第一八詞章 国造り
《出典》『紀』第六の一書。ただし、叙述の順を変更した。
[詞章の解釈]
問題の所在
なぜ大国主は一人では国造りができず、少彦根の手助けを必要としたのだろうか。なぜ少彦根は国の神ではなく、高皇産霊の子(『記』では神皇産霊の子)とされ、国造りの途中で常世国に行ったとされているのだろうか。この詞章を解釈するためには避けて通れない問題だろう。互いに関連する問題でもあるが、まず前の問題から考えよう。
大国主と少彦根
『播磨国風土記』に次のような面白い記事がある。
大汝(大己貴=大国主)と小比古尼(少彦根)が「粘土をかついで遠くまで行くのと、糞をしないで遠くまで行くのと、この二つのうちどちらが容易か」で競争し、大国主が「糞をしない」方を選び、少彦根が「粘土をかつぐ」方を選んだ。数日後、大国主が我慢できずに糞をしたが、その時、少彦根は笑いながら「自分も苦しい」と言って粘土を放り投げた。
この逸話は土の匂いがして、なかなかの出来ではないだろうか。読んで、思わず微笑んでしまうところがいい‥‥だが、鑑賞するために紹介したわけではない。これが二神の仕事の性格をよく言い表しているように思えるからである。
大国主は「国を造る」上でどういう仕事ができるだろうか。神だから何でも、などと考えてはいけない。山の神格化である以上、できないことはある。
『播磨国風土記』の表現を借りれば、大国主は「糞をする」ことはできるが、「粘土をかつぐ」ことはできない。つまり、土を盛ることはできても、土を取ることはできない。干拓はできるが、浚渫はできない。大国主の神格から言って当然そういうことになる、と古代の倭人は考えたのだろう。
だから、「因幡の白兎」のような仕事には、少彦根の手助けはいらない。彼だけで十分である。しかし、「国を造る」となると、地面を掘ってくれる神は是非とも必要である。『播磨国風土記』風に言えば、大国主は「糞をする」ことが仕事であり、少彦根は「粘土を地面から掬い取る」のが仕事だということになる。
ここで、少彦根の神名の意味がわかる。「スク」は「掬(す)く・鋤(す)く・透(す)く」である。「ナ」は通説の通りで「地」あるいは「穴」。「ヒコネ」は『紀』では「ヒコナ」、『記』では「ビコナ」となっているが、これは訓訛であり、『播磨国風土記』の「ヒコネ」の方が正しいようだ。この「ヒコ」は星の神名に多用されているように「光るもの(男性詞)」、「ネ」は「根国」の「根」と同じであり、「ヒコネ」で窪地に水が溜まった状態である湖(池・沼)を表すのだろう。
少彦根が小人だとされているのは神名からの連想であって、その逆ではない。逆だとしたら、小人でなければならない理由を求められるが、誰もそれには答えられないだろう。大国主と少彦根の対比としては、凸と凹という対比こそ本質的なものであり、大と小の対比はむしろ副次的なものだと思われる。神名だけから神格を判断するのは危険だと言うのはこのためでもある。『紀』第六の一書の叙述が大国主と少彦根との国造り、少彦根の常世国行き、大物主の登場、と進んだ後で、一転して少彦根の登場の場面に戻り、小人である少彦根の描写になっているのは、それが原型成立後の付加であることをよく物語っている。少彦根を小人にすることで大国主との対比が一層際立ち、構成に劇的な鋭さが増すので、聞く者が受ける印象は強まる。この詞章は一段の磨きがかかったことになるだろう。神話が語り継がれていく間に、どの詞章にもこの種の加除が繰り返し行われたことは想像に難くない。ゆめゆめ原型がそのまま最終型になっていると考えてはいけないのである。
大物主
付加といえば、大物主の部分もこの詞章が奈良へ伝わった後で、奈良でつけ加えられたものだろう。もともと三輪山の神であった大物主を大国主の分身に仕立て上げ、少彦根の代役を負わせた上で、神社の祭神を勧請するように大物主を奈良に勧請する形をとったわけだが、これは記紀神話だけで見るなら、むしろ改悪のように思える。いかにも取って付けたような内容であり、何より大国主と大物主との二神では「国造り」ができない。
だから、大物主の部分は記紀神話だけで解釈してはいけないのだろう。『記』『紀』「人代」の巻にも大物主が登場するので、そちらとの絡みで考えない限り、大物主の意義はわからないと思われる。少彦根とは別の意味で、大物主を奈良で必要とした理由があるのかもしれない。本書では第二〇詞章「天稚彦」の解説で神話的な説明を試みてはいるが、それだけでは根拠が弱いように思える。
少彦根の出自
次の論点に移ろう。少彦根が国の神でないのはなぜか。ここまでの論考を基に推理してみよう。
この問題は、なぜ国の神では少彦根の仕事ができないと古代人は考えたのか、ということと同じである。単に湖を造るだけなら大国主だけでもできる。周りにぐるりと土を盛れば中央は窪地になり、そこに水が溜まれば湖になる。第二〇詞章「天稚彦」に登場する大国主の長子・味耜高彦根などは、そうやって生まれた神なのだろう。だから、少彦根の主要な任務は、すでにある国土を掘り削ることである。ここで、次の三通りの考え方が取れそうである。
一 伊奘冉・伊奘諾の末裔である国の神では同じく伊奘冉・伊奘諾の子である国土自体は改変できない。
二 国の神の守備範囲は海抜〇メートル以上の陸地と湖(海・川)だけであり、〇メートル未満の陸地(地下)と湖(海・川)底は管轄外である。だから、国の神では国土を〇メートル以下には掘り削れない。
三 地面を掘ることは穴を作ることであり、穴自体には形がない。つまり、穴を形作っている「もの」はあっても、穴自体は具体的な「もの」ではない。国の神は伊奘諾・伊奘冉系列の神なので、具象神であり、そこに「穴の神」は存在しない。
一.ならば、ここで話は終わりになる。これは信念であって理屈ではないから、これ以上論じても無駄だろう。ただし、現実に火山の噴火などで改変されていることは古代人も知っていたはずなので、こういう信念を持っていたとは考えにくい。
二.ならば、なかなか面白い考え方ではあるだろう。国の神に力の及ぶ範囲があることは認められるかもしれないが、それがどこまでなのか、記紀神話からでは判断できないのではないか。憶説の域を出ないと思われる。
三.だとしたら、これは大したものだと言えるだろう。われわれがこの結論に到達するためには、相当の抽象思考によって論理的に導き出すしかない。例えば、現代人でさえ一歩立ち止まらなければ、「口」という「もの」があると考えてしまうのではないだろうか。もちろん「口」は「もの」ではない。「唇」という「もの」が周りを取り囲んでいる「穴」である。だから、「口」を「もの」として取り出すことはできない。「口」自体には実体がない。ならば、「口」は形を持たない抽象的な概念である。こういう「口」の本質を彼らは見極めていたことになる。
他にも考えられるかもしれないが、本書は三.を採る。これは第一詞章「創世の神々」の解説で述べた高皇産霊・神皇産霊と伊奘冉・伊奘諾の役割の違いについての仮説にも適っている。無形の穴を作ることは、無形力の神である高皇産霊・神皇産霊系列の神でなければできない。「穴を掘る」という表現は本来は比喩だが、少彦根の仕事は文字通りの「穴掘り」になる。
ただし、倭人たちが抽象思考によってこの結論を得たとは思えない。記紀神話を読む限りでは、彼らが抽象思考を駆使していたとはどうしても考えられないのである。無形神である高皇産霊・神皇産霊も含めて、抽象神であっても、その描写はあまりに具体的である。厳密な定義に基づく推論によってではなく、感覚的に区別できたのではないかと思う。つまり直感である。第一六詞章「大国主の受難」の赤貝姫・蛤貝姫の治療行為も同様だが、少彦根の仕事は国の神ではできないと直感したのではないだろうか。
ところで、大己貴(大国主)と少彦根とが病気の治療法を定め、災いを除くためのまじないの法を定めたとあるのも、二神の協力によって可能になる。治療法やまじないの形式自体は有形なので、大国主が作る。そこに効能という無形力を持たせるのが少彦根の役目である。少彦根が「酒の神」でもあるのはこのためだろう。
少彦根を『記』では神皇産霊、『紀』では高皇産霊の子としているのは、その血統に見解の相違があったことを物語っていて興味深い。二神の分担に基づく理屈から言えば、穴を掘ることは地面の中に入り込むことだし、穴は−特に海抜に満たない穴は−まず湖や川や海の底になるだろうから、神皇産霊の方がよさそうに思える。しかし、穴は地面の上の空間だから、高皇産霊の方が正しいと言われると、そうかなという気もしてくる。どちらにせよ、神話解釈上はさして重要な事ではないだろう。
また、少彦根は高皇産霊・神皇産霊系列の神なので、天体が関わっている。その登場の場面の描写は、少彦根に見立てた星座が海面上にある様子から具体化されたものだと思われる。それならば、付加地は奈良ではなく、海に面した地域に限定されるだろう。
試論(補助解説)で触れたように、すばるを見立てているのなら、高皇産霊の子とする『紀』の場合には、付加地ではすばるが天降る西北西の方面に海が広がっている。一方、神皇産霊の子とする『記』の場合には、すばるが水平線上に昇ってくる様子を見立てているのだろうから、付加地は東北東に海がある場所になる。『紀』は少彦根の現れる場所を「出雲国の五十狭狭(稲佐)の小汀」とし、『記』は「出雲の御大(美保)の御前(岬)」としているので、その「平行移動」はどちらも正確である。
ただし、少彦根には第二詞章「国産み」に登場する蛭児の印象が重なっているようにも思えるので、あるいははくちょう座のデネブの見立てかもしれない。
少彦根と常世国
少彦根が国造りの途中で常世国に行ってしまった理由は明白である。現実にまだ断崖絶壁がいくつも残っているからであって、最後までやり終えていないのは誰が見てもわかる。神話的必然として、「少彦根は国造りの途中で常世国に行かなければならない」。
では、なぜ常世国なのか、根国でも黄泉国でもいいではないか、と突っ込んでくる人もいるだろう。これは試論に基づいて説明するしかない。
少彦根は掬い取った土をどうしたのかを考えてみよう。別の所に盛るわけにはいかない。土を盛るのは大国主の仕事であって、少彦根は土を掬い取ることしかできない。彼は有形物を作れないからである。それならば、掬い取った土は「逆転した国」である常世国に持って行くしかない。何より、彼自身がわれわれの住む世界とは「逆転」した存在である。だから、少彦根が行くとしたら常世国しかない。このように考えるのが神話的思考なのではないだろうか。単に地面を掘って穴を作り、その土を脇に盛るというのでは、人間業であって、神業ではない。大国主は土を盛るだけ、少彦根は穴を掘るだけ、それが二神の役割分担である。
それなら、古代人はなぜそんなまだるっこいことを考えたのか。国の神として「土を移動させる神」を考案すれば済む話だと思うかもしれない。だが、それだと彼らの現実認識に合わなくなってしまう。盛られた土の方が掬い取られた土より明らかに多い−『播磨国風土記』で、大国主が少彦根より先に「糞をする」所以である−。その上、掬い取られた土が他の所に盛られた形跡もない。