第二六詞章 猿田彦
《出典》『紀』第一の一書を基に、『紀』本文、『紀』第四の一書で降臨の場面を補った。
 
[詞章の説明]
 
  猿田彦と天浮橋
 猿田彦は虹の神格化だろう。有形物としての虹が天浮橋であり、その神格化が猿田彦である。『記』は例によってどちらも登場させているが、『紀』では天浮橋を通って火瓊瓊杵が降臨している本文と第四の一書には猿田彦は登場しない。一方、猿田彦が登場する第一の一書では天孫降臨の場面に天浮橋の記載がない。天浮橋が古型であり、猿田彦が最終型である。その中間の型が第二の一書で、そこでは猿田彦は「岐神」(分かれ道の神)と記されているだけで神名の表記がなく、具体的な活動もしていない。また、天浮橋も記載がない。このように、第二の一書は天浮橋が猿田彦に変わる過渡期の形式をそのまま保持している。神話の発展を考究する絶好の題材だと言えるだろう。
 また、猿田彦ばかりではなく、『紀』の四種類の異伝は「天孫降臨神話」がその内容をどう充実させていったかを見事に示している。本文が最古型、次が第四の一書、次が第二の一書、そして第一の一書が最終型である。これほど明確に発展の跡がわかる神話は他にない。他の神話と対応させられれば、「倭の神話」の最終型より以前の体系までわかるかもしれない。
 『紀』「神代」の巻の神話としての信頼性は特記されるに十分値する。固有名詞の表記はあまりあてにならないが、内容に関しては意味の掴めないものがあっても極力余計な手は加えず、原典を忠実に伝えようという苦心が随所にうかがえる。本文以外の異伝も重複部分の省略などしないで全文を収録してくれたらもっとありがたかったのだが、それでも、『紀』の筆録者たちのこういう真率さがあったからこそ、「倭の神話」は復元できると言っていい。「語られる神話」を初めて書き記した『国記』の筆録者の天才ぶりとともに、その筆録姿勢には称揚を惜しむべきではないだろう。
 
  天鈿女と猿田彦
 ところで、われわれは天鈿女と猿田彦を同時に見ることはできない。それは古代人も同様のはずである。だから、両者がにらめっこをする様は、昼と夜の二つの現象を重ね合わせて構想されているとしか考えられない。天鈿女の頭にあたるおおぐま座のムスキダ(ο星)がちょうど虹の弧の頂点と同じ高さにくることから、その構想は立てられたのだろう。猿田彦と猿女君のどちらの名が先なのかはわからないが、いずれにせよそれほど古いことではないと思われる。
 それにしても、猿田彦が天の八本の分かれ道(ヤチマタ)の神になっているのはどういうことだろうか。倭人たちは虹を八色だと認識していたのだろうか。それとも単に色が多いという意味なのだろうか。欧米の虹は通常六色らしいが(藍色が抜けている)、古代の虹は八色だったのかもしれない。


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さるたひこ

さるたひこ あまのうきはし

ふなとのかみ

あまのうずめ

さるめのきみ