶ 日に配ぶ 日に配ぶ 滄海原 夜之食国
素戔嗚 滄海原 天下 海原
生む神 伊奘冉・伊奘諾 伊奘諾 伊奘諾 伊奘諾 伊奘諾
第 八詞章 ◎→滄海原△ × ×
第 九詞章 ◎→根国 ◎→根国 △→根国△ ◎→根国△ ◎→根国
 第六段     第三の一書 『紀』本文 『記』
第一〇詞章    
 第七段   第三の一書 第二の一書 『紀』本文 『記』
第一一詞章  
第一二詞章   ◎+誓約
 第八段       『紀』本文 『記』
第一三詞章        ?  ◎ 
(注:◎は記載あり。×は記載なし。△は他の異伝に記載されたために収録されなかったが、本来記載があったと推定されるもの。?は記載があったかもしれないもの。月読と素戔嗚の欄には当初の分治領域を記した。月読は第八詞章「月読」で分治領域が変更されるものがあり、素戔嗚は第九詞章「素戔嗚」で最終的な分治領域が決定される。その結果、月読はほとんどの異伝が滄海原または夜之食国を、素戔嗚はすべての異伝が根国を分治することになっていると思われる。)
 
 一見して、『記』のX型が最も整備されていることはすぐわかる。『紀』第六の一書のW型もほとんど同じ内容になっているので、これが六世紀の最終型だと思われる。一方、『紀』本文のT型がこの中では最古型であり、『紀』第一の一書のU型はその変型だろう。
 この表から、T型とU型では第三詞章「神産み」の段階ですでに高天原世界(天球の世界)が完成していることもわかる。逆に言えば、W型やX型は「神産み」の段階では天球全体のうちの一部の星の神が生まれるにとどまり、残りを第四、第五、第六詞章に振り分けて第六詞章の段階で高天原世界(天球の世界)を完成させている。W型やX型がT型、U型の発展型であることが読み取れる。ただし、T型やU型では倭人たちがまだ黄泉国という観念を持っていなかったと考える必要はないだろう。神話体系に組み込まれていないだけだと思われる。
 また、この表から三貴子誕生と天球の世界の完成との先後もわかる。T型は伊奘冉がまだ生きているときに三貴子が誕生しているが、この後の伊奘冉の消息がわからない。『紀』第二の一書はT型よりもっと古型だろうが、そこでは三貴子が生まれた後で伊奘冉は火の神を産み、死ぬまでの間に土の神や水の神などを生んでいる。その場合には三貴子誕生後も星の神が生まれている。おそらくT型も同様ではないかと思われる。それを除けば、三貴子の誕生は天球の世界が完成した後になっている。
 天球の世界が完成した後で日神、月神は生まれた。これは「倭の神話」の最終型の段階では確立している倭人の思想である。このことは、日神、月神が生まれる前には、世界は天球の世界しか完成しておらず、地上世界はただ原初の国土と海があるだけだったと倭人たちは考えていたことにもなる。
 われわれはここに、古代人なりの理路整然とした思考を見いだすことができる。聖書と比較してみよう。
 旧約聖書の創世紀では、神(絶対神)は第一日目に光と闇、二日目に天と地、三日目に地を海と陸とに分け、さらに陸に木と草を茂らせた後で、四日目に太陽と月と星を造っている。一方、「倭の神話」では、旧約聖書風に言えば、最初に光と闇、次に天、次に星とともに陸、海を造り、そして天球の世界を完成させた後で太陽と月を造っている。
 両者を比べるとき、その類似はことさら指摘するまでもなく明瞭である。だが同時に、「倭の神話」の方が成立の時代が遅い分だけ現代人の目から見れば合理的になり、内容もはるかに細密になっていることもわかるだろう。
 この誕生の順序は、あるいは人間が科学的知見を持つ以前に到達する最も合理的な順序なのかもしれない。「倭の神話」はちょうど聖書と現代の科学的世界観の中間に位置しているように思える。たとえ科学的方法に依らなくても、人間が自分の周囲の世界を見つめ、その起源を考えたとき、世界に対する認識が深まれば深まるほど科学的世界観に近付いていくのではないだろうか。
 そして、天体を観察していれば、単純な天地の二分法は採用できないことにも気付く。天球は天の北極を中心として回転し、東から昇る星は西に沈み、また東から昇ってくる。それならば、大地の下方にも同じように天球が広がっていなければならない。天球は上方に高天原としてあり、下方にも同じく半球がある。そう倭人たちは考えていたのだろう。
 ここで、高皇産霊と神皇産霊の役割分担がわかる。天球の上半分、つまり高天原の主宰神が高皇産霊であり、下半分の主宰神が神皇産霊である。記紀神話で両神が同時に登場することがなく、また、神皇産霊が大地母神の性格を持つように見えるのはこのためだろう。
 そうすると、この詞章から天神・高皇産霊と日神・天照はともに高天原にあるが、両神の役割分担を記紀神話は明記していない。本書でも明確にはしていないが、第一二詞章「天岩屋」と第二五詞章「天孫降臨」の解説から大体の見当はつくのではないだろうか。
 また、『紀』第六の一書が月読の分治領域として「滄海原」としているのは、月と潮汐との関係を古代人が理解していたためだと思われる。「以て滄海原の潮の八百重を治すべし」という表現は他の解釈を容れないだろう。
 ところで、先ほどの「光と闇」は、聖書と「倭の神話」とで意義が異なる。聖書では光を昼とし、闇を夜として、太陽と月を造った後で太陽に昼を、月に夜を治めさせている。一方、「倭の神話」では太陽と月によって天地は明るくなる。つまり、太陽と月が誕生する前は地上世界の周りには闇しかない。天球の内側は暗黒の世界である。ここから先は試論で述べるが、第一詞章「創世の神々」の冒頭部分の意味はこれでほぼ掴めるだろう。


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