第一六詞章 大国主の受難
《出典》『記』
[大国主の本体〜詞章の説明]
大国主の本体
大国主の神格が誤解され続けてきたのは、その神名に本体を表すようなものが何もないからでもある。当時の人々は「大国主」とか「大己貴」とか聞いただけでそれが何の神格化なのかがわかっていたので、本体の説明など言わずもがなのことなのだろうが、現代人にとっては、これははなはだ困ったことである。第二部「国」の詞章は彼がきわめて大きな比重を占めており、とりわけ第一八詞章「国造り」までは彼が主人公なので、その本体がわからなければどうにも解釈のしようがない。これらの詞章の意味を知るためには本体の特定が必須である。
伊奘諾・伊奘冉系列の神なので、抽象神ではないと思われる。また、素戔嗚のように他界にいるわけでもないので、その本体は国土の中に具体的な「もの」として在るに違いない。だが、大国主の異名はどれも一般名詞風の名ばかりのため、検証には使えても本体を探り当てるのには役立ちそうもない。これまでの多くの神々のように、誕生の経緯から本体を絞っていくこともできない。
そこで着目したのが第一八詞章「国造り」に登場する「大物主」である。彼は大国主の「幸魂奇魂」−つまり分身−であり、奈良の大神神社の祭神であって、三輪山に鎮座していると記紀神話は記している。そして、大神神社は三輪山自体を大物主の神体として祭っている。つまり、大国主の分身の本体は三輪山である。分身が山なら、当然「本身」である大国主の本体も山だろう。
具体的にどの山かをここではまだ特定する必要はない。細部を詰めていけば、おのずと特定の山に絞られていくだろう。例えば、この詞章の最後に「麗しい男神」になったとあるので、大国主である山は当時は秀麗な山だったことになる。ここで、どう見ても「眉目秀麗」とは言えない山は候補から消えていく。
もちろんこの段階ではあくまでも山だろうという推定だった。その推定で神話の解釈をしていき、解釈に少しでも矛盾が出てきたら最初からやり直すつもりだった。だが、結果的にはやり直す必要がなかった。運もよかったことになる。
倭人の自然認識
この詞章は、大国主が最初はそれほどの神ではなかったが、徐々に頭角を現し、ついには他の兄弟の山の神−八十神−との競合に打ち勝って国の主となっていく過程を古代人なりの想像で記している。想像だけではなく、そこに太古の「事実」の反映があるのは間違いない。つまり、太古にはそれほど大した山ではなかったが、当時には国の主とされるほどの山に変わったという「歴史的事実」があり、その山の成長が山の神の成長として描かれていると解することになる。
大国主となる過程が単なる想像であっては神話になれない。必ずそうだったのだと皆に確信させるだけの積極的な根拠が必要である。だから、大国主の成長の足跡は「歴史的事実」に基づいており、その徴証が現実に残っていたと解さなければならない。
彼らの自然に対する経験は現代人よりはるかに豊富である。その経験の蓄積から得た知見は、いったいどうやって知ったのかと驚くほどのものがいくらもある。大山が白山火山帯に属することを知っていたのはすでに述べた。他にも二点挙げておこう。
まず、本州が蜻蛉の形をしていることを知っている。
伊奘冉が産んだ「大八島」の中の本州の名「大日本豊秋津洲」(『紀』の表記)の「秋津」が「蜻蛉」のことなのは、『紀』の神武天皇と雄略天皇の巻で名の由来が記されている通りである。奈良が「蜻蛉の臀部(原文は「臀■」)」だと言い(神武天皇)、「空から見た倭の国を蜻蛉の島と言う」(雄略天皇)のなら、その名は当然本州の形からの命名である。こんな重要な名が思いつきや気まぐれで命名されるはずがない。本州の形を表した名であるとき、それは「天与の現実」に基づいた名になり、神話として人々に承認される。蜻蛉の頭の部分が間違っているのが愛嬌だが、それは神話を創った倭人たちにとって東北地方が未知の地域だったことを直截に物語っている。北海道と本州が地続きで、北海道が実際よりもずっと南にあると考えていたわけではないと思う。
次に、能登半島がかつて島だったことを知っている。
伊奘冉が産んだ「大八島」の一つとして「越洲」が『紀』本文などに記されてあるが、これはおそらく能登半島を指している。伊奘冉が産んだのは原初の国土であって、現在(当時)の国土ではない。国土が誕生したときには「越洲」は島だったが、その後大国主が「国造り」をして「大日本豊秋津洲」とつなげてくれたと彼らが考えたとしても少しもおかしくはない。能登半島が島だったのは第三間氷期(一五万〜五万年前)までだというが、当時でもその徴証を確認できたのだろう。
こういう解釈の可能性は、これまでまったく顧慮されていなかった。だが、天体をあれだけ詳しく観測していた彼らが、自分たちの身近な世界への観察を怠っていたなどとは、私には到底考えられない。試論で<神話を解釈するためには、現代人ならおそらく全力を投入しない限り不可能である>と書いたのは冗談ではない。われわれが考えつくことは、すべて彼らも考えつく。われわれが知っていることは、すべて彼らも知っていた可能性がある。それを前提にして神話は解釈すべきである。そうでない限り、その意味を解き明かすことは不可能だろう。彼らが自然との交渉の中から得た多くの知見は、「倭の神話」の中に豊富に盛り込まれている。
むしろ、われわれは彼らに比べて、日本の国土について、日本の自然について、どれだけ多くのことを知っているだろうか。そのことを省みるべきなのではないだろうか。
詞章の意味
この詞章の意味は詳説するまでもないと思う。もちろん全編比喩表現ではあるが、大国主の本体が山だとわかっていれば、その比喩の意味を押さえるのはそれほど難しくはないだろう。
赤猪は溶岩、乳汁は冠雪ということになる。
赤貝姫・蛤貝姫が神皇産霊の子とされているのは、二神が治療という技術を行使するからであって、第一詞章「創世の神々」の解説で述べた高皇産霊・神皇産霊と伊奘諾・伊奘冉の役割分担に適っている。刺国若姫のような伊奘諾・伊奘冉系列の国の神はこういう技術力を持っていない。
また、天体と結び付けられれば、原作地の推定もできるかもしれない。神皇産霊の子なので、星が東方から昇ってくる様子を見立てていると思われる。
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