以前に書いたかもしれませんが、子供の頃10年半ほど名古屋に住んでいました。もうすぐ学生の身分も終わるため、動けるうちに行っておこう。ということで行ってきました。実に7年ぶりくらいです。

1日目

名古屋駅 駅ホームできしめん 名古屋へ信越線と中央西線で向かいます。しなのに乗るのは実に7年ぶりです。 制御振り子を堪能しているとあっという間に名古屋です。ついにこの地を踏むことができたっ(感激)。

名古屋駅でやることと言えば、駅ホームでのきしめんです。これは外せませんw きしめん懐かしい。そして大名古屋ビルジングとナナちゃん人形も健在w これを見ると名古屋という感じがします。

この日は住んでいた周辺を廻ることにします。地下鉄で最寄の駅へ。なんか小奇麗になった気もしますが、基本的には10年前と全く変わらず。
この駅から少し歩いたところには毎月通った病院があったので行ってみることに。しかしそこにあったのは懐かしい病院ではなく、ショッピングセンター...???
一体何があったというのか。7階建てくらいの大きな病院だったので無くなるのは考えにくいだけに目の前の光景を理解できません。
南方貨物線六番町付近 近所の喫茶店で聞いてみると4年前に変わったとのこと。4年前に一体何が...。近くにある南方貨物線の跡が哀しさを誘います。

(後日わかったのですが、ただ単に移転しただけのようです。びっくりした。)

消沈しつつバスでかつての最寄バス停へ。周辺は基本的には変わっていないものの、細かい変化は多く見られます。それでも以前と変わらない光景を見つけると、一気にその頃へ気持ちがタイムスリップします。

また、14年前くらいからやっているたこ焼き屋が健在なことも収穫でした。味も昔を思い出す味で、思わず店の人と話し込んでしまいました。

続いてバスで、ミニ四駆のために毎週通った店へ。既に4年前に閉店してしまったという情報は得ていたのですが、それでもこの目で見なければ信じられません。
行ってみると、そこは民家になっていました。・・・悲しすぎます。
かつて皆で店のコースに集まって競ったものです。ベアリングを駆使し、プラスチックをくりぬき、FRPを切り出し...。高速プラレールもここで身に付けた技術で作られています。

この光景を見た瞬間、私の中で何かが終わった気がしました。もうここには還るべき場所は無いんだ...。

荒子駅から見る機関車 すぐ近くをDD51が通過 気を取り直してバスで移動。あおなみ線荒子駅へ向かいます。あおなみ線は以前は西名古屋港線(西臨港線)という貨物線で、途中まで高架にあり、最も身近にありながら最も謎に包まれた鉄道でした。その正体がついに明らかになりました。

現在でも途中まで貨物が運行されており、ヤードは動きが活発です。ホームから普通にDD51やND552(DD13モドキ)が見られるのは楽しいです。

あおなみ線を金城ふ頭まで乗ってそのまま名古屋駅へトンボ帰り。その後は豊楽さんと河童海老仙さんとともに呑みへw いろんな話をしつつこの日は終了です。

2日目

マウンテン看板 マウンテン 名古屋と言えばマウンテンです。途中の道で豊楽さんと合流し、到着。数々の伝説を伝え聞くマウンテン、ついに来てしまいました。


まずは紅茶で様子見。三浦さんが合流したところで突撃します。

三浦さんは「うどん風カレースパ」、豊楽さんは「ミニハンバーグカレー」、私は「小倉トースト」で逝きます。


うどん風カレースパ 小倉トースト と、三浦さんが何やら注文を...「ハリケーントースト」??? 名前からしてヤバそうです。

恐怖のハリケーントースト
量はそれほどでもない(それでも少食な私には多かったですが)のですが、最もヤバかったのはハリケーントーストです。
少し舐めるだけで口の中が燃え上がります。もうハァハァせずにはいられません。ハリケーンたんハァハァ。萌えるトースト...いや燃えるトーストです。

結局ハリケーントーストは3個を三浦さんが、1個を私が食べました。3個食べた三浦さんはお腹とお尻までハリケーンでした。ともかく、どうにか登頂です。いきなり激しい登山でした。

それにしても、登山客は県外ナンバーが多いです。岐阜とかはともかく、徳島って...。

登頂後は豊楽さんと別れ、赤池にあるレトロ電車館へ。


市電の運転台 初代黄電 市電が走っていた頃は私は生まれていませんでしたが、随分広い範囲を走っていたようです。なんだか信じられません。
そして市電の運転台に速度計が無い?速度計が必要な速度で走らないということかな。
そして名古屋の地下鉄といえば黄電ですよ。黄電がいなくなって久しいですが、私の中ではそれが信じられません。
非冷房で窓が開いて地下鉄特有の騒音を響かせてこそ東山線、名城線です(ぇ


昼からは河童海老仙さんと合流して乗り鉄ツアーへ。栄町から名鉄瀬戸線へ。

パタパタ パタパタが生き残っているのがいいですね。そして新製車体の釣り掛け電車。さすが名鉄です。

栄町→(瀬戸線)→八草→(愛知環状鉄道)→勝川→(城北線)→枇杷島→(東海道線)→名古屋

それにしても城北線は大丈夫なんだろうか...。

名古屋で奥羽さんと合流。東急ハンズや大須で買い物。
別に名古屋に買い物に来たわけではないのですが、買いたかった物が色々見つかるのでついつい買い込んでしまいますw 普通に物が買えるっていいなぁ。


夕方になったところで奥羽さんは離脱。しかし夕方には不思議な感覚がありました。

「そろそろ夕方だから(住んでいた)家に帰らなきゃ。」

すっかり心は10年前にタイムスリップしています。


日が傾いた頃に河童海老仙さん、三浦さんと3人で再び山の頂を目指します。

甘口メロンパン風スパ マウンテンに来たからには!ということで甘口メロンパン風スパに挑戦。目の前にしてみると...うーんでかい。
まずは一口。....お、結構美味しいじゃないか。これなら楽勝♪

と思った私が愚かでした。

しばらく食べると、だんだんフォークが進まなくなってきます。なんとか手を動かしても、口が拒否するのです。
甘いものはいくらでも食べられる。そう思っていた時期が僕にもありました(AA略
半分ちょっと食べたところで撃沈、遭難ですorz
どう見てもロケットパンチです 結局河童海老仙さんと三浦さんに助けていただきました。ご迷惑おかけしました。

スパはともかく、圧巻なのがカキ氷です。これを崩さずに完食するのは至難の技ですが、三浦さんの的確なアドバイスのおかげで無事完食できました。ありがとうございます。

帰りのいりなか駅入り口にはこんな張り紙があります。

どう見てもロケットパンチ注意にしか見えませんw

メロンパン風スパに打ちのめされつつ2日目は終了です。

3日目

この日は朝8時にマウンテン集合...のはずでしたが、いきなり寝坊してしまいました。ごめんなさい。

1時間ほど遅刻してマウンテンへ行くと、河童海老仙さん、90さん、奥羽さんが戦っておりました。私はもう無茶をせず、イカスミジュースで済ませます。
甘口キウイスパを少しもらってお腹を満たしますが、少しで十分ですw

この日も乗り鉄ツアーということで、藤が丘へ。ここからリニモに乗るのです。

と、ここで親から電話が入りました。なんじゃらほい と出てみると、
「おい、大丈夫か」
「え?何が」

ここで新潟県中越沖地震が起こったことを知りました。ということで私自身揺れは食らっていませんでした。ぁぁ、石を投げないで。
しかし電車は止まっていることでしょう。このままでは帰れません。どうしよう。

リニモ オロオロしていても仕方が無いので乗り鉄を続けます。リニモへGO。終点まで往復してみます。

さすがに振動も騒音も小さいです。急カーブや鉄道ではありえないくらいの急勾配もスイスイ走るのが印象的でした。このあたりはさすがです。
しかし乗客の数は...大丈夫なんだろうか。

移動中も情報を集めます。奥羽さんのPCをはじめ情報機器が活躍します。このあたりで在来線は諦めムード。
随所で休憩を兼ねて情報を集めますが、このあたりで青梅川の土砂崩れの情報が入ってきました。在来線は完全に塞がれました。

ここで選択肢は2つ。東京周りで新幹線か、中部国際空港から飛行機か。飛行機の場合は翌日まで待たないと席が無い状態。新幹線はこの時点では復旧していませんでした。

飛行機は金がかかる。ということで新幹線が復旧することに望みを託して新幹線で行くことにします。
これは新幹線を使わせることで金を搾取する火災の陰謀に違いない!くそう。

しかしいつ復旧するかはわかりませんので夕方まで様子を見ることにします。この時間を使ってもう一度あおなみ線へ。

中島駅 新旧境界 あおなみ線の中島駅で下車します。かつて住んでいた場所に最も近い駅です。この場所がこんなに開けているだなんて信じられません。
そして国道をまたぐ橋に架線が張っています。これまた信じられないw

ここから競馬場駅方面に向かって歩いてみます。もともとあった高架を一部流用して建設されたため、流用部分と新設部分の境界がはっきりとわかります。


そしてここには未成線に終わった南方貨物線の跡が残っています。ここから分岐し、笠寺駅付近で合流するはずでした。しかし周辺の反対や国鉄末期の凍結を食らい、8割〜9割完成したところで中止、そのまま20年ほど放置されました。結局日の目を見ることなく撤去されてしまう悲運の路線です。

南方貨物線跡 廃墟 貨物を通すために作られたため高架は異様に頑丈にできています。撤去にも建設と同程度の金がかかってしまうようです。
河童海老仙さんの言葉ですが、ほとんどラピュタです。いい具合に廃墟です。残っている高架もそう遠くないうちに撤去されるでしょう。

結局そのまま競馬場駅まで歩いてここから乗車、名古屋駅へ戻ります。
名古屋駅でも情報を集めつつ様子見。やはり在来線は絶望的な状況でした。しかし しなの は松本まで動くということで90さんは予定通り しなの とスーパーあずさの振り子コンボで戻ることに。

もうラピュタ状態 さらに廃墟 5時になったところで行動開始。東海道新幹線で東京へ。東海道に乗るのは実に17年ぶりです。と、時刻表を見るとちょうどいい時間に500系のぞみが! 思わずときめいちゃいましたw
まさかこんなところで500系に乗れるとは。一気にルンルン気分ですw 写真は失敗したので無しorz

一気に東京に到着。ここで駅員さんに運転状況を聞いてみると、上越新幹線は翌日まで動きませんとの回答(後になって動いたわけですが)。これはだめか...ということで東京で一泊することに。

ここで上様に電話。事情は既に河童海老仙さんが伝えてくれていたそうで、宿泊を了承していただけました。今回は各方面にお世話になりっぱなしです。
ということで上様宅でリカーズ・ブート・キャンプにキャンプインw とはいっても私は控え目...。専用のリカーボックス(?)に一式揃えているのには驚きました。そして鉄道グッズ、鉄道本を見せていただいたり、レイアウトを見せていただいたり。楽しい時間をありがとうございました。部屋が綺麗に整頓されているのが印象的でした。

そんなわけで波乱万丈の3日間を終えました。いろいろあり過ぎて夢のような3日間でした。
今回は本当に多くの方にお世話になりました。本当にありがとうございました。

なお、翌日は全く難なく帰宅できました。しかし突然の新幹線で懐が寒いorz
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2007/7/27記