第二二詞章 国譲り
《出典》『紀』第二の一書
[国譲り神話の位置付け]
武甕槌と経津主はなぜ国譲り交渉に成功したのだろうか。
もちろん「三度目の正直」だからではない。三度目になったのは、交渉に失敗した星の神が二神あると倭人たちが考えていたためである。前二回の失敗譚は火星の神・天穂日とミラ星の神・天稚彦の不思議な変光を交渉の失敗という原因に求めた起源神話である。
だから、ミラ星の変光を発見できなかったなら、あるいは火星の光度変化の起源を交渉の失敗として構想できなかったなら、国譲り交渉は一度目か二度目に成功していたことになる。逆に、他にもおかしな光度変化をする星を倭人たちが発見していたなら、交渉は四度目に成功したとされていただろう。
三種類の国譲り神話の中で、最初にその原型が成立したのは成功神話である。そして、国譲り神話の構想が立てられた段階で、すでに武甕槌と経津主が交渉に成功することになっていた。いや、武甕槌と経津主がいたからこそ、国譲り神話の構想は立てられた。
高天原の神々の中で武甕槌と経津主以上の強力な神はいない。地上に剣を突き刺したように見える彗星の神・武甕槌や天の一点から地上めがけて矢が降り注ぐように見える流星群の神・経津主はいかにも威力がある。大地を威圧するその彗星と流星群を目の当たりにしたとき、倭人たちは考えたことだろう。なぜ尾を垂直に出す彗星があるのか、なぜ地上に降り注ぐ流星群があるのか、なぜあんなに強力な星の神が地上に降りてくるのか。
その起源を考え抜いた末に、彼らはそこに「必然の鎖」を発見した。それが「国譲り」である。
きっと「国譲り」があったのだ。その後で「天孫降臨」があったのだ。倭人たちはそう確信したのである。
それは素晴らしい発見だった。その発見によって、それまで別々に発展してきた大国主神話と天孫降臨神話が「必然の鎖」で繋がれた。また、それによって「倭の神話」の全神話が一つの主題の下に貫かれることになった。
だから、「倭の神話」の基本体系が成立したのはこの時である。高天原神話、素戔嗚神話、大国主神話、天孫降臨神話、この四つの神話群を国譲り神話が一本に連接した。その時代は、第一二詞章「天岩屋」の解説で述べたように、おそらく弥生時代である。
その後、どの神話群も内容を充実させ、新たな神話の創作も行われたが、基本体系はそのまま維持されていく。いや、より錬磨され、彫琢されて強固な鎖となり、体系は揺るぎないものになっていく。
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