天孫降臨神話(第二六詞章「猿田彦」まで)
第二四詞章 火瓊瓊杵
《出典》『紀』第一の一書、『紀』第二の一書を基に、前後の詞章と命令神を合わせるために一部改変した。
[天孫降臨神話の意義]
この詞章から、いよいよ「倭の神話」は天孫降臨へと収斂する。第一八詞章「国造り」までで「国」の外部条件も内部条件もすべて完成し、前詞章までで「国譲り」も受けたので、条件はすべて整った。
では、それは何の条件なのだろうか。「倭の神話」から言えば、もちろん天孫降臨のための条件なのだが、では、その天孫降臨とは現実の何を意味しているのだろうか。現実の何の条件が前詞章までですべて整ったのだろうか。
天孫・火瓊瓊杵が「天皇の祖」であるという、これまで誰もが疑わなかったその「常識」も、ここでわれわれは疑うことになる。
われわれはここまで、「倭の神話」を叙述の順を追って辿ってきた。「倭の神話」は、初めに世界の創始を語り、ついで世界がいかにして形成されていったかを大外枠から順に、徐々に枠を狭めて語る。まず天体を語り、次に気象を語り、次に地理を語る。そこで、現実世界は完成する。その後で、「国譲り」を語り、「天孫降臨」を語る。その叙述は何の淀みもない一本の流れをなしている。
また、われわれは個々の神話がすべて「必然」として語られていることも知った。どの神話も、その結果は現実の事象として存在し、その現実に至る過程が「必然の連鎖」によって語られている。
その上、われわれはどの神話も前後の神話と固く繋がれていることも知った。神話どうしが有機的に結びつき、決して切り離せない関係となって体系を形作っている。
それならば、「倭の神話」は、実はすべての神話が「必然の連鎖」によって繋がれ、揺るぎない体系をなしていることになる。その結果、個々の神話だけでなく、「倭の神話」それ自体も一つの主題を持った作品として存在していることになる。
それでは、「天孫降臨」の意義をその必然の流れの中で考えてみよう。また、富士山の神・大国主から「国譲り」を受け、新たな国の主として降臨するにふさわしいものは何なのかも考えてみよう。そのとき、われわれはただ一つの結論しか導き出せないはずである。
「天孫降臨神話」とは国家に君臨する支配者が天降る神話ではない。天孫・火瓊瓊杵は「天皇の祖」ではない。だいいち、まだ地上世界に人間は一人も存在していない。そこに「天皇の祖」が天降ることにどういう意義があるのだろうか。
ここで、われわれは「倭の神話」の全体系からくる必然の流れの結論として、そして合理的に考え得る唯一の結論として、「天孫降臨神話」の意義を確定することができる。
「天孫降臨神話」とは、「人類誕生神話」である。
だから、「倭の神話」は前詞章までとこの詞章以後とは性格が少々異なる。いわば、前詞章までが「神の神話」であり、この詞章から「人間の神話」へと移行する。
「神の神話」の内容はすべて現実の中に目に見える事象として存在している。「神の神話」はその「天与の現実」を神々の行為の結果として、必然の話の展開によって説明付ける。これに対して、「人間の神話」の内容は周囲の現実の中には存在していない。それは人間の現実として存在している。つまり、「人間の神話」とは、人間がなぜ現在のように存在しているのかを必然の話の展開によって説明するものである。だから、われわれは火瓊瓊杵の姿を見ることはできない。見ることができるのは、火瓊瓊杵からの必然の話の展開の結果である現在の「人間」だけである。
ただし、「倭の神話」では、おそらく天孫・火瓊瓊杵は「人間の祖」ではあっても「人間」ではない。現在のような「人間」が誕生するのは、まだ先の話である。
[詞章の説明]
火瓊瓊杵の神格
それでは、火瓊瓊杵の神格を考察しよう。
まず、第一四詞章「八岐大蛇」の解説で検討した「草薙剣」の正体を特定する必要がある。
そこで挙げた条件を簡単にまとめれば、「草薙剣」とは、溶岩流から生まれ、雨を蒸発させ、雲を群がらせ、風を呼び、太陽と似た性質を持つものである。
また、『紀』の日本武尊(倭建命)東征説話では、火攻めに遭った日本武尊は燧石で火を打ち出し、これを迎え火にして難を逃れる。この話を比喩風に言えば、『紀』が一に云うと記すように、草薙剣が自ら抜けてそばの草を薙ぎ払う、となる。つまり、日本武尊は火を剣にして自らの苦境を切り抜ける。
ここで、その正体として考えられるものはもはや一つしかない。「草薙剣」とは「火」である。
火瓊瓊杵はその「草薙剣」を携えて降臨する。それならば、火瓊瓊杵の神格もほぼ確定する。火を自らの至上の剣とする神である。つまり、火を意のままに使いこなす神である。
そこで、本書では火瓊瓊杵の神格を以後「火を司る神」と表すことにする。
火瓊瓊杵の親子関係
次に、親子関係を考えてみたい。
火瓊瓊杵の母である万幡姫の本体がわからないとどうにもならないので、最初にこれを検討しよう。
高皇産霊の子なので、無形力の神であり、星座の神である。金星の神と結婚しているので、その星座は金星と重なることがある。つまり、金星と食を起こす星座である。それならば、その星座は黄道付近にある。また、万幡姫は機織りの神のようであり、第二〇詞章「天稚彦」に出てくる歌なども考えあわせるなら、その星座はおそらくすばるである。だから、天孫降臨神話の構想は、すばるが金星と食を起こしている状態を基にして立てられている。
そうすると、すばるは有形物として御統の玉、有形力の神として穀物神、無形力の神として万幡姫と少彦根、見立てとして天稚彦ほか幾度も登場するので、「倭の神話」では八面六臂の大活躍をしている。そして、この後もまだまだ活躍する。
一方、火瓊瓊杵の父は金星の神・天忍穂である。日神・天照の長子であり、全天で最も明るい星の神でもある。火を司る神の父として、これ以上ふさわしい星の神はいない。
だから、火を司る神・火瓊瓊杵は父からは有形力を、母からは無形力を受け継ぎ、すばるが有する多くの性質をその性格に併せ持って、有形力と無形力とを兼ね備えた生命神として降臨する。単一の神格しか持たない随伴神とは、格が違う。
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