第一〇詞章 二神の誓約
《出典》『紀』本文、『記』
[詞章の解釈]
冬の起源
この詞章の季節が冬であることは、吐く息が霧になるという描写や前詞章の季節が秋で、次詞章の叙述が春先から始まることからも明らかだろう。素戔嗚が最も活躍する季節であり、この点からも誓約では素戔嗚に勝ってもらわないと困る。冬の真っ最中に日神と風神が誓約をしたら、風神が勝つに決まっている。風神が負ける話を神話作者は創ることができない。神話的に言えば、誓約で風神が勝ったから、現在も冬は風神が日神をしのいで力を誇示していることになる。
天照の子の五神
それでは、誓約で誕生した神々の神格を検討しよう。まず、天照の子の五柱の男神について。
通説はこの五神のうち天忍穂と天穂日は穀霊であり、他の三神は神格不明としている。だが、なぜ天照と素戔嗚の誓約で穀霊が生まれるのか、穀霊の二神はどう違うのか、なぜ二神の間であとあとの扱いに雲泥の差が出るのか、なぜ天忍穂という重要な役割を負う神と同じ状況で、わけのわからない神が三神も生まれるのか、なぜ素戔嗚の子が三神なのに、天照の子は五神なのか、という疑問に何も答えていない。その上、穀霊とはいったい何か、具象神なのか抽象神なのか、穀物や人間とどういう関係にあるのか、どこに、どのように存在しているのか、という定義さえしていない。
神名の印象だけで神格を判断すると、とんでもない見当外れの解釈に陥る危険がある。一度しか登場しない神なら間違えてもそれほど影響はないが、この詞章のような主要神の場合には記紀神話全体の解釈を誤ることになる。現に、天武・持統朝はこの詞章を誤解したために、以後の詞章も「政治的」に解釈してしまった。その影響は一三〇〇年も続き、現在にまで及んでいるのではないか。だから、こういう主要神の神格の判定には細心の注意を払い、文脈や状況から総合的に判断して、神名は神格の検証に用いるべきである。もっとも、高天原とは何なのかがわからず、素戔嗚の神格も誤解していたのでは、「総合的な判断」をしようにもその材料がないことになるが。
本書は次のように解釈する。
日の神の子であり、彼らもまた高天原に在るというのなら、当然この五神は星の神々である。そして、この五星の運行が他の星々と異なり、一定していないことを理由付けるために、この五星は他の星々とは別に生まれ、出生に気まぐれな風の神が関与したので不規則な動きをするのだ、という神話的思考をして、その構想のもとに作られた神話である。つまり、この五神は惑星の神々であり、この詞章は惑星誕生神話である。
日の神の玉飾りを物種にして風の神が息とともに吹き出すと、その霧の中に生まれたのは惑星の神々だった。そう語るこの神話には、古代人の星に対する瑞々しい感性がしなやかな想像力に包み込まれて息づいている。風の神を出生の当事者にしたことが、他の星とは異なる惑星の性格を端的に言い得ており、惑星に対する心像を豊かに膨らませてもくれる。
また、この神話が天体への深い、的確な観察に基づいて構想され、創出されたものであることも言うまでもない。倭人たちが太陽と惑星との関係を相当程度掴んでいたことは確実である。両者の関係を人間同士の関係になぞらえるなら、惑星を太陽の子とすることは現代人でも首肯できるだろう。もとより、これ以外の関係はありえない。だから、「倭の神話」でも日神の子には惑星の五神しかいないのである。
それでは、この五神がそれぞれどの惑星に当たるのか、具体的に比定していこう。
天忍穂は金星である。これは確定できる。「オシホ」は「押火」だろう。全天で最も明るい星であり、この後で天孫の親として別格の扱いを受けるのは当然だと言えよう。加えて、東に沈むことができる星は金星と水星だけであり、日向(東)に天降る星としても格別の意義がある。後の「国譲り・天孫降臨神話」に、天忍穂が初めは自ら天降ろうとしたが、途中で戻ってきたという異伝(『紀』第一の一書、第二の一書)があるのは、金星の運行からの着想だと思われる。『古語拾遺』に「天照が特に天忍穂を可愛がり、いつも脇の下に抱えていた」という伝承が載っているのも、太陽と金星の関係を考えると、なかなか面白い。
天穂日は火星だろう。「ホヒ」は「火日」である。第一九詞章「天穂日」は、天穂日が天命を受けて国譲り交渉のために天降ったところ、大国主に媚びて三年経っても復命しなかったという神話だが、その光度が大きく変わったり、行きつ戻りつ運行したり、また、一年中夜空に現れなかったりするというこの星の特徴をよく掴んでいる。
熊野久須日は水星ではないだろうか。「クマノノクスビ」は「隈之奇日」だろう。明け方の東の空と日暮れの西の空にしか現れない星であり、「東西の隅(隈)で変な動きをする星」という名はよく体を表している。ただし、これは神名からの印象でしかないため、神名の意味を誤解している可能性はある。
ここまでは何とか推定できるが、天津彦根は木星、生津彦根は土星、となると自信がない。この二神は他の場面で登場しないため、その物種と神名から判断するしかないだろうが、天津彦根の方が格上だと思われるので、より明るい木星に比定しただけで、それ以上の根拠はない。
仮にこれらの比定が一部違っていたとしても、古代の倭人が惑星の神々に対して抱いていた印象は、西洋の神話に登場する惑星の神々からうかがえるものとはずいぶん異なっていると言えるだろう。
六神の異伝
ところで、この惑星誕生神話には異伝があり、『紀』第六段第三の一書と第七段第三の一書では第四詞章「軻遇突智」で誕生した樋速日を加えて、六神がこのときに生まれたことになっている。生まれた順序では生津彦根と熊野久須日の間に樋速日が入っているが、これはどう解したらいいだろうか。
筆録段階での混入と考えれば何も問題はないのだが、混入にしては文脈にうまくはまりすぎているように思えるし、むやみにこれを多用すると「造作」説と同様の「万能の鉈」になってしまう。異伝の取り扱いについても、できるだけ筆録前から存在していたと解して、生じた理由を説明する方針なので、ここでもその理由を考えたい。
そうすると、私が考えつくのは次の四通りである。ただし、いずれにせよ当時でも「正伝」ではなく、古型か、あるいは一部の地方だけで通用していた神話だと思われる。
一 ある恒星を惑星と誤認した。
これが最も手軽な解釈である。だが、後の「国譲り・天孫降臨神話」も併せて考えると、倭人たちの天体に対する知識や経験は平均的な現代人−私も含まれる−よりはるかに豊富なので、彼らがこういう単純な誤解をしたとは考えにくい。ただし、六神の神話の方が五神の神話より古い形だと思われるので、何らかの現象のせいで当初は誤認していたが、その後誤りだと気付いて訂正した、しかし、訂正されずに古い形のまま受け継がれた地方があった、と解することはできるかもしれない。その場合でも、「何らかの現象」とは具体的に何かを説明しなければ説得力がないが、私には考え浮かばない。
二 尾の出ない彗星を惑星だと考えた。
第四詞章の内容も考えあわせると、根拠はあると言える。第四詞章の方が「正伝」だろうが、そこでは樋速日は剣である天尾羽張(彗星の神)の鍔に付いた血が飛び散って生まれている。つまり樋速日の出生には天尾羽張が関与している。だから、第四詞章は樋速日が天尾羽張と同様の特殊な運行をしている理由を、誕生の経緯に求めた起源神話でもあると解することはできる。それならば、樋速日を当初は惑星だと誤認していたためにこの詞章に入れていたが、同じような星(甕速日)をもう一つ見つけ、それらを詳しく観察したところ、天尾羽張と同じ性質を持っていることを発見して、第四詞章に移したと解しても筋は通る。その場合、樋速日と甕速日の二神は、ともに天尾羽張と同様に彗星の神になる。
三 すでに天王星を発見していた。
肉眼で見える星の限界は光度が六等級までとされているが、天王星はその六等星である。限界ぎりぎりなので、至難ではあっても不可能だとは言えないのかもしれない。しかし、天王星が発見されたのは一七八一年なので、「世界記録」を一二〇〇年以上更新してしまう。世界記録の更新自体は、それが確実な神話もこの後出てくるので、取り立てて驚くべきことではないのだろう。だが、天王星を肉眼で発見することがはたして有り得るのかは疑問であり、すでに望遠鏡を発明していたと考えるのも無理がある。また、第四詞章にも樋速日が入っているので、今度はそちらの方が誤認だということになり、それがこの説の重大な欠陥である。ただし、天王星も発見当初は彗星だと誤認されていたようなので、第四詞章の方が別伝で、こちらが正伝だと主張されると、反論はかなり面倒である。
四 小惑星(ベスタ?)を発見していた。
ベスタも衝の位置にあるときは六等星である。これまた限界ぎりぎりなので、可能性はある。だが、発見は一八〇七年なので、天王星の場合よりもっと記録を更新してしまう。天王星とする方がまだましなように思えるが、第四詞章との関連はこちらの方が説明しやすい。小惑星と彗星との境界は現在でもはっきりしていないようである。
以上から考えると、筆録段階での混入でないなら、二.が一番まともだと言えるのではないだろうか。第二一詞章「武甕槌と経津主」の内容とも整合する。ただし、他にも考えられるかもしれないので、もしあれば教えてほしい。それにしても、異伝からこんなことまで考えさせてくれるのも記紀神話ならではだろう。
素戔嗚の子の三女神
次に、素戔嗚の子の三女神について検討しよう。宗像神社に祭られている三女神だが、その神格を考察したものは見あたらなかった。
結論から言えば、オリオン座の小三つ星の神格化だろう。根拠は次の通りである。
まず、彼らは高天原に生まれているので、当然星の神である。三女神を祭る宗像君は海人族の宰領であり、星は航海上重要な指針である上、風の神の子というのも冬の日本海に吹く風の厳しさを連想させ、冬の星座であるオリオン座の印象とよく重なる。次に、宗像神社の三女神はそれぞれ沖津宮、中津宮、辺津宮に祭られており、この三宮は直線上に並んでいることから、小三つ星に対応して置かれたのだと思われる。最後に、「霧の中に生まれた」としているので、有名な三つ星の方ではなく、オリオン大星雲の中にあって、ぼやけて見える小三つ星の方がふさわしい。
なお、この三女神の長女・田霧姫(『紀』第一の一書では三女、第二の一書では次女)は宗像神社に祭られた後、大国主と結婚して長子・味耜高彦根とその妹・下照姫を生んでいるが、そこでは霧の女神としての神格が与えられているようである(第二〇詞章「天稚彦」の解説参照)。
男神と女神
ところで、なぜ惑星が男神で、オリオン座の小三つ星が女神なのかはわからない。そればかりか、倭人たちが男神と女神をどう区別していたのか、統一的で明確な基準は最後まで見つけられなかった。本体からの印象で何となくわかる気もするが、あるいは本書が発見できなかった何らかの判断基準があったのかもしれない。
また、なぜ誓約で男神が生まれると素戔嗚の清い心が証明されるのかもわからない。倭人たちが男神と女神、ひいては男と女の違いをどう捉えていたかにかかっているのかもしれないが、根拠のない憶測は慎むべきだろう。
天武・持統朝でもわからなかったようで、『記』は素戔嗚の子が結果的に女神になったことを利用して、手弱女を生んだからだという理由に変えている。天忍穂と素戔嗚の関係を薄めようという意図もあるのかもしれないが、それでは「倭の神話」の折角の創見の価値が半ばそがれてしまう。『紀』本文のように、五柱の男神は天照の玉飾りを物種にして素戔嗚が吹き出した霧の中に生まれ、三柱の女神は素戔嗚の剣を物種にして天照が吹き出した霧の中に生まれたとしたとき、その創見はひときわ価値を高める。
惑星の五神は風神の誓約で生まれたからこそ運行が不規則なのであり、日神の子だからこそ太陽と関わり、黄道に沿って動く。オリオン座の小三つ星の神は日神の誓約で生まれたからこそ規則正しく運行し、風神の子だからこそ冬の夜空に霧の中で煌めくのである。
誓約の異伝(×は記載なし)
『紀』第六段
|
本文 |
第一の一書 |
第二の一書 |
第三の一書 |
第七段第三の一書 |
『記』
|
三
柱
の
女
神 |
物種の持主 |
素戔嗚 |
天照 |
素戔嗚 |
天照 |
天照 |
素戔嗚 |
| 物種 |
剣 |
剣 |
曲玉 |
剣 |
剣 |
剣 |
| 生む当事者 |
天照 |
天照 |
天照 |
天照 |
天照 |
天照 |
| 帰属 |
素戔嗚 |
× |
× |
× |
× |
素戔嗚 |
五
柱
の
男
神 |
物種の持主 |
天照 |
素戔嗚 |
天照 |
素戔嗚 |
素戔嗚 |
天照 |
| 物種 |
御統 |
御統 |
剣 |
御統 |
御統 |
御統 |
| 生む当事者 |
素戔嗚 |
素戔嗚 |
素戔嗚 |
素戔嗚 |
素戔嗚 |
素戔嗚 |
| 帰属 |
天照 |
× |
× |
天照 |
× |
天照 |
| 清い心の証明 |
男神 |
男神 |
男神 |
男神 |
男神 |
女神 |
| 誓約の勝者 |
素戔嗚 |
素戔嗚 |
× |
素戔嗚 |
素戔嗚 |
素戔嗚 |