終 章
第二七詞章 木花開耶姫
《出典》『紀』第二の一書を基に、『紀』第三の一書、『紀』本文で一部補った。
[詞章の説明]
『紀』のこの詞章は火瓊瓊杵を「人間の祖」とし、その神格を「火を司る神」と解したときにのみ意味が通る。それ以外のどんな解釈でも、この詞章の意味を天孫降臨神話と矛盾せずに説明することはできないだろう。
この詞章の死(魄の死)の起源神話を、『記』は天皇の命が短いことの起源神話に矮小化しているが、それは天武・持統朝が「倭の神話」をどう誤解したかを端的に語っている。また、それは天武・持統朝ではすでに「倭の神話」の意味だけでなく、その神の概念も失われていたことを示している。神仏習合はもうかなり進んでいるのだろう。
何より、人間そのものを神として考えること自体が、仏教によって神の居場所がなくなってしまったために生じた神仏習合の結果である。「倭の神話」では、いかなる物質であっても、物質そのものが神になっていることはないように、いかなる人間であっても、人間そのものが神になることはない。人間を形作っている「もの」は、決して神にはなれないのである。
だから、『紀』「人代」の巻に出てくる「現人神」という言葉は、まず間違いなく一九四五年以前に用いられていたような、人=神という意味ではない。それはあくまでも「現人神」であって、「現神人」と言い換えられるものではない。
[「倭の神話」の普遍性]
仏教はすべての人間に「仏性」があると説く。「倭の神話」はすべての人間に「神性」があると語る。仏教でいう「仏性」は人間に内在するものだが、「倭の神話」でいう「神性」が人間に内在するものなのか、あるいは人間を包み込むものなのかはまだわからない。だが、この点で仏教と「倭の神話」にそれほどの隔たりがあるとは思えない。
われわれはもうその「仏性」「神性」とは何なのかを知ることができるだろう。本書の言い方をすれば、それは「必然性」である。現代風の表現をすれば、「普遍性」である。もちろん、それは現代人が観念的に考えているような意味での「人間の普遍性」ではない。古代人自らが発見した「普遍性」である。
第一二詞章「天岩屋」の解説で、「倭の神話」が死んだのはその世界観が倭という小世界を語るのにあまりに完璧だったからだと書いた。そのことは、逆に言えば仏教やキリスト教がなぜ現代にまで存続し得たのかという理由にもなる。それは、皮肉なことに、仏教もキリスト教もあまりに貧弱な世界観しか持っていなかったからである。
仏教は世界の形成には一切触れない。人間の置かれている現実から出発し、徹底して人間を追究している。そして、人間の側から周囲の世界を捉えている。一方、キリスト教は旧約聖書の冒頭部分で世界の形成を簡単に述べるにとどまる。聖書の大部分は「人間の神話」である。どちらも人間の追究に力を注ぎ、その救済を説いた。だからこそ、それらは世界宗教としての普遍性を獲得できた。
これに対して、「倭の神話」の内容は、聖書で言えば旧約聖書の創世記の第一章だけである。つまり、アダムとイブの誕生までである。いや、おそらくまだアダムとイブさえ誕生していない。倭人たちは彼らの全能力を注ぎ込んで人間と世界のすべてを説明付けようとした。だからこそ、「倭の神話」は七世紀に滅びることになった。
しかし、「倭の神話」の中で世界に通用するだけの普遍性を欠いているのは、地上世界が狭い範囲に限定されているという、その具体的な内容だけではないだろうか。神の捉え方やそこで語られている人間観は、仏教やキリスト教と比べても何ら遜色のない深さを持っていると私には思える。「倭の神話」の人間観は、仏教に汎仏論があり、キリスト教に汎神論があるように、ちょうど仏教とキリスト教の橋渡しをする位置にある。あるいは、それは人間には精神的な面でも時代も地域も民族も超えた「普遍性」があることを証明してくれるものになるかもしれない。
[筑紫神話]
記紀神話ではこの後、筑紫(日向)を舞台とする「筑紫神話(日向神話)」−いわゆる海幸山幸の神話など−が続くが、本書はこの詞章が最終章なので、ここで筑紫神話について少し説明しておきたい。
筑紫神話は、おそらく星座を見立てとして使っている。天孫降臨の地が西南西の方角にあることから、これまであまり重要な役割を果たしていなかった南方の星座が使われているようである。さそり座、いて座あたりが主役ではないかと考えている。
事勝国勝長狭は伊奘諾の子であり、亦の名が塩土老翁となっていることからも、星の神であることは確実だと思われる−「ツツ」は星の古名−。中国で「南極老人星」と呼ばれているりゅうこつ座のカノープス(α星)、みなみのうお座のフォーマルハウト(α星)、さそり座のアンタレス(α星)のいずれかではないだろうか。
本書は筑紫神話の神話的解釈を行っていないので、それ以上はわからない。いや、その解釈ができない。火瓊瓊杵の子の三神の神格を区別できないからである。三神の違いがわからなければ、その段階で「必然の鎖」が切れてしまう。だから、解釈できない。おそらく神話が生きていた当時の時代背景が解明されない限り、三神の違いを明確にはできないだろう。神話を創った倭人たちが彦火火出見(火遠理)以外の系列の氏族(隼人等と尾張連等)をどう捉えていたかにかかっているのだとは思う。当時の人々には自明のことなのだろうが、現在ではそれを証明することは困難ではないだろうか。あるいは「造作」があるかもしれないが、それは何とも言えない。
だから、本書が記紀神話はほとんど「倭の神話」そのものだと主張できるのは天孫降臨神話までである。筑紫神話については、それまでの叙述の流れからして、おそらく「倭の神話」なのだろうという類推ができるだけである。
[「神代」と「人代」との関係]
「神代」と「人代」
本書は記紀神話を論題としているので、『記』『紀』「人代」の巻は範囲外だが、「神代」と「人代」との関係は触れておく必要があるだろう。
第一二詞章「天岩屋」の解説で述べたように、本書の立場からすれば、神武天皇から続く「人代」の巻も天武・持統朝以後の恣意的な改変はほとんどなく、初期の天皇については、推古朝で筆録された『天皇記』『国記』の内容がそれほど大きな違いもなく『記』『紀』に転載されていると解することになる。
「神代」は神話であり、「人代」は古い時代のものほど歴史伝説が多くなっていると思われる。歴史伝説ならば、それは原則として人間同士の関係なので、そこで問題になるのは個性である。「人間の普遍性=人間霊」というのは、自然との関係でしか意味をなさない。だから、「神代」と「人代」とでは話の次元が異なっている。
その上、『紀』神武天皇即位前紀には「天祖の降跡りましてより以逮、今に百七十九万二千四百七十餘歳」と記してあり、天孫降臨から神武天皇までの間に時間的な懸隔を置いている。また、「天孫降臨の地」は神話的空間であり、「神武東征」後の奈良は現実の空間である。だから、「神代」と「人代」とでは時間も空間もその意義が異なっている。
これらから考えるなら、両者は本来切り離して取り扱うべきものなのだろう。
ところが、『記』『紀』は神武天皇で両者を接合しているので、話が難しくなってくる。このため、神武天皇は「神代」とも関係し、とりわけ「神武東征」は問題が大きい。天武・持統朝が天孫降臨神話の意義を誤解したのも、神武天皇が火瓊瓊杵から一系で繋がっていたからでもあると思われる。もっとも、火瓊瓊杵が「人間の祖」なら、「天皇の祖」でもあるので、一系で繋がるのは当然である。また、火瓊瓊杵の子の三神が火瓊瓊杵の神格と天壌無窮の神勅とを等しく受け継ぐのも当然なのだが、そこまで考えなかったのだろう。
神武東征
さて、「神武東征」を『記』と『紀』で比べると、『紀』の方が相当残酷である。『記』は血腥さをかなり和らげて描いてあるので、これが天武・持統朝の「脚色」だと思われる。だから、「神武東征」の話は『紀』の内容に近いものが推古朝以前に成立しており、『天皇記』か『国記』にも記録されていたと考えられる。
だが、これが「神話」なのか「歴史伝説」なのかはよくわからない。両者の要素が入り交じっているようでもあるし、民族の移動や文化の伝来といった古い時代の記憶の反映もあるかもしれない。いずれにせよ、六世紀には神武天皇で「神代=神話的時空間」と「人代=歴史的時空間」とを接合し、そこで「人間の祖」から「天皇」への切り替えを行っていたのではないだろうか。第二代綏靖天皇から第九代開化天皇までは事跡が何も記されておらず、系譜しか載っていない(いわゆる「欠史八代」)のも、これと関連した理由があるように思える。
ただし、第一二詞章「天岩屋」の解説でも述べたように、たとえ「天皇」の意義を確定できたとしても、六世紀の倭人が「神武東征」をどう受け取っていたかを知るのは、現在では至難だと思われる。「筑紫神話」の解釈よりももっと難しいのではないだろうか。
[本書の解釈の問題点]
ここで、本書の解釈の最大の問題点を挙げておくべきだろう。
それは、「生命」や「心」の源泉として倭人たちが何を考えていたのかについて、曖昧さを残したことである。「天孫」とは高皇産霊の孫であるだけではなく、天御中主の孫でもあるという可能性は捨てきれない。天御中主、高皇産霊・神皇産霊、伊奘諾・伊奘冉、この三組はどう違うのか、それぞれが究極的に担う意義は何なのか、そのぎりぎりの部分の解明は今後に持ち越される。また、それが解明されない限り、北極星=天足彦=天皇霊の意義も正確には掴めないだろう。
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