眠ってしまったのか。
目覚めた瞬間、自分がどこにいるのかわからなくて混乱した。しかし、横を向くと闇を通して
至近距離に彼の寝顔が見えたので、すぐに思い出した。
彼の腕がいつの間にか、私の首の下に回っていた。白い寝顔は軽く口を結び、長い睫毛は
闇の中でも濃い。
とても嬉しくなった。
無防備な寝顔を見せてくれることが、胸が痛いほどに嬉しい。
股間が微かに痛かゆくて、私の中に彼が入ってきたことが事実だと実感できることも嬉しい。
おこさないように、触れないように、彼の頬に自分の頬を寄せる。体温と、寝息。
温かくて、泣きそうになる。
波立った胸を押さえながら、確かベッドの右側の壁に時計がかけてあったはずなので、そちらに
目をこらす。月明かりでは、時計の輪郭しかわからない。
思わず頸を伸ばすと、
「…何時?」彼のかすれた声が訊いた。
「あ、ごめん、起こしちゃった」
彼の腕が伸びて、ベッドサイドの背の高いスタンド・ライトをつけた。
眩しくて目がくらんだが、時計を見上げると3時半。
「そろそろ帰らなきゃ」
「え、もう?」彼の腕が私の腰にからみついた。「もうちょっと、いいでしょ。まだ夜は
明けないよ、シンデレラ」
顔が脇腹に押しつけられる。少しだけ、ちくりと髭の感触。
からみつく腕にこめられる力が嬉しくて。
「…うん…もうちょっとだけ…」
くふ、と彼が嬉しそうに笑い声を漏らした。

結局帰宅したのは、夜が明けるぎりぎりの4時半頃で…彼は送っていくと主張したのだけれど、
もう新聞屋さんとか牛乳屋さんは活動している時間なので、固辞し、半ば走るようにして帰った。
家族はまだ誰も起きていなかったようで、家は静まりかえっていた。そっと鍵を開けて裏口から母屋に
すべりこみ、着替えて自室に敷いておいた布団にもぐりこんで、彼のところでシャワー使わせて
もらっておいて、良かったな、と思った途端、眠っていた。
母に、いつまで寝てるの!と、たたき起こされたのは9時だった。眠くて、身体もだるくて、
けれど、今日は祖母の法事だから起きないわけにもいかない。夏服とはいえ充分うっとうしい
セーラー服を着て、一日中、法事のお客さんの接待に走り回った。受験生なのに、という主張など、
誰も聞いてくれない。
一日走りまわって、食事もろくすっぽとれなくて、やっと一息ついたのは、すっかり夜が更けて
お風呂に入った時だった。それでもまだ、座敷の方では親戚が集まって宴会を続けている。
「はあ」思わず大きなため息が出る。
浴槽に手足を伸ばして目を閉じる。ぬるめのお湯に、義姉が入れてくれたミントの香りの入浴剤が
すがすがしい。
昨日の今頃は、やっぱりお風呂に入っていたけど、早乙女くんのところに行くために、念入りに
全身の手入れをしてたんだっけな、と思い出す。なんだか、何日も前のことのよう。
大体、彼に抱かれたことは、あれは現実だったのだろうか?
初めてキスしたときにも思ったことだけど、あれは、私の彼への想いが見せたリアルな夢もしくは
妄想だったのではないか?
…だって、現実とは思えないほど、ステキだった。
きゅうん、と胸が痛くなって、まぎらすために思い切り良く、浴槽から出た。
シャンプーしようと、洗い場の風呂椅子に座ったときに、それに気がついた。
右の内股に、赤い痕。小さな、5円玉くらいの大きさの。
それでも、花のように赤い痕。
……彼の唇の痕。
彼がつけてくれた、幸せな夜の証拠。
彼が私に触れた証拠。
……現実だったんだな。
彼に、電話しなきゃな。無事に帰りついたか、心配してるかもしれない。
そっとそこに指で触れると、身体の芯がふわりと熱くなった。
彼の愛撫が全身に蘇る。
ぞくっとして、目を閉じる。
どうしても、思ってしまう。
…どうして、昨夜が私の初体験じゃなかったんだろう…。
樹下の天使3−1B