第八詞章 月読
《出典》『紀』第十一の一書
[詞章の解釈]
起源神話の種類
この詞章は第一三詞章「大宜都姫」の異伝であり、どちらも穀物起源神話なのだが、その意義や異伝が生じた理由などの考察は以後の詞章解説に譲るとして、ここでは、この詞章に込められているもう一つの意義を考えてみたい。
起源神話には二種類ある。これまでの多くの詞章のように誕生の段階で現在のようになったとする誕生神話=起源神話と、誕生の段階では現在と異なっていたが、その後、ある事件が起こって現在のようになったとする起源神話である。次詞章から続く素戔嗚の神話などは後者の典型だと言えるだろうが、そういう起源神話では、事件の中に別の起源神話が組み込まれることがよくある。その場合、一つの神話の中に二つの起源神話があることになる。素戔嗚の場合のように事件の起源神話が連なるとかなり内容が複雑になるため、そこでは高度な論理的思考が駆使されているが、この詞章は起源神話が二つ重なっているだけの最も単純な形である。もちろん、単なる誕生神話=起源神話より一段複雑化してはいるが。
日と月の分離
この詞章は日神と月神は誕生の段階ではともに高天原に在ったが、月神の穀物神殺害事件によって二神が離れて住むようになったという神話である。だから、穀物起源神話であると同時に、日神と月神が離れて住んでいることの起源神話でもある。この「離れて住んでいる」とはどういう意味かを考えてみよう。
前詞章の解説からすれば、ここで月神が「夜之食国」に行って「滄海原」を治めるようになったということだろうが、では、月神が行ったその「夜之食国」はどこにあるのだろうか。
穀物神が殺された後、日神が月神に向かって「顔を見たくない」と言っているので、それは高天原上にはない。つまり「夜之食国」は天球上ではなく、別のところにある。だから、「離れて住んでいる」とは、月と太陽が同一平面上にはないという意味である。それならば、『紀』の「一日一夜、隔離而住」という文は、「昼も夜も離れて住む」という意味であって、「昼と夜とに離れて住む」という意味ではない。現に月は昼にも出ている。いくら古代人でもそれに気付かないわけがない。
だから、地球を中心に考えたとき、つまり天動説で考えたとき、月が太陽の内側を回っていることに倭人たちが気付いていたのは確実である。そうすると、彼らは日食が起こる理由もわかっていただろう。
実を言うと、この詞章から彼らが月の満ち欠けや月食をどう捉えていたかまで読み取りたかったのだが、さすがにそれは少々欲張りすぎていたようである。だが、太陽の動きと関係があるというくらいは掴んでいたように思える。本書が見つけられなかっただけで、実はちゃんと書いてあるのかもしれない。
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