土岐頼忠(とき・よりただ) ?〜1397

土岐頼清(頼宗)の子。土岐頼康・頼雄の弟。別称を頼世。刑部少輔・弾正忠。美濃守護。
庶子であったため美濃国池田郡を拠点として池田を号していたが、康応元:元中6年(1389)に甥の土岐康行(義行)が将軍・足利義満の挑発に乗ってしまって追討を受けることになった際、頼忠は義満に応じて忠節を尽くし、明徳元:元中7年(1390)の閏3月までには康行から没収された美濃守護職を与えられており、傍流の出でありながらも土岐氏の惣領家となり、以後は頼忠の子孫が美濃守護職を相伝することとなった。
応永2年(1395)に美濃守護職を嫡男の頼益に譲る。
応永4年(1397)8月11日に没した。法名は禅蔵寺殿正庵真兼大居士。