第3章 お ど


ルシフェルよ
おしえておくれ
ぼくの始まりはいつだ


    隅

ぼくは
喫茶店に入ると
たいてい隅の席にすわります

隅で
壁をにらみつけたり
窓の外をとおる人の顔をながめたり
本を読んだり
ひとりごとを言ったりします
ノートに字をかいたり
そしてときには
いねむりしたりします

隅に座ると
ぐるっとその部屋の全体がみわたせます
そして逆に
なにも見えなくなります

隅は
一人でいるようで
じつは
たくさんといっしょにいるのです

ぼくは
喫茶店に入ると
たいてい隅の席にすわります

隅に居ると
ほんとにおちつきます
でも隅は
逃避であってはいけないのです
むしろ
ひとりへの攻撃だと
考えたりします

隅は
行きづまりのようで
じつは
出発点なのです


    坂のある街

冬の日のおだやかな夕暮れの
しだいに暗さと傾斜を増していく坂道は
まるで自分が持ち上げられていく感じで登っていくと
オハイオ州の海辺の道路に似て
両側にならぶ異人館の
奇妙なカタカナの表札とともに
私を異様な興奮で包む
          やかた
明かりのともった館を背にして
うしろ向きに登ると
いままで上層部しか見えなかったほそ長い街の夜景が
一すじごとにふくらんでいくのがわかる

歴史の流れがいつからか止まってしまっているかのように
古さも新しさもみせない
この坂のある街は
私にとってはすごく新鮮だ

疲れたような轟音を出して通りすぎていくタクシーは
すぐに坂の終わりがあることを示すかのように
こんどは軽い吐息でまい下りてくる
はたして
カナディアン・スクールの
広い運動場と体育館のある台地に出る
もうそこには
昼の間
いろいろなことばで話していた子供たちの姿はない

もうここまで登りつめると
さきほどの細長い街の夜景は
いっそうその幅と長さを増していて
全体の姿を見せてくれる

ゆっくりと左の無限点へ
そして逆に右の無限点へながめていくと
しだいに私は
なつかしさがこみ上げてくるのを感じる

私の生まれた街でも育った街でもないのに
このほそながい街は
いつも私をやさしくつつんでくれた
いま
私の見ているのは
よそよそしくつめたい街である
私は
たださびしくなって
何と呼びかけたらよいのかわからない

この坂のある街は
私の生きてきた時間を
一挙に凝縮してしまった

    ※

かつて
なんとあこがれをもって
この街にやってきたことであろう
かつて
なんと希望と情熱に胸をふくらましていたであろう

いま
すでにさめてしまった私には
ただ冷たくあしらうような街の夜景が
さらされているだけである

しかし私は
この街が私に傷を残しただけだとは
思いたくない
私は
いまも待っているような気がする
じっと静かに

私は
こんなにも拒絶する街を
いったいいつまで
ながめつづけていくのであろう

    ※

登るときはあんなにも時間疲労をかけた坂道は
下りるときはこんなにもあっという間だというのに
私の眺めているのは
急な登り坂と
ほそながい街の冷たい夜景だけだ


    たび だち
    出 発

わからなくなったら
とぎれてしまったら
すてよう
すてよう
そして
初めをさがそう


    やや風変わりな

ぼくはおどおど
いつもおどおど
こえをだしても
ペンをもっても
おどおどおどおど

なにもしないのにおどおど
うたをうたってもおどおど
へやのなかでは
いつもおどおど

こんなにぼくが
どうしておどおど
なにかができても
やっぱりおどおど

おどおど
おどおど
おどおど
おどおど

いつかきっと
きっといつか

おどおど
おどおど
おどおど
おどおど

おどおど
おどおど
おどおど
おどおど
おどおど
おどおど

おどおど