それからすぐに吹奏楽コンクールの県大会がやってきて、今年も県代表になることができた。

 夜になって、菅ちゃんと3年生の有志で、地元の居酒屋で打ち上げをした。本当は居酒屋で打ち上げってのは

マズイんだろうが、OBがバイトをしている店なので、大目にみてもらえる。

 菅ちゃんは、お酒も宴会も大好きだが、すぐに真っ赤になって騒ぐ。今夜もウルサイ。

「今年こそぉ、全国行くぞ!な、お前らも行きたいだろぉ。なんたって最後の夏だろぉ。頑張るぞぉ」

 さっきからそればっかしで、大ジョッキを振り回し、桜が飽きず相手をしている。

 菅ちゃんは、近県の国立大学の出身で、そこも結構上手いのだが、同じ県内に超強豪校があって、ついに4年間

全国大会にたどり着けなかったのだ。その恨み?を指導者として晴らしたいのだそうだ。

 やれやれ。

 先生の気持ちも解るが、そう簡単なモノではないと、高校生でも解る。お金持ちの私立なんかだと、そもそも推薦で

有望な生徒を集め、金にあかせて良い楽器を揃え、プロのトレーナーを招聘し、練習だって私たちの何倍もやってる

だろう。田舎の県立の進学校は、すでに試合が始まる前から物理的に負けてるのだ。

 しかし、私たちの出来る範囲で、貧乏なりに、限られた練習時間の中で、良いものを作りたいとは思うのだ。

なにしろ、ものが音楽だから、たいして上手くないけど心に響く演奏、というのも可能なのだから。

 だから先生も、解ってるけど、がんばろう、言いたいのだろう。奇跡を期待したいのだろう。それは、理解できる。

 1杯ずつだけだぞ、と念を押されて飲んだビールが、とても美味しかった。

 次の日、居眠りばかりで何も身にならなかった午前中の補修を終え、音楽室に行く途中、思い立って文芸部室に

寄った。

 部室では、早乙女くんがひとり、お弁当を広げようとしていた。

「やあ、おめでとう」

「あ、ありがとう。新聞見てくれたんだ」

 夏休み中は、3年の吹奏学部員は、ミーティングがてら音楽室で菅ちゃんを囲みながら弁当を食べるのが習慣になって

いたので、ちょっと迷ったが、そのまま彼の向かいの席に座って弁当を開いた。

 やっぱりちょっとでも彼といたい。

 先週のことがあるので、私はとてもじゃないけど、まともに彼の顔が見られないが、彼は何もなかったように弁当を

食べ、屈託無く私に話しかける。

「県代表になって、次は北陸大会とかに行くの?それともすぐ全国大会に行けるの?」

「ううん、新潟は、西関東大会。そこから4校だけ全国に行けるの。数年前までは関東はひとつだったんだけど、

あんまり他の地区と競争率が不均衡だから、東西に別れたの」

「西関東?新潟が西関東?」

「そうなのよ。埼玉・群馬・山梨・新潟が西関東」

「なんだそれは」

「ヘンでしょう。数合わせて分けたらこういうことになっちゃったみたいで、群馬と埼玉で大会があるときは便利

だけど、今年は山梨だから、遠征が大変」

「へえ…むりやり二つにわけたのが見え見えだね」

 彼の弁当は、夏休み中でも豪華版だ。

「でしょ。しかも、埼玉ってところがやけに吹奏楽が盛んで、毎年殆どの地区代表が埼玉にかっさらっていかれるのよ

…ねえ、その鶏の有馬煮と、タコさんウィンナートレードしない?」

「どうぞ」彼は笑って「…新潟は、ダメなの?」

 彼のお弁当箱にタコを置き、有馬煮の小さめのところを一つ貰う。

「ダメダメ。中学で1つ行くかいかないかってところ。うちなんて毎年、出たら銅賞、だもん。まあ、東関東よりは

いいけどね。あっちは千葉、神奈川・栃木・茨城で、千葉と神奈川の一騎打ちみたいになってるから」

 有馬煮、山椒が利いていてとても美味しい。

「銅賞って、3位じゃないの?」

「そうじゃないんだ、出演団体全部が金・銀・銅どれかは貰えるの。だから、銅賞ってことは、下から三分の一ってこと」

 そんな話をしているうちに、二人とも弁当を食べ終わり。

 机の上で、少しずつ手と手が接近していった。ほんの指先が重なり、恋しかった痺れが、腕を伝い始める。

 心臓が、トクトクと早くなってきて、それが彼に伝わってしまうのではないかと思うと、恥ずかしい。 

「昨日、遅くまで打ち上げしてたから、午前中居眠りばっかりしちゃった」

「飲んでたの?」

「うん、ちょっとだけね。先生も一緒に駅前の居酒屋で。先生だけすっごい酔っぱらってた」

「疲れてるところに飲むと、酔っぱらうよね」

「うん。管ちゃんてば、今朝会ったら、顔むくんでたもん」

「曽根さんはすがすがしい顔してるよ」

 やっと、彼の顔をまともに見上げることができた。

 とても優しい目で笑っている。

「気分はすがすがしいよ。結果が良かったし、演奏も自分たちなりに良かったし」

「それはなにより」

 彼の、色の薄い、けれども綺麗なベージュピンクの形の良い唇から目が離せなくなる。

 …今日もキスしてもらえるだろうか?

 触れ合う指先からの痺れが高まったような気がする。

 その時、ノックも無しにドアノブが回される音がして、慌てて手を離した。

 三浦が顔を出した。

「おや?お邪魔だったかな」

 やば…見られてはいないと思うけど。

 ちょっと三浦の表情が固かったのは気のせいか…?

 それからの2,3日は、ちっとも早乙女くんと二人きりになれなくて…県大会が一段落して、吹奏学部の練習が短縮

された分、休憩時間を長く取らなくなり、文芸部室まで行ってるヒマが無くなった。それじゃあと、練習前、お昼に

行くと、彼がいても、

三浦や他の部員も誰かしらいたりして…三浦がやたらと文芸部室にいる気がするんだけど…?

 彼のそばにいられるだけでも、それはそれで嬉しいんだけど、手の届くところにいるのに、触れられないのはなんとも

じれったい。

 彼は相変わらずのポーカーフェイスだし、やっぱりあのキスは、抱擁は、何かの間違いではなかったかと、思い始め

たりして。

 お盆直前の金曜日、合奏の合間の小休止に、音楽室の窓から、早乙女くんに抱きしめられた裏庭を見下ろす…思わず

溜息を吐く…と、彼がいて、手を振っていた。口の形が「これる?」と訊く。

 私は頷くと、なるべくさりげなく、それでも超ダッシュで音楽室を飛び出し、階段を駆け下りた。

「ごめんね、大丈夫だった?」

 息を切らせて裏庭にたどりつくと、彼が笑顔で迎えてくれた。ケヤキの照り返しで、いつもにも増して顔色が青白く

見える。

「うん、10分休憩だから、ここなら大丈夫。音も聞こえるし」

「電話しようかとも思ったんだけどさ、曽根さんお嬢様だし、ちょっっとかけにくくて」

「全然平気だけど」少しはからかわれたりするだろうけど。

 と、自分が酷い格好だと気が付いた。今日は猛暑だったので、Tシャツ一枚と体育着のショートパンツで合奏して

いたのだ。しかも、靴下も脱いだ生脚で、Tシャツの袖とショートパンツの裾はぎりぎりまでまくり上げてたりして。

せめて、慌てて袖と裾の折り返しを戻す。

 彼はそんな私の様子を面白そうに眺めていた。

「で、何か急ぎの用事?」照れ隠しにわざとぶっきらぼうに訊く。

「急ぎってわけでもないけど、今週末も練習あるの?」

「ううん、今週末はさすがに無い」お盆だから。

「じゃあ、良ければ、前に言ってた県立図書館に連れていってくれないかな?」

「あ、うん、いいよ、良いね!私もそろそろ行きたいと思ってたんだ」

 …嬉しい!学校以外で彼に会えるなんて!

「じゃあ明日の土曜日が良いよね。日曜はお盆にかぶっちゃうし」

「そうだ、日曜うち法事だわ」

「そう、じゃあ、朝から出れる?午前中図書館行って、ランチして、午後はN市の街案内してもらえると嬉しいな」

 一日中一緒にいられるの?!

「うん、そうしよう。きっと、図書館お盆中もやってるよね…電話しておく。あ、電車の時間も私が調べておくよ。

電話して良い?」

「携帯にしてくれる?」

「あ、持ってるんだ、早乙女くん」

 …私ってば、真っ先に携帯の番号訊けよな…若者らしくない。

「曽根さんは?」

「持ってない。欲しいけど、維持費に自信がないから、卒業までは我慢だなぁ」

「俺もあんまりマメに持ち歩いてないけどね。今も部室においてきちゃった…番号言うよ」

「あ…書く物なんかないよね…うぁ…チューニング始まっちゃったし」

 頭上からハーモニートレーナの音が降ってきた。

「ええい、いいや、覚えるから言って」

 私の慌てぶりが面白いのか、彼はくすくす笑って、番号を教えてくれた。

 別れ際、小鳥のキスをされてしまったので、せっかく覚えた番号を忘れそうになったが、階段を2段抜かしで駆け

上りながら繰り返し唱えた。

 何だか体が軽い!

                                NEXT   作品目次へ

樹下の天使2−3